アンドレイ・パルビイ
アンドレイ・パルビイ | |
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Андрій Парубій | |
第12代最高議会議長 | |
任期 2016年4月14日[1] – 2019年8月29日[2] | |
代理官 | イリーナ・ヘラシュチェンコ |
前任者 | ヴォロディーミル・フロイスマン |
後任者 | ドミトロ・ラズムコフ |
最高議会副議長 | |
任期 2014年12月4日 – 2016年4月14日 | |
大統領 | ペトロ・ポロシェンコ |
前任者 | イオール・カリートニク |
後任者 | イリーナ・ヘラシュチェンコ |
第10代ウクライナ国家安全保障・国防会議書記 | |
任期 2014年2月27日 – 2014年8月7日[3][4] | |
大統領 | オレクサンドル・トゥルチノフ |
前任者 | アンドレイ・クリューイェフ |
後任者 | オレクサンドル・トゥルチノフ[5][6] |
最高議会議員 | |
任期 2007年12月23日 – 2012年12月12日 | |
選挙区 | 我らのウクライナ、第80位[7] |
任期 2012年12月12日 – 2014年3月17日 | |
選挙区 | 無所属、第21位[8] |
任期 2014年12月27日 – 2019年8月29日 | |
選挙区 | 人民戦線党、第4位[9] |
任期 2019年8月29日 – 任期中 | |
選挙区 | ペトロ・ポロシェンコ・ブロック、第2位[10] |
個人情報 | |
生誕 | 1971年1月31日(53歳) ソビエト連邦ウクライナ・ソビエト社会主義共和国チェルヴォノフラード |
国籍 | ウクライナ |
政党 | ペトロ・ポロシェンコ・ブロック (2019–) |
協力政党 | 人民戦線党(2014–2019) 全ウクライナ連合「祖国」 (2012–2014) 変化への戦線(2012) 我らのウクライナ(2004–2012) ウクライナ社会民族党(1994–2004) |
住居 | ウクライナキエフ |
出身校 | リヴィウ大学 |
職業 | 政治家 |
公式サイト | www.parubiy.org |
アンドレイ・ヴォロドミロヴィチ・パルビイ(宇: Андрі́й Володи́мирович Парубі́й、1971年1月31日 - )は、ウクライナの政治家である。元ウクライナ最高議会議長(2016年4月14日[1] - 2019年8月29日[2])。2014年ウクライナ騒乱にて反政府運動を主導した後[11]、ウクライナ国家安全保障・国防会議書記として任命され、2014年8月7日に辞任するまで務めた[3][4]。
経歴
[編集]議員就任前
[編集]1971年1月31日にソビエト連邦・ウクライナ・ソビエト社会主義共和国のチェルヴォノフラードにて生まれる。
1991年にウクライナが独立するまでの数年間、パルビイは独立運動家として活動し、1989年には無許可でデモを行ったことで警察に逮捕された。1991年にはオレーフ・チャフニボークと共に、ウクライナ社会民族党(SNPU)を結成した[12][13]。この政党は名前やヴォルフスアンゲルを模したロゴに過激派国粋主義とネオナチの要素を取り入れた政党であった[13][14][15]。
1994年にはリヴィウ大学歴史学部を卒業し、「歴史家」、「歴史教師」の学位を取得した。2001年にはリヴィウ工科大学大学院政治学・社会学専攻を卒業した。
1998年から2004年にかけて、パルビイはSNPUの準軍事的組織であるウクライナの愛国者を率いた[15]。パルビイは2004年に組織から脱退し[14]、同年に発生したオレンジ革命に参加した[16]。
議員就任後
[編集]2007年ウクライナ最高議会選挙にて、パルビイは我らのウクライナ所属としてウクライナ最高議会の議員に選出された[7]。その後、ウクライナのために!の前身となる、「我らのウクライナ・人民自衛」連合の代理組織に加入した。パルビイは我らのウクライナで活動し続け、政策評議会の会員となった[17]。
2010年10月に、パルビイは当時ウクライナ前大統領であったヴィクトル・ユシチェンコが、ウクライナ民族主義者組織のリーダーであったステパーン・バンデーラへ、ウクライナ英雄を授与することを決定したことに対して否定的な反応を示した欧州議会に向け、再考するよう要請した[18]。
2012年2月上旬、パルビイは「方向性の違い」を理由に我らのウクライナから脱退した[19]。2012年ウクライナ最高議会選挙にて全ウクライナ連合「祖国」支援の無所属議員として再選した[8][20]。
2013年12月から2014年2月までパルビイはユーロマイダンの指揮官を務め[21]、抗議運動の中心人物を警備するボランティア警備隊の幹部として行動していた[22]。その後、パルビイはウクライナ国家安全保障・国防会議(NSDC)書記に任命され[11]、2014年6月16日に、当時のウクライナ大統領であったペトロ・ポロシェンコによって承認された[23]。
NSDC書記時代、パルビイはウクライナ東部における親ロシア系の分離主義者に対する「反テロ」作戦を支持した[24]。
パルビイは2014年8月7日にNSDC書記を辞任した。パルビイは辞任の理由を明かさず、「戦時中に私が辞任することに対してコメントすることは容認されないと思われる。」「前線、特にボランティア大隊を支援し続けるつもりである。」と語った[3][13]。ポロシェンコ大統領は同日、パルビイの解任を承認する判決に署名した[4][13]。ロシア・トゥデイは、地元メディアがウクライナ南東部での戦闘の停戦を宣言した後に辞任するよう求められたが、パルビイはこれを拒否したと報じた[13]。
2014年9月にパルビイは設立メンバーとして、人民戦線党に加入し[25]、2014年ウクライナ最高議会選挙にて人民戦線党所属として最高議会議員に再選した。12月4日には最高議会副議長に選ばれた。
ヴォロディーミル・フロイスマンの辞任後、2016年4月14日に最高議会議長に選出された[1]。2017年には日本を公式訪問し、当時参議院外交防衛委員会委員長であった宇都隆史との会談において、日本とウクライナの合同軍事演習を提案した[26]。
2019年5月15日、パルビイは議会改革局の設置に関する法令に署名し、議会の作業の指示に従って、15人を職員として起用する予定であると述べた[27]。
2019年ウクライナ最高議会選挙にて、パルビイはペトロ・ポロシェンコ・ブロック所属議員として第2位となった[10]。この党は票全体の内、8.1 %を得票し、23議席[注 1]を獲得したため、パルビイは再選した[28]。2019年8月29日に、パルビイは最高議会議長の職をドミトロ・ラズムコフに引き継いだ[2]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 内訳は小選挙区で2議席、比例代表で21議席である。
出典
[編集]- ^ a b c “Rada appoints Andriy Parubiy its speaker” (英語). インテルファクス・ウクライナ. (2016年4月14日) 2020年4月17日閲覧。,
- ^ a b c “Razumkov elected as Chairman of Verkhovna Rada” (英語). ウクルインフォルム通信. (2019年8月29日) 2020年4月17日閲覧。
- ^ a b c “Parubiy steps down as secretary of Ukraine's NSDC” (英語). インテルファクス・ウクライナ. (2014年8月7日) 2015年10月19日閲覧。
- ^ a b c “Poroshenko signs decree dismissing Parubiy as NSDC secretary” (英語). インテルファクス・ウクライナ. (2014年8月7日) 2020年4月17日閲覧。
- ^ “Turchynov becomes secretary of Ukraine's NSDC” (英語). インテルファクス・ウクライナ. (2014年12月16日) 2020年4月17日閲覧。
- ^ “President Poroshenko decides to appoint Turchynov Ukraine's NSDC secretary – source” (英語). インテルファクス・ウクライナ. (2014年12月16日) 2020年4月17日閲覧。
- ^ a b “People's Deputy of Ukraine of the VI convocation” (ウクライナ語). Official portal. ヴェルホーヴナ・ラーダ. 2014年12月22日閲覧。
- ^ a b “People's Deputy of Ukraine of the VII convocation” (ウクライナ語). Official portal. ヴェルホーヴナ・ラーダ. 2014年12月22日閲覧。
- ^ “People's Deputy of Ukraine of the VIII convocation” (ウクライナ語). Official portal. ヴェルホーヴナ・ラーダ. D2014-12-22閲覧。
- ^ a b “Десятка партії Порошенка: Парубій, Геращенко, Джемілєв” (ウクライナ語). ウクラインスカ・プラウダ. (2019年6月9日) 2020年4月18日閲覧。
- ^ a b “Ukraine's new government: Who's who” (英語). デイリー・テレグラフ. AFP通信. (2014年2月27日) 2014年2月27日閲覧。
- ^ Keith Darden; Lucan Way (2014年2月12日). “Who are the protesters in Ukraine?” (英語). ワシントン・ポスト 2020年4月18日閲覧。
- ^ a b c d e “Ukraine's security chief Parubiy resigns” (英語). RT. (2014年8月7日) 2015年10月19日閲覧。
- ^ a b Katchanovski, Ivan (2014年3月4日). “Interview with Reuters re Svoboda, the OUN-B, and other Far Right Organizations in Ukraine (March 4, 2014) FullText” (英語). Academia.edu. p. 1. 2020年4月18日閲覧。
- ^ a b Umland, Andreas; Anton Shekhovtsov (9 - 10 2013). “Ultraright Party Politics in Post-Soviet Ukraine and the Puzzle of the Electoral Marginalism of Ukrainian Ultranationalists in 1994–2009” (英語). Russian Politics and Law 51 (5): 41 2015年2月20日閲覧. "It is noteworthy that of these various Ukrainian nationalist parties the SNPU was the least inclined to conceal its neofascist affiliations. Its official symbol was the somewhat modified Wolf's Hook (wolfsangel), used as a symbol by the German SS division Das Reich and the Dutch SS division Landstorm Nederland during World War II and by a number of European neofascist organizations after 1945. As seen by the SNPU leadership, the Wolf's Hook became the "idea of the nation." Moreover, the official name of the party's ideology, "social nationalism," clearly referred back to "national socialism" – the official name of the ideology of the National-Socialist German Workers' Party (NSDAP) and of the Hitlerite regime. The SNPU's political platform distinguished itself by its openly revolutionary ultranationalism, its demands for the violent takeover of power in the country, and its willingness to blame Russia for all of Ukraine's ills. Moreover, the SNPU was the first relatively large party to recruit Nazi skinheads and football hooligans. But in the political arena, its support in the 1990s remained insignificant."
- ^ Daniel Williams (2004年12月5日). “Kiev Protesters Look Beyond Vote” (英語). ワシントン・ポスト. オリジナルの2011年6月28日時点におけるアーカイブ。 2020年4月18日閲覧。
- ^ “Президія” (ウクライナ語). Інформаційний сервер „Наша Україна”. 私たちのウクライナ. 2011年6月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月18日閲覧。
- ^ “Parubiy asks European Parliament to reconsider its decision on Bandera” (英語). キーウ・ポスト. インテルファクス・ウクライナ. (2010年2月26日) 2020年4月18日閲覧。
- ^ アンドレイ・パルビイ (2012年2月3日). “Я вийшов з "Нашої України"” (ウクライナ語). Блоги. ウクラインスカ・プラウダ. 2020年4月18日閲覧。
- ^ “Список депутатів нової Верховної Ради” (ウクライナ語). ウクラインスカ・プラウダ. (2012年11月11日) 2020年4月18日閲覧。
- ^ “Парубий снова стал комендантом на Евромайдане” (ロシア語). NEWSLINE. (2014年1月13日). オリジナルの2019年4月3日時点におけるアーカイブ。 2020年4月18日閲覧。
- ^ David Rising; Jim Heintz (2014年2月1日). “Radicals a wild card in Ukraines protests”. エイキン・スタンダード. AP通信 2020年4月18日閲覧。
- ^ “Poroshenko approves National Security and Defense Council membership” (英語). インテルファクス・ウクライナ. (2014年6月16日) 2020年4月18日閲覧。
- ^ Isaac Webb (2014年5月8日). “Parubiy says anti-terrorist operation will continue as separatists in Luhansk, Donetsk reject Putin’s call to postpone referendum” (英語). キーウ・ポスト 2020年4月18日閲覧。
- ^ “Яценюк пойдет на выборы отдельно от Блока Петра Порошенко” (ロシア語). インテルファクス通信. (2014年9月13日) 2014年9月25日閲覧。
- ^ “ウクライナ議長 日本に合同軍事演習を提案”. スプートニク. (2017年3月1日) 2020年4月19日閲覧。
- ^ “В Украине создали Офис парламентской реформы” (ロシア語). УКРАЇНСЬКІ НАЦІОНАЛЬНІ НОВИНИ. (2019年2月15日) 2020年4月18日閲覧。
- ^ “Результаты внеочередных выборов народных депутатов Украины 2019” (ロシア語). ウクラインスカ・プラウダ. (2019年7月21日) 20220-04-18閲覧。