コンテンツにスキップ

アンブロークン (潜水艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
HMS アンブロークン
1943年8月26日、地中海での活動を終えてポーツマスに帰還した「アンブロークン」
1943年8月26日、地中海での活動を終えてポーツマスに帰還した「アンブロークン」
基本情報
建造所 バロー=イン=ファーネスヴィッカース・アームストロング
運用者  イギリス海軍
 ソビエト連邦海軍
級名 U級潜水艦
モットー Frango infractus
(我は壊す、されど壊されず)
艦歴
起工 1940年12月30日
進水 1941年11月4日
就役 1942年1月29日
その後 1944年6月26日にソ連海軍へ移管
1949年に返還後、1950年5月解体
改名 「P42」→「アンブロークン」→「V-2」
要目
満載排水量 水上:540ロングトン (550 t)
630ロングトン (640 t)
水中:730ロングトン (740 t)
全長 191 ft (58 m)
最大幅 16 ft 1 in (4.90 m)
吃水 15 ft 2 in (4.62 m)
主機 ディーゼル・エレクトリック方式
パックスマン式英語版ディーゼル機関電動機×2基
出力 615 hp (459 kW)(水上)
825 hp (615 kW)(水中)
推進器 2軸推進
最大速力 11.25ノット (20.84 km/h; 12.95 mph)(水上)
10ノット (19 km/h; 12 mph)(水中)
航続距離 5,000海里 10ノット時(水上)
潜航深度 60m
乗員 31名
兵装 21インチ(533mm)艦首魚雷発射管×4門(内蔵式4門)
魚雷8本
3インチ単装砲×1門
その他 ペナント・ナンバー:P42
テンプレートを表示

アンブロークン (HMS Unbroken, P42) は、イギリス海軍潜水艦U級潜水艦第3グループの1隻。

艦名は「壊されていない、不屈の」という意味の形容詞に由来し、イギリス海軍においてこの名を持つ唯一の艦である[1]

艦歴[編集]

1942年4月にピーター・チャーチル英語版大尉率いる工作員が「アンブロークン」から上陸したことを示す記念碑。
「アンブロークン」の初代艦長アラステア・マーズ英語版大尉。

「アンブロークン」は1940年12月30日にバロー=イン=ファーネスヴィッカース・アームストロングで起工、1941年11月4日に進水したが[2]、この際にはまだ固有艦名は与えられておらず単に「P42」(HMS P42)と呼ばれていた。その後、1943年2月1日に「アンブロークン」と改名されている[3]

「アンブロークン」は第二次世界大戦における戦歴のほとんどを地中海で過ごした。ホーリー・ロッホでの公試後、「アンブロークン」はマルタ第10潜水戦隊に合流するため、ジブラルタルから錬成を兼ねた哨戒に向かった。「アンブロークン」は、著名な特殊作戦執行部(SOE)工作員であるピーター・チャーチル英語版大尉が指揮する工作員たちを南フランスアンティーブに上陸させた。その後マルタに向かい、1942年6月に第10潜水戦隊を再編した。「ユナイテッド英語版」、「アンラッフルド英語版」、「アンライバルド英語版」が参加するまでの間、「アンブロークン」はマルタで行動可能な唯一の潜水艦だった。同月には、ハープーン作戦及びヴィガラス作戦に参加している。1942年7月、「アンブロークン」はイタリア本土西岸の主要鉄道路線を攻撃し、24時間にわたって路線を封鎖することに成功した。しかしながら、沿岸砲兵からの反撃が蓄電池に命中し、マルタへの帰還を余儀なくされた。1942年10月、石油タンカーに魚雷を命中させた後で護衛艦の反撃により大破し、マルタで再び修理を受けた[2]

地中海における活動で、「アンブロークン」はイタリア商船「エッダ」と「ボローニャ」(元フランス船「モナコ」)、イタリアのパイロット船「F20/エンリカ」、イタリアの特設掃海艇「No.17/ミラノ」をそれぞれ撃沈した。また、イタリアの帆船「ヴァーレ・フォルモソII」、ドイツ(元ノルウェー)のタンカー「レジーナ」を損傷させている。特にペデスタル作戦においては、イタリア海軍重巡洋艦ボルツァーノ」と軽巡洋艦ムツィオ・アッテンドーロ」を大破させる戦果を挙げた。「ボルツァーノ」は燃料タンクに魚雷が命中し炎上したため、パナレーア島に擱座しなければならなかった。「アッテンドーロ」も60フィート (18 m)にわたって艦首を失った。「ボルツァーノ」は戦争の残りの期間、戦線に復帰することはなかった[2]

「アンブロークン」はイタリア商船「アルジェリーノ」も攻撃したが、魚雷は外れた。その後、リビアトリポリ北西にいたイタリア商船「タイタニア」を損傷させた。「タイタニア」は駆逐艦「アスカリ」に曳航されたが、翌日早朝に潜水艦「サファリ英語版」によって沈められた。「アンブロークン」は地中海での任務を終え、1943年8月にイギリス本国へ帰還した[2]

ソビエト海軍[編集]

「アンブロークン」は1944年6月26日にソビエト連邦に貸与され、「V-2」(キリル文字表記:B-2)と改名された。1944年10月12日、「V-2」はドイツ海軍駆潜艇「UJ-1220」を撃沈している[2]。「V-2」こと「アンブロークン」は、1949年にイギリス海軍へ返還されるまでの4年間をソ連海軍で過ごした。「アンブロークン」の艦体は、1950年5月9日からゲーツヘッドで解体された[3]

栄典[編集]

「アンブロークン」は第二次世界大戦の戦功で1個の戦闘名誉章(Battle honour)を受章した[3]

  • 「SICILY 1943」

出典[編集]

  1. ^ J. J. Colledge; Ben Warlow (2010). Ships of the Royal Navy: The Complete Record of all Fighting Ships of the Royal Navy from the 15th Century to the Present. Newbury, Berkshire: Casemate. p. 421. ISBN 978-1935149071 
  2. ^ a b c d e HMS Unbroken (P 42)”. uboat.net. 2024年7月1日閲覧。
  3. ^ a b c Geoffrey B. Mason (2006年). “HMS UNBROKEN, later Russian V.2 - U-class Submarine”. naval-history.net. 2024年7月1日閲覧。

関連項目[編集]