アンソニー・バージェス
アンソニー・バージェス Anthony Burgess | |
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1988年5月 | |
誕生 |
John Anthony Burgess Wilson 1917年2月25日 イングランド ランカシャー州ハーパーヘイ |
死没 |
1993年11月22日(76歳没) ロンドン |
職業 | 小説家、作曲家 |
国籍 | イギリス |
活動期間 | 1956年 - 1993年 |
代表作 | 『時計じかけのオレンジ』(1962年) |
配偶者 |
リン・イッシャーウッド・ジョーンズ(1942-1968、死別) リアーナ・マチェラーリ(1968-1993) |
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アンソニー・バージェス(Anthony Burgess, 1917年2月25日 - 1993年11月22日)は、イギリスの小説家、評論家、作曲家。翻訳出版物ではアントニイ・バージェスと表記される。
詩人、脚本家、ジャーナリスト、エッセイ、旅行記、翻訳なども携わり、東南アジア、アメリカ合衆国、中央ヨーロッパなど様々な場所に暮らし、著作活動を行った。
生い立ち
[編集]ジョン・バージェス・ウィルソン (John Burgess Wilson) は、マンチェスターのハーパーヘイに、カトリックの父親とプロテスタントの母親の間に生まれる。幼少時はジャックと呼ばれ、堅信式の後にアンソニーと名付けられてアンソニー・バージェス・ウィルソンとなる。1956年からペンネーム「アンソニー・バージェス」を使い始める。
アンソニーが1歳の時、母エリザベス・バージェス・ウィルソンは、スペイン風邪(1918年から1920年にかけ世界各地で流行した)で死去した。妹のマリエルも同じくスペイン風邪により亡くなった。母エリザベスは地元の女優およびダンサーであり、マンチェスターの音楽ホールのステージを踏んでいた。彼女の芸名はバージェスによると「ザ・ビューティフル・ベレ・バージェス」であったという。
父ジョセフ・ウィルソンは1938年に死去した。バージェスは父を「アウグスチヌス主義のカトリック教徒」と評した。父はブックメーカー、無声映画の伴奏ピアニスト、百科事典のセールスマン、肉屋、タバコ屋と様々な職を手につけたが、それなりに裕福ではあった。ジョセフは妻の死後、パブの女主人と再婚したが、バージェスは「ほとんど酔っぱらって不在であり、自分のことを“とうちゃん”と称した」と書いている。
バージェスは母方の叔母によって育てられ、父親の再婚後は継母に育てられた。なお居住した家は叔母が経営したタバコ・酒類販売店の上にあった。
1993年11月22日に、肺がんによりロンドンで死去。76歳没。
主な作品
[編集]小説
[編集]- 『アントニイ・バージェス選集』全8巻、早川書房、1978‐79年。3巻目が欠本
- A Clockwork Orange
- 『時計じかけのオレンジ』ハヤカワepi文庫、改版2008年、「選集2」
- The Wanting Seed
- 『見込みない種子』早川書房「ハヤカワ・ノヴェルズ」、1973年、のち「選集1」
- Inside Mr. Enderby 『エンダビー氏の内側』 「選集7」
- The Eve of St. Venus 『聖ヴィーナスの夕べ』 「選集5」
- Nothing Like the Sun 『その瞳は太陽に似ず』 「選集4」
- Tremor of Intent 『戦慄』 「選集6」
- M/F 『MF』 「選集8」
- Napoleon Symphony 『ナポレオン交響曲』 「選集9」
- A Long Trip to Tea Time
- 『どこまで行けばお茶の時間』サンリオSF文庫、1981年
- Beard's Roman Women
- 『ビアドのローマの女たち』サンリオSF文庫、1980年
- Abba Abba
- 『アバ、アバ』サンリオSF文庫、1980年
- 1985
- 『1985年』サンリオ、1979年、サンリオ文庫、1984年
絵本
[編集]その他
[編集]- The Novel Now
- 『現代小説とは何か』前川祐一訳、竹内書店、1970年
- Shakespear
- New York
- 『ニューヨーク ライフ世界の大都市』沢田繁春ほか訳、タイムライフブックス、1978年
- Ernest Hemingway and His World
- They Wrote in English
映画
[編集]- 時計じかけのオレンジ(1971年) スタンリー・キューブリック監督作品(原作)
- ナザレのイエス(1977年) フランコ・ゼフィレッリ監督作品(共同脚本) - テレビ映画