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アンドレ・ペルジアニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アンドレ・ペルジアニ
André Persiany
出生名 André Paul Stephane Persiani[1]
別名 Jules Dupont[1]
生誕 (1927-11-19) 1927年11月19日
出身地 フランスの旗 フランス パリ
死没 (2004-01-02) 2004年1月2日(76歳没)
ジャンル ジャズ
職業 ミュージシャン
担当楽器 ピアノ

アンドレ・ペルジアニ[2]André Persiany1927年11月19日 - 2004年1月2日)は、フランスジャズ・ピアニスト。パリ出身。

ペルジアニは子供の頃に父親からヴァイオリンピアノを教えられ、1945年までに自分のアンサンブルを結成した。1947年にヒューバート・フォルとレイモンド・フォルと共に「ビバップ・ミンストレルズ」のメンバーとなり、その後、ミシェル・アテヌー、エディ・バーナード、ビル・コールマン、バック・クレイトン、レイモンド・フォンセーク、ライオネル・ハンプトンギィ・ラフィット、メズ・メズロウ、トニー・プロトーと共演した。

1950年代半ばにニューヨークに移り、バードランド・クラブで演奏し、ジョナ・ジョーンズと幅広く仕事をした。1969年にはパリに戻り、1970年から1988年まで、ル・ファステンバーグのピアニストとしてレジデンシーを務めた。1970年代の彼の関わった団体には、キャット・アンダーソン、ミルト・バックナー、エディ・チャンブリー、アーネット・コブ、アル・グレイ、バッド・ジョンソン、チャーリー・シェイヴァースが含まれていた。

ペルジアニの息子ステファン・ペルジアニは、ダブルベース奏者となった。

ディスコグラフィ

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リーダー・アルバム

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  • In New-York/Impressions of New-York (1956年、Columbia)
  • Les Classiques Du Jazz (1956年、Columbia) ※with ギィ・ラフィット、ポール・リヴィア、テディ・マーティン
  • Skin Tight And Cymbal Wise! (1958年、Columbia) ※with ヴィック・ディッケンソン、タフト・ジョーダン、アーヴェル・ショウ、バッド・ジョンソン、ジョージ・バーグ、ガス・ジョンソン
  • "Les Classiques Du Jazz" Vol. 2 (1958年、Columbia) ※with ギィ・ラフィット
  • Joue Count Basie (1958年、Columbia)
  • Requiem Pour Un Chat (1973年、Gold N' White) ※with ミルト・バックナー
  • The Real Me (1976年、Black And Blue)
  • Every Night At Furstemberg (1977年、Open) ※with ローランド・ロブリジョワ、ロジャー・パラボスキ
  • Fiddle No End (1978年、Black And Blue)
  • 『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』 - As Time Goes By (1980年、Black And Blue)
  • Pianistically Yours (1982年、Black And Blue) ※with ミルト・バックナー
  • Out Of This World (1985年、Black And Blue) ※with ステファン・ペルジアニ、パトリック・レモ
  • Skyliner (1994年、Djaz)
  • Starlight Souvenirs (1996年、Night & Day)

脚注

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  1. ^ a b André Persiany - Discography - Discogs
  2. ^ アンドレ・ペルシアニ」「アンドレ・ペルシアーニ」の表記もある。

参考文献

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外部リンク

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