コンテンツにスキップ

アンハルト自由州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アンハルト自由州(1918-1934)
アンハルト州(1934-1946)
Freistaat Anhalt
Land Anhalt
アンハルト公国 1918年 - 1946年 ザクセン=アンハルト州 (1945年–1952年)
アンハルト自由州(1918-1934) アンハルト州(1934-1946)の国旗 アンハルト自由州(1918-1934) アンハルト州(1934-1946)の国章
(国旗) (国章)
アンハルト自由州(1918-1934) アンハルト州(1934-1946)の位置
言語 ドイツ語
首都 デッサウ
州首相
1918年11月14日 - 1919年7月23日 ヴォルフガング・ハイネ
1940年1月8日 - 1945年4月ルドルフ・ヨルダン
面積
1925年2,299km²
1939年2,314km²
人口
1925年351,045人
1939年436,213人
変遷
ドイツ革命による君主制廃止 1918年11月12日
州憲法制定1919年7月18日
アンハルト州に改称1934年
ザクセン=アンハルト州成立1946年10月20日
現在ドイツの旗 ドイツ

アンハルト自由州またはアンハルト自由国ドイツ語:Freistaat Anhalt)は、1918年のドイツ革命によるアンハルト公国の解体で成立した、ドイツ国自由州。1934年にアンハルト州 (Land Anhalt) に改称された。

1945年、プロイセン自由州のマクデブルク県とハレ=メルゼブルク県、ブラウンシュヴァイク自由州のカルフェルデとブランケンブルク郡東部、さらにテューリンゲン州アルシュテットとアンハルト州が統合されてザクセン県 (Provinz Sachsen) となり、同年のうちにザクセン=アンハルト県 (Provinz Sachsen-Anhalt) に改名された後、1947年にザクセン=アンハルト州となった。

歴史

[編集]

1918年9月にヨアヒム・エルンストがアンハルト公位を継承し、当時17歳で未成年であったことから叔父アリベルトが摂政となっていたが、わずか2か月後にドイツ革命が起こり、11月12日に退位を余儀なくされた。これに先立つ11月9日にはデッサウで市長フリッツ・ヘッセを議長とする労兵レーテが結成された。11月14日にはドイツ社会民主党のヴォルフガング・ハイネを首班とするドイツ社会民主党ドイツ民主党の暫定政府が樹立された[1]

1918年12月15日の制憲議会選挙において、社会民主党は絶対過半数となる58.03%の得票を確保した[2]が、民主党との連立を維持した。アンハルト自由州憲法は、制憲議会での審議を経て1919年7月18日に制定された[3]

1932年4月24日の州議会選挙では、ナチ党が15議席を占めて第一党となった[4]。5月21日にはナチ党のアルフレート・フレイベルクを州首相とするナチ党・ドイツ国家人民党の連立政権が発足した[5]。フレイベルクは初のナチ党出身首相であった。デッサウのバウハウスは校長であったハンネス・マイヤー共産主義者であったためにナチ党から敵視されており、フレイベルクが州首相になると直ちに閉鎖が命じられた。

ドイツ国のすべての自由州は、1933年3月31日のラントとライヒの均制化に関する暫定法律により実質的に自治権を停止された。さらに1934年1月30日のライヒ再建法により、すべての自由州の主権はライヒ政府 (すなわちナチス・ドイツ) に移管された。これを受けて、アンハルト自由州はアンハルト州に改称された。

第二次世界大戦後、アンハルトはソ連占領地域となり、1946年10月20日に旧プロイセン自由州ザクセン県と合併してザクセン=アンハルト県となった。1949年のドイツ民主共和国樹立によりその1州となったが、1952年の地方行政改革により州が解体されて消滅した。

1990年のドイツ再統一によりやや領域が変更されつつもザクセン=アンハルト州が復活し、1994年の郡制改正によりアンハルト=ツェルプスト郡が新設され、歴史的な「アンハルト」の名前が州名だけでなく地区名にも反映された。2007年7月1日の郡制改革ではアンハルト=ツェルプスト郡は他の郡とともにビターフェルト郡と合併してアンハルト=ビターフェルト郡となった (ただし、ビターフェルト郡などいくつかの郡は歴史的なアンハルトの領域には属していなかった)。一方、アンハルト福音派ルーテル教会の教区は、引き続きアンハルト公国あるいはアンハルト自由州の領域と対応している。

政治

[編集]

州議会

[編集]

アンハルト自由州議会の議事堂はデッサウに置かれ、第1期州議会は1919年2月20日に開会された。任期は1923年までは3年、1923年からは4年であった。選挙制度は厳正拘束名簿式比例代表制で、議席配分はヘア=ニーマイヤー式で行われた。アンハルト自由州はライヒ参議院には1議席を持っていた。

元首

[編集]

元首は1918年から1922年まで州評議会議長、1922年から1933年まで自由州首相、1933年から1945年までは州首相であった。

国家代理官

[編集]

ラントとライヒの均制化に関する暫定法律によって自由州の主権は失われ、デッサウに本部を置くアンハルトおよびブラウンシュヴァイクの国家代理官が実権を掌握した。

参考文献

[編集]
  • Walther Eggert: Anhaltisches Mosaik: Landschafts- und Kulturbilder aus dem ehemaligen Land Anhalt. Weidlich, Frankfurt am Main 1971 ISBN 3-8035-0555-0
  • Johannes Jansson: Das Fürstentum Anhalt und das Erzbistum Magdeburg – 1647. (Historische Karte: Principatus Anhaldinus et Magdeburgensis Archiepiscopatu) Reprint, Rockstuhl, Bad Langensalza 2003, ISBN 3-932554-92-2
  • Wilhelm van Kempen: Schlösser und Herrensitze in Provinz Sachsen und in Anhalt. Weidlich, Frankfurt am Main 1961
  • Norbert Michels (Hrsg.): Anhalt in alten Ansichten: Landschaft, Baukunst, Lebenswelten. Mitteldeutscher Verlag, Halle 2006. ISBN 3-89812-350-2
  • Ralf Regener: Der Freistaat Anhalt in den Anfangsjahren der Weimarer Republik , in: Revolutionäre Zeiten zwischen Saale und Elbe. Das heutige Sachsen-Anhalt in den Anfangsjahren der Weimarer Republik, hg. v. Patrick Wagner und Manfred Hettling, Halle (Saale) 2019, S. 47–68.
  • Ralf Regener: "Und jetzt fiel die alte, morsch gewordene Eiche" Das Ende der askanischen Herrschaft in Anhalt, in: Das Ende der Monarchie in den deutschen Kleinstaaten. Vorgeschichte, Ereignis und Nachwirkungen in Politik und Staatsrecht 1914–1939, hg. v. Stefan Gerber, Wien / Köln / Weimar 2018, S. 161–179.
  • Ralf Regener: Der Sturz der Askanier 1918 in Anhalt. Bedingungen, Verlauf und Nachwirkungen des Untergangs einer kleinstaatlichen deutschen Monarchie, Dessau-Roßlau 2013.
  • Reinhold Specht: Bibliografie zur Geschichte Anhalts. 1930/3
  • Johannes Wütschke:
    • Zur Territorialentwicklung Anhalts. In: Anhaltische Geschichtsblätter 13 (1937)
    • Territorialentwicklung Anhalts. (Atlas des Saale- und mittleren Elbegebiets) 1958

出典

[編集]
  1. ^ Ralf Regener: Der Sturz der Askanier 1918 in Anhalt. Bedingungen, Verlauf und Nachwirkungen des Untergangs einer kleinstaatlichen deutschen Monarchie, Dessau-Roßlau 2013, S. 63–90.
  2. ^ Tabelle
  3. ^ Die Verfassung für Anhalt (Volltext)
  4. ^ Tabelle: Wahlen zum 6. Landtag
  5. ^ Der Freistaat Anhalt. Ereignisse 1918–1933 (Chronologie)
  6. ^ nach der Landtagswahl am 22. Juni (Tabelle)
  7. ^ nach der Landtagswahl am 24. April 1932 (Tabelle)

外部リンク

[編集]