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アルベマール伯爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アルべマール伯爵
Earl of Albemarle
アルべマール伯ケッペル家の紋章Gules, three escallops argent
創設時期1697年2月10日
創設者ウィリアム3世
貴族イングランド貴族
初代アーノルド・ヴァン・ケッペル
現所有者ルーファス・ケッペル英語版 (10代伯)
相続人オーガスタス・ケッペル (ベリー子爵)
相続資格初代伯の直系の嫡出の男系男子
付随称号ベリー子爵
アシュフォード男爵
モットー困難に屈するなかれ
(Ne Cede Malis)

アルベマール伯爵英語: Earl of Albemarle)は、イングランド貴族伯爵位の一つ。名誉革命イングランド王位に就いたウィリアム3世オランダ総督オラニエ公ウィレム3世)に従ってオランダからイングランドへやってきたウィリアム3世の近臣アーノルド・ヴァン・ケッペル1697年に叙位されたのに始まる。爵位名の「アルべマール」とはフランスノルマンディーの地名オマールフランス語版ラテン語化された名前英語版"Alba Marla"(「白い泥灰土」の意)から転じた言葉であり、"Aubemarle"や"Aumerle"と綴られることもある。ウィリアム3世のアーノルドへの勅許状にも「ノルマンディー公国の都市と領域」と書かれている[1]

これ以前にノルマン貴族やフランス貴族やイングランド貴族として創設されたオマール伯爵及び公爵英語版についてはそちらの項目を参照。

歴史

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オランダ出身で1688年に名誉革命で王位に就いたオランダ総督オラニエ公ウィレム3世(ウィリアム3世)に従ってイギリスへやって来たアーノルド・ヴァン・ケッペル (1670–1718) は、ウィリアム3世と同性愛の関係となり[1]1696/7年2月10日イングランド貴族爵位アルベマール伯爵 (Earl of Albemarle)ランカスター州におけるベリーのベリー子爵 (Viscount Bury, of Bury in the County of Lancaster)ケント州におけるアシュフォードのアシュフォード男爵 (Baron Ashford, of Ashford in the County of Kent)に叙位された[2][3]。 その後、彼はオランダへ帰り、スペイン継承戦争でオランダ軍人として初代マールバラ公爵ジョン・チャーチルの指揮下で戦ったがドゥナの戦いで捕虜となった[1]

1718年に初代伯が死去した後、息子のウィリアム (1702–1754) が2代伯を継承。彼はイギリス陸軍軍人となり、陸軍中将まで昇進。オーストリア継承戦争フォントノワの戦いジャコバイト蜂起の際のカロデンの戦いなどに参加した。1749年から1754年にかけては駐フランスイギリス大使を務めている[2][4]

2代伯の死後、その息子ジョージ・ケッペル (1724–1772) が3代伯を継承した。彼も陸軍軍人となり、陸軍大将まで昇進。父とともにフォントノワの戦いやカロデンの戦いに参加している[2]七年戦争ではハバナの戦いを指揮した。また63,000ポンドでクイデナム英語版に土地を購入した[5]

その息子である4代伯ウィリアム (1772–1849) は、ホイッグ党貴族院議員として政界で活躍し、ホイッグ党が参加した1806年からの大連立政権グレンヴィル内閣バックハウンド長官英語版1830年からのホイッグ政権では主馬頭を務めた[2][6]

死後、その息子のオーガスタス英語版(1794–1851) が5代伯を継承した。彼は襲爵前の1820年から1826年にかけてアランデル選挙区英語版選出の庶民院議員を務めていた[2]

子供がなかった5代伯の死後、弟のジョージ英語版(1799–1891) が6代伯を継承した。彼は襲爵前、陸軍軍人としてワーテルローの戦いなどに参加した後、東ノーフォーク選挙区英語版ライミントン選挙区英語版から選出されてホイッグ党の庶民院議員を務め、首相ジョン・ラッセル卿の秘書も務めた。陸軍軍人としては陸軍大将まで昇進した[1][2]

その息子である7代伯ウィリアム英語版(1832–1894) も陸軍軍人となる一方、自由党、のちに保守党の政治家として保守党政権の第2次ディズレーリ内閣第1次ソールズベリー侯爵内閣陸軍省政務次官英語版を務めた[2][7]

その息子である8代伯アーノルド英語版(1858–1942) も陸軍中佐まで昇進した陸軍軍人であり、襲爵前にはバーケンヘッド選挙区英語版選出の庶民院議員を務めた。軍人としてエドワード7世ジョージ5世の副官も務めた[2][8]

その息子である9代伯ウォルター英語版(1882–1979) も陸軍軍人となり、1904年から1905年にかけてはカナダ総督副官、1906年にインド総督副官を務めた[2][9]

9代伯爵の息子ベリー子爵(儀礼称号)デリク・ウィリアム・チャールズ・ケッペル (1911-1968) は父に先だったため、9代伯の死後は、ベリー子爵の遺児であるルーファス・アーノルド・アレクシス・ケッペル英語版(1965-) が10代伯を継承した。2020年現在の当主も彼である[2][10]

現当主の保有爵位

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現当主ルーファス・ケッペル英語版は以下の爵位を保有している[2][10]

  • 第10代アルべマール伯爵 (10th Earl of Albemarle)
  • 第10代ランカスター州におけるベリーのベリー子爵 (10th Viscount Bury, of Bury in the County Palatine of Lancaster)
    • (1696/97年2月10日の勅許状によるイングランド貴族爵位)
  • 第10代ケント州におけるアシュフォードのアシュフォード男爵 (10th Baron Ashford, of Ashford in the County of Kent)
    • (1696/97年2月10日の勅許状によるイングランド貴族爵位)

アルベマール伯 (1697年)

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系図

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脚注

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  1. ^ a b c d  この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Albemarle, Earls and Dukes of". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 1 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 492–493.
  2. ^ a b c d e f g h i j k Heraldic Media Limited. “Albemarle, Earl of (E, 1696/7)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2020年1月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月30日閲覧。
  3. ^ Lundy, Darryl. “Arnold Joost van Keppel, 1st Earl of Albemarle” (英語). thepeerage.com. 2020年1月30日閲覧。
  4. ^ Lundy, Darryl. “William Anne van Keppel, 2nd Earl of Albemarle” (英語). thepeerage.com. 2020年1月30日閲覧。
  5. ^ Lundy, Darryl. “General George Keppel, 3rd Earl of Albemarle” (英語). thepeerage.com. 2020年1月30日閲覧。
  6. ^ Lundy, Darryl. “William Charles Keppel, 4th Earl of Albemarle” (英語). thepeerage.com. 2020年1月30日閲覧。
  7. ^ Lundy, Darryl. “William Coutts Keppel, 7th Earl of Albemarle” (英語). thepeerage.com. 2020年1月30日閲覧。
  8. ^ Lundy, Darryl. “Lt.-Col. Arnold Allen Cecil Keppel, 8th Earl of Albemarle” (英語). thepeerage.com. 2020年1月30日閲覧。
  9. ^ Lundy, Darryl. “Walter Egerton George Lucian Keppel, 9th Earl of Albemarle” (英語). thepeerage.com. 2020年1月30日閲覧。
  10. ^ a b Lundy, Darryl. “Rufus Arnold Alexis Keppel, 10th Earl of Albemarle” (英語). thepeerage.com. 2020年1月30日閲覧。

関連項目

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