アントニオ・アルフォンセカ
フィラデルフィア・フィリーズ時代 (2007年6月24日) | |
基本情報 | |
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国籍 | ドミニカ共和国 |
出身地 | ラ・ロマーナ州ラ・ロマーナ |
生年月日 | 1972年4月16日(52歳) |
身長 体重 |
6' 5" =約195.6 cm 250 lb =約113.4 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1989年 アマチュア・フリーエージェントとしてモントリオール・エクスポズと契約 |
初出場 | 1997年6月17日 デトロイト・タイガース戦 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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アントニオ・アルフォンセカ(Antonio Alfonseca, 1972年4月16日 - )は、ドミニカ共和国・ラ・ロマーナ州ラ・ロマーナ出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
経歴
[編集]プロ入りとエクスポズ時代
[編集]1989年にモントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)に入団し、プロ入り。
マーリンズ時代
[編集]1992年12月の球団拡張ドラフトで新球団フロリダ・マーリンズ(現マイアミ・マーリンズ)へ移籍。
1997年6月17日のデトロイト・タイガース戦でメジャーデビューを果たし、初勝利を記録。この年、レギュラーシーズン17試合すべてリリーフで登板した。チームはワイルドカードでポストシーズン進出。アルフォンセカはロースターから漏れたが、アレックス・フェルナンデスの故障によりリーグチャンピオンシップシリーズの後、ロースター入りを果たした[1]。ワールドシリーズでは3試合に登板し、6.1回を無失点に抑え、球団史上初のワールドチャンピオンの一員となった。
1998年にメジャーに定着。4月27日のコロラド・ロッキーズ戦でメジャー初セーブを挙げ、シーズントータルで58試合に登板し、8セーブを記録した。登板数、セーブ数はともにチーム2位となった[2]。
1999年は昨年より防御率を0.8点以上改善し、7月11日にシーズン初セーブを記録すると以後クローザーとして起用され、21セーブを記録した。
2000年にリーグ最多の45セーブを記録し、球団タイ記録となった。チームの勝利の57%でセーブを記録し、セーブ成功率は91.8%(45/49)で佐々木主浩の92.5%(37/40)に次ぐ両リーグ2位となった[3]。
2001年は28セーブを記録し、9月18日に通算100セーブを達成し、9月22日に通算270試合目の登板し、ロブ・ネンの球団記録を更新した[4]。
カブス時代
[編集]2002年開幕前の3月にトレードでシカゴ・カブスへ移籍した。同年は19セーブを記録したが、9回もセーブ機会で記録できずに終わった。オフには投球を安定させるため首脳陣から9キログラムの減量を厳命された[5]。
2003年は60試合に登板するも防御率は5.83に終わり、デビュー年以来のマイナー降格も経験した。
ブレーブス時代
[編集]2003年シーズン終了後、アトランタ・ブレーブスへ1年総額150万ドル、出来高100万ドルで移籍[6]。
2004年シーズンは79試合に登板し、防御率は2.57と自己ベストを更新。
マーリンズ復帰
[編集]2005年は4年ぶりに古巣マーリンズへ復帰。4月は防御率1.59だったものの、4月22日から故障者リストに入り、メジャーに復帰したのは7月26日となった[7]。復帰後、防御率は8月が5.79で、9月は7.56だった[8]。
レンジャーズ時代
[編集]2006年はテキサス・レンジャーズへ移籍。怪我のため19試合の登板に終わった。
フィリーズ時代
[編集]2007年はフィラデルフィア・フィリーズへ。5月25日にクローザーのブレット・マイヤーズが故障者リスト入りとなり、マイヤーズが離脱中はクローザーとして起用され[9]、5月26日に5年ぶりにセーブを記録した。
ドミニカウィンターリーグ時代
[編集]2008年はリーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・デ・ラ・レプブリカ・ドミニカーナのアスカレーロス・デル・エステで4試合に投げ防御率10.80だった。
メキシカンリーグ時代
[編集]2009年はメキシカンリーグのプエブラ・パロッツと契約し6試合を投げ防御率12.46で1セーブだった。
ベネズエラウィンターリーグ時代
[編集]2009年途中にリーガ・ベネソラーナ・デ・ベイスボル・プロフェシオナルのブラボス・デ・マルガリータと契約し10試合を投げ防御率4.22で2セーブだった。
米独立リーグ時代以後
[編集]2009年途中にアトランティックリーグのランカスター・バーンストーマーズと契約し34試合を投げ防御率6.96で15セーブだった。
2010年にリーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・ロベルト・クレメンテのヒガンテス・デ・カロリーナと契約し22試合を投げ防御率4.70だった。同年途中より再びアトランティックリーグのブリッジポート・ブルーフィッシュと契約し59試合を投げ防御率4.13で2セーブだった。
2011年もプリッジポート・ブルーフィッシュで50試合に登板し、防御率4.56で2セーブだった。この年限りで現役を引退した。
現役引退後
[編集]現役引退後は、フロリダメモリアル大学で投手コーチを務めている[10]。
選手としての特徴
[編集]球速が最高で100mph(約161km/h)近くまで達する速球に、スライダーやチェンジアップを交えた投球をする。
両手両足が全て6本指という多指症で、"El Pulpo" (スペイン語で「タコ」の意)や"Six Fingers" というニックネームをつけられたことがあった。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997 | FLA | 17 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | -- | .250 | 123 | 25.2 | 36 | 3 | 10 | 3 | 1 | 19 | 1 | 0 | 16 | 14 | 4.91 | 1.79 |
1998 | 58 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 6 | 8 | -- | .400 | 316 | 70.2 | 75 | 10 | 33 | 9 | 3 | 46 | 1 | 0 | 32 | 32 | 4.08 | 1.53 | |
1999 | 73 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 5 | 21 | 5 | .444 | 325 | 77.2 | 79 | 4 | 29 | 6 | 4 | 46 | 1 | 0 | 28 | 28 | 3.24 | 1.39 | |
2000 | 68 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 6 | 45 | 0 | .455 | 311 | 70.0 | 82 | 7 | 24 | 3 | 1 | 47 | 0 | 2 | 35 | 33 | 4.24 | 1.51 | |
2001 | 58 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 4 | 28 | 0 | .500 | 268 | 61.2 | 68 | 6 | 15 | 3 | 5 | 40 | 2 | 0 | 24 | 21 | 3.06 | 1.35 | |
2002 | CHC | 66 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 19 | 0 | .286 | 330 | 74.1 | 73 | 5 | 36 | 3 | 3 | 61 | 1 | 0 | 34 | 33 | 4.00 | 1.47 |
2003 | 60 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 9 | .750 | 296 | 66.1 | 76 | 7 | 27 | 3 | 2 | 51 | 0 | 0 | 43 | 43 | 5.83 | 1.55 | |
2004 | ATL | 79 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 4 | 0 | 13 | .600 | 313 | 73.2 | 71 | 5 | 28 | 5 | 0 | 45 | 5 | 0 | 24 | 21 | 2.57 | 1.34 |
2005 | FLA | 33 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 8 | .500 | 118 | 27.1 | 29 | 2 | 14 | 4 | 2 | 16 | 1 | 0 | 15 | 15 | 4.94 | 1.57 |
2006 | TEX | 19 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | ---- | 74 | 16.0 | 23 | 3 | 7 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 10 | 10 | 5.63 | 1.88 |
2007 | PHI | 61 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 2 | 8 | 15 | .714 | 236 | 49.2 | 65 | 3 | 27 | 6 | 1 | 24 | 1 | 0 | 31 | 30 | 5.44 | 1.85 |
MLB:11年 | 592 | 0 | 0 | 0 | 0 | 35 | 37 | 129 | *58 | .486 | 2710 | 613.0 | 677 | 55 | 250 | 45 | 22 | 400 | 13 | 2 | 292 | 280 | 4.11 | 1.51 |
- 各年度の太字はリーグ最高
- 「-」は記録なし
- 通算成績の「*数字」は不明年度があることを示す
年度別守備成績
[編集]年 度 |
球 団 |
投手(P) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
1997 | FLA | 17 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1.000 |
1998 | 58 | 4 | 6 | 1 | 1 | .909 | |
1999 | 73 | 5 | 14 | 0 | 2 | 1.000 | |
2000 | 68 | 1 | 14 | 1 | 1 | .938 | |
2001 | 58 | 6 | 8 | 0 | 1 | 1.000 | |
2002 | CHC | 66 | 4 | 13 | 1 | 1 | .944 |
2003 | 60 | 2 | 8 | 1 | 0 | .909 | |
2004 | ATL | 79 | 3 | 7 | 0 | 0 | 1.000 |
2005 | FLA | 33 | 3 | 4 | 0 | 2 | 1.000 |
2006 | TEX | 19 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1.000 |
2007 | PHI | 61 | 1 | 4 | 0 | 0 | 1.000 |
MLB | 592 | 31 | 84 | 4 | 8 | .966 |
タイトル
[編集]表彰
[編集]- ローレイズ・リリーフマン賞(2000年)
背番号
[編集]- 57(1997年 - 2007年)
脚注
[編集]- ^ “Antonio Alfonseca 1997 Career Highlights” (英語). 2008年6月7日閲覧。
- ^ “1998 Florida Marlins Statistics and Roster - Baseball-Reference.com” (英語). 2008年6月7日閲覧。
- ^ “Antonio Alfonseca 2000 Career Highlights” (英語). 2008年6月7日閲覧。
- ^ “Antonio Alfonseca 2001 Career Highlights” (英語). 2008年6月7日閲覧。
- ^ 『メジャー・リーグ・ベースボール オフィシャルイヤーブック2003』ベースボールマガジン社、2003年、ISBN 9784583612232、71頁
- ^ 『月刊メジャー・リーグ』2004年3月号、ベースボールマガジン社、2004年、雑誌 08625-3、45頁
- ^ “Antonio Alfonseca 2005 Career Highlights” (英語). 2008年6月7日閲覧。
- ^ “Antonio Alfonseca 2005 Pitching Splits - Baseball-Reference PI” (英語). 2008年6月7日閲覧。
- ^ “Antonio Alfonseca 2007 Career Highlights” (英語). 2008年6月7日閲覧。
- ^ “Antonio Alfonseca - Assistant Baseball Coach/Pitching Coach”. Florida Memorial University Athletics. 2021年11月27日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- Antonio Alfonseca stats MiLB.com