アンナ・ピエーリ・ブリニョーレ・サーレ
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アンナ・ピエーリ・ブリニョーレ・サーレ Anna Pieri Brignole-Sale | |
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アンナ・ピエーリ・ブリニョーレ・サーレ、アントン・フォン・マロン、1792年 | |
出生 |
1765年 シエーナ |
死去 |
1815年 シェーンブルン宮殿 |
配偶者 | グロポリ侯爵アントン・ジューリオ3世・ブリニョーレ・サーレ |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ブリニョーレ家 |
アンナ・ピエーリ・ブリニョーレ・サーレ(Anna Pieri Brignole-Sale, 1765年[1] - 1815年)は、シエーナ出身の貴族女性。ジェノヴァ共和国の権門ブリニョーレ家に嫁いだ。ナポレオン体制の熱烈な信奉者であり、ナポレオンの後妻マリー=ルイーズ皇后の女官を務めた。
生涯
[編集]シエーナの洗練された都市貴族の家系に生まれた。1786年、グロポリ侯爵アントン・ジューリオ3世・ブリニョーレ・サーレ(1802年没[1])と結婚。婚家はジェノヴァ共和国屈指の名門で、共和国元首(ドージェ)を何世代にも渡って務めていた[1]。夫の父ロドルフォ・エミーリオ、伯父ジョヴァンニ・フランチェスコも元首職の経験者だった。侯爵夫人アンナは居宅パラッツォ・ロッソの最上階で、啓蒙主義的な文芸サロンの女主人として華やかな生活を送った[2]。
夫の没後、第一帝政期のパリ社交界に出入りするようになり、タレーランら政府要人とも親しく交際するようになった。1810年、ナポレオン皇帝の再婚相手マリー=ルイーズ皇后の女官に任命され[2]、同年皇帝により(自身の権利として)女伯爵の位を授かった[1]。失脚したナポレオンが1814年エルバ島に島流しにされると、アンナはマリー=ルイーズに付き従ってオーストリアに移り、女主人に対して夫君に忠実であり続けるよう説得した。しかしウィーン宮廷はナポレオンに対する憎悪を強め、アンナはその与党としてオーストリア秘密警察に身辺を嗅ぎまわられる立場となった。アンナはその後同地で死亡した。
子女
[編集]夫との間に4人の子をもうけた。
- ロドルフォ・ブリニョーレ・サーレ(1784年 - 1832年) - 聖職者となり、教皇ピウス7世によってアスーラ司教に任命された。
- アントーニオ・ブリニョーレ・サーレ(1786年 - 1863年) - グロポリ侯爵。ウィーン会議にジェノヴァ代表として出席、ナポレオン及びジョアシャン・ミュラの代理人として活動し、多額の資金を費やしたが、彼らの便宜を図ることはできなかった[3]。
- マリーア・ブリニョーレ・サーレ(1811年 - 1888年) - ガリエラ公爵夫人[4]。
- マリーア・ペレグリーナ・テレーザ・ブリニョーレ・サーレ(1790年 - 1865年) - 1808年エメリッヒ・ヨーゼフ・フォン・ダールベルク公爵と結婚。母と同じくマリー=ルイーズ皇后の女官となった。
- マリー・ルイーズ・ペリーヌ・ド・ダールベルク(1813年 - 1860年) - 1832年イギリス人の第7代準男爵ファーディナンド・アクトンと結婚[5]、1840年第2代グランヴィル伯爵グランヴィル・ルーソン=ゴアと再婚。
- ジョン・ダルバーグ=アクトン(1834年 - 1902年) - 初代アクトン男爵。歴史家・思想家・政治家。
- マリー・ルイーズ・ペリーヌ・ド・ダールベルク(1813年 - 1860年) - 1832年イギリス人の第7代準男爵ファーディナンド・アクトンと結婚[5]、1840年第2代グランヴィル伯爵グランヴィル・ルーソン=ゴアと再婚。
- カテリーナ・アンジェラ・マリーア・ブリニョーレ・サーレ(1792年 - 1882年) - 1811年カルロ・マレスカルキ伯爵(1782年 - 1868年)と結婚。夫は外交官フェルディナンド・マレスカルキ伯爵の長男で、イタリア副王ウジェーヌ・ド・ボアルネの侍従。
引用
[編集]- ^ a b c d Valynseele 1959, p. 51.
- ^ a b Ritratto di Anna Pieri Brignole-Sale.
- ^ Schneider, Werner & Mazohl 2015, p. 124.
- ^ Bonaparte & Basso 1975, p. 197.
- ^ Golo Mann: Lord Acton. In: Ders.: Geschichte und Geschichten. S. Fischer Verlag, Frankfurt am Main 1961. S. 85–101, hier S. 86.
参考文献
[編集]- “A Palazzo Rosso una pièce su Anna Pieri” (イタリア語), mentelocale, (9 November 2006) 2017年11月12日閲覧。
- Bonaparte, Julie; Basso, Isa Dardano (1975) (フランス語), La princesse Julie Bonaparte, marquise de Roccagiovine et son temps: mémoires inédits, 1853–1870, Ed. di Storia e Letteratura, GGKEY:J9WBCXK0UZU 2017年11月12日閲覧。
- (イタリア語) Ritratto di Anna Pieri Brignole-Sale, Comune di Genova 2017年11月12日閲覧。
- Schneider, Karin; Werner, Eva Maria; Mazohl, Brigitte (2015-11-09) (ドイツ語), Europa in Wien: Who is Who beim Wiener Kongress 1814/15, Böhlau Verlag Wien, ISBN 978-3-205-79488-2 2017年11月12日閲覧。
- (イタリア語) Teatro di Villa Duchessa di Galliera (Cargo), Regione Liguria 2017年11月12日閲覧。
- Valynseele, Joseph (1959) (フランス語), Les princes et ducs du Premier Empire, non maréchaux, Centrale de l'Ouest 2017年11月12日閲覧。