アンソニー・アスキス
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アンソニー・アスキス Anthony Asquith | |
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左から2番目がアスキス | |
生年月日 | 1902年11月9日 |
没年月日 | 1968年2月20日(65歳没) |
出生地 | イングランド・ロンドン |
死没地 | イングランド・ロンドン |
国籍 | イギリス |
職業 | 映画監督 |
ジャンル | 映画 |
活動期間 | 1927年 - 1964年 |
著名な家族 | ハーバート・ヘンリー・アスキス(父) |
アンソニー・アスキス(Anthony Asquith、1902年11月9日 - 1968年2月20日)は、イングランド・ロンドン出身の映画監督。劇作家テレンス・ラティガンの戯曲の映画化作品(ラティガン本人による脚色)やラティガンによるオリジナル脚本の映画作品が多い。
略歴
[編集]父親は政治家で、後にイギリス首相(1908年 - 1916年)となるハーバート・ヘンリー・アスキス、母親はその2番目の妻マーゴット。父親が50歳の時に生まれた息子で末子である[1]。また、女優ヘレナ・ボナム=カーターの大叔父(祖母ヴァイオレット・ボナム=カーターの腹違いの弟)にあたる。ウィンチェスター・カレッジとオックスフォード大学ベリオール・カレッジで学び、卒業後、ダグラス・フェアバンクス、メアリー・ピックフォード夫妻(当時)にゲストとしてロサンゼルスに招かれ、半年ほど過ごす。その中でチャールズ・チャップリンやエルンスト・ルビッチ、リリアン・ギッシュなど、数多くの名監督や大スターと出会い、ハリウッドの映画製作の手法を目にする[2]。帰国後、イギリス映画界に入り、助監督やスタントなどを経て1920年代末から監督となる。その後、数々の名作を世に残し、イングランド出身の映画監督としては、アルフレッド・ヒッチコック、デヴィッド・リーン、キャロル・リードと並んで最も成功した映画監督の1人となる[3]。しかし、戯曲の映画化作品が多かったことから、映画監督としての後世の評価は芳しくない[1]。
1968年に悪性リンパ腫で死去。生涯独身であった。同性愛者であったと言われている[4]。
主な監督作品
[編集]- 勇気ある男 Moscow Nights (1935)
- ピグマリオン Pygmalion (1938)
- French Without Tears (1940)
- Quiet Wedding (1941)
- Uncensored (1942)
- 激情 Fanny by Gaslight (1944)
- While the Sun Shines (1947)
- ウィンスロー少年 The Winslow Boy (1948)
- The Browning Version (1951)
- ジェット機M7号 The Net (1953)
- 若い恋人たち The Young Lovers (1954)
- 私に殺された男 Orders to Kill (1958)
- 求むハズ The Millionairess (1960)
- 暗黒の銃弾 Guns of Darkness (1962)
- 予期せぬ出来事 The V.I.P.s (1963)
- 黄色いロールス・ロイス The Yellow Rolls-Royce (1964)
出典
[編集]- ^ a b “Anthony Asquith - Biography” (英語). IMDb. 2013年4月20日閲覧。
- ^ “Asquith, Anthony (1902-1968) Biography” (英語). BFI Screenonline. 2013年4月20日閲覧。
- ^ “Anthony Asquith movies, photos, movie reviews, filmography, and biography” (英語). AllMovie. 2013年4月20日閲覧。
- ^ Stephen Bourne "Behind the masks: Anthony Asquith and Brian Desmond Hurst" in Robin Griffiths (ed.) British Queer Cinema, Oxford: Routledge, 2006, p.37