アンリ・ド・モントー
アンリ・ド・モントー Henry de Montaut | |
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ナダールによる撮影 | |
生誕 |
Antonin Victor Xavier Henry de Montaut 1829年6月13日 フランス王国 パリ |
死没 |
1889年12月27日 (60歳没) フランス共和国 パリ |
国籍 | フランス |
著名な実績 | イラスト、雑誌編集 |
受賞 | レジオンドヌール勲章 シュヴァリエ |
後援者 | Prosper de Chasseloup-Laubat |
アンリ・ド・モントー (仏:Henri de Montaut、1829年6月13日 - 1889年12月27日)はフランスの画家、デザイナー、版画家、イラストレーター、編集者。作品の署名にはH. de Hem, Monta, Hy などを用いている。
略歴
[編集]アンリ・ド・モントー(本名:アントニ・ヴィクトル・グザヴィエ・アンリ・ド・モントー)は、1829年6月13日にパリ6区のマラケ河岸(Quai Malaquais)17番で生まれた。彼の母親はソフィー・ブリス(Sophie Brisse)、父親はガブリエル・グザヴィエ・ド・モントー(Gabriel Xavier de Montaut)といい、兄のベルナール・モントー(Bernard Montaut)はのちに軍人となった。
モントーのイラストレーターとしての最初の作品はピレネー山脈のドローイングで、これはシャルル・バルグが出版社『Becquet frères』から版画として出版した。モントーはエドゥアール・リウーや、ジョルジュ・ルーなどのイラストレーターとともに、ピエール=ジュール・エッツェルが出版するジュール・ヴェルヌの小説「驚異の旅シリーズ」の挿絵を描いた。彼の作品は『気球に乗って五週間』、『地球から月へ』、『ハテラス船長の冒険』などで見ることができる。
モントーは『ル・ジュルナル・プール・リール』などの定期刊行物への寄稿も盛んに行うほか、出版事業にも携わり、『ル・ジュルナル・イリュストレ』 や『ラヴィ・パリジェンヌ』では編集長を務めた。彼は1871年のパリ・コミューン後の1871年8月1日にセーヌ川国家警備隊隊長として、政治家のプロスペル・ド・シャスルー=ローバの後援でレジオンドヌール勲章の騎士に任命された。1882年末には2年前にエルネスト・オシュデと共に創刊した月刊誌『L'Art de la mode』の編集長に就任した。
彼は1889年12月27日にパリで死去した。
作品
[編集]脚注
[編集]- ^ 『ジュルナル・プール・リール』より、キャプションは「王様たちは去って行きます。よい旅を!」。これは月に向けて出発する王たちを描いた漫画で、おそらくヨーロッパの君主制の終焉に関連する。ここには、スペイン、プロイセン、デンマーク、ナポリなどの「王たちの奉仕」のラベルが貼られた気球が描かれており、乗客は月旅行のために列車でイギリスを訪れている。(出典:Wikimedia Commons画像解説より)
- ^ 1863年10月当時の新聞より。ハノーファーでの飛行実験に失敗したナダールを描いている。
- ^ メトロポリタン美術館蔵。モノクロームの版画版が1881年1月15日付の雑誌『ラヴィ・パリジェンヌ』に掲載された。