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アンドレイ・フルセンコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アンドレイ・フルセンコ
Андрей Александрович Фурсенко
アンドレイ・フルセンコ
生年月日 (1949-07-17) 1949年7月17日(75歳)
出生地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦}
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の国旗 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国レニングラード
出身校 レニングラード大学数学・機械工学部
前職 研究員、実業家
所属政党ソ連共産党→)
我が家ロシア→)
統一ロシア
称号 数学博士
配偶者 タチアナ・フルセンコ
サイン

在任期間 2012年5月21日 -

内閣 第2次ウラジーミル・プーチン内閣
在任期間 2004年3月9日 - 2012年5月21日
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アンドレイ・アレクサンドロヴィチ・フルセンコロシア語: Андре́й Алекса́ндрович Фу́рсенко, ラテン文字転写: Andrei Aleksandrovich Fursenko, 1949年7月17日 - )は、ロシア政治家科学者実業家2004年3月9日から2012年5月21日まで、ロシア連邦教育・科学大臣を経てロシア連邦大統領補佐官。父アレクサンドル・フルセンコ1927年 - 2008年)は、歴史家ロシア科学アカデミー会員。弟セルゲイ・フルセンコ1954年 - )は、技術者、実業家で、サッカークラブ・ゼニト・サンクトペテルブルクの代表。レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)出身。

経歴・概要

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1971年レニングラード大学数学・機械工学部を卒業する。大学在学中にソ連共産党に入党(1991年に離党)している。大学卒業後、レニングラードのヨッフェ物理学技術研究所に勤務し、 下級研究員、上級研究員、コンピュータ部長、科学部次長を歴任した。1978年科学博士候補1990年数学博士。1990年ユーリ・コヴァルチュクウラジーミル・ヤクーニン産学共同の企業を設立しようとしたが、ノーベル物理学賞受賞者で科学アカデミー副総裁のジョレス・アルフェーロフの反対にあい、結局、研究所外に科学アプリケーション関係の会社を複数、設立した。1991年コヴァルチュクを社長に、R&Dカンパニー・先端技術センターを設立、フルセンコは副社長に就任した。1992年ロシア銀行、地域開発基金、OJSCスヴェトラーナ、サンクトペテルブルク市土地委員会など複数の企業・団体が出資して設立した、サンクトペテルブルク地域科学技術開発財団(RFSED)取締役社長となり、OJSCスヴェトラーナ電気工場を設立している。1993年会社の登録手続きを通して、サンクトペテルブルク市対外関係委員会に勤務していたウラジーミル・プーチンと面識を持つようになる。1996年サンクトペテルブルク市長のアナトリー・サプチャークは市長選挙に破れ、プーチンは副市長を辞任する。プーチンはフルセンコら親しい友人7名と共同出資し、彼らは不動産協同組合オーゼロ(ロシア語で湖の意)を設立し、サンクトペテルブルク郊外カレリア地峡の湖畔のダーチャを購入した[1]

アルハンゲリスクを訪問するアンドレイ・フルセンコ(左)

1994年5月露独投資相談会社代表取締役社長に就任。1995年ヴィクトル・チェルノムイルジン首相を代表とする我が家ロシアに入党する。2000年9月フィリピンサンクトペテルブルク名誉領事。同年10月学術会議財団「北西戦略リサーチセンター」議長。

2001年ロシア連邦政府副首相(産業、科学技術政策担当)に任命される。2003年産業・科学技術相を経て、2004年3月9日教育・科学相に就任。2008年5月第2次ウラジーミル・プーチン内閣でも留任した。2010年1月11日、経済開発統合会議のメンバーに選出される[2]2012年5月21日ドミートリー・メドヴェージェフ内閣の成立に伴い離任し、大統領補佐官に就任した。

私生活では、夫人との間に一男がいる。英語に堪能。

脚注

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  1. ^ “Удачный кооператив”. Новая газета. (12 апреля 2007). http://www.novayagazeta.ru/data/2007/26/48.html 2010年4月10日閲覧。 
  2. ^ «Зубков стал замом Шувалова в экономической правительственной комиссии», www.zaks.ru, 12.01.2010

外部リンク

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先代
イリヤ・クレバノフ
産業・科学・技術相
2003年 - 2004年
次代
-
先代
ウラジーミル・フィリポフ
ロシア教育・科学相
2004年 - 2012年
次代
ドミートリー・リヴァーノフ