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アルバート (砲艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「アルバート」の図、ブラッセイ海軍年鑑1888年-1889年より

アルバート(HMVS Albert)はヴィクトリア植民地の砲艦。

アームストロング・ミッチェル社で建造[1]。1882年9月30日起工[1]。1883年6月6日進水[1]。1884年1月26日竣工[1]

排水量350トン[2]、または370トン、全長120フィート、水線長115フィート[3]、幅22フィート[2]、または25フィート[3]。機関は直動複式蒸機関2基[3]。2軸推進[1]、出力400ihpで速力10.6ノット[3]、または376ihpで10.18ノット[1]、もしくは400hpで10ノット[2]。兵装は27口径8インチ後装施条砲1門、19口径6インチ後装施条砲1門、9ポンド後装施条砲2門、3ポンド・ノルデンフェルト砲(1.5インチ・ノルデンフェルト機関砲[3])2門であった[1]。ノルデンフェルト砲は1888年に6ポンド速射砲に換装された[3]

「アルバート」は1884年2月3日に砲艦「ヴィクトリア」とともにスピットヘッドに向かい、、2月14日にジブラルタルへ向けて出航[3]。2月26日にはマルタに着き、そこで水雷艇「Childers」が加わった[2]。当時イギリスはスーダンで戦闘中であり、そちらでの使用をヴィクトリア植民地政府が申し出でて3隻はSuakinへ派遣されたが、そこに3月19日に到着した時には3隻は必要とされなくなっていた[2]。6月25日、3隻はポートフィリップ湾に到着した[4]

1895年、兵装などが撤去され[2]、係船状態となる[1]。翌年、ヴィクトリア政府は「アルバート」と「ヴィクトリア」を売却しようとしたが「アルバート」は売れず、Department of Worksに移管されて発破船(または浮標見回り船[1])となった[3]

第一次世界大戦中にオーストラリア海軍が取得して曳船に改装しようとしたが、費用が掛かりすぎることから処分されることとなり、民間会社へ売却されて艀になった[5]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i Colin Jones, "The Navy of Victoria, Australia", p. 78
  2. ^ a b c d e f HMAS Albert (HMVS) | The Sea Power Centre(2024年12月3日閲覧)
  3. ^ a b c d e f g h Ross Gillet, Australia's Colonial Navies, ALBERT
  4. ^ Ross Gillet, Australia's Colonial Navies, VICTORIA(II)
  5. ^ Colin Jones, "The Navy of Victoria, Australia", p. 78. Ross Gillet, Australia's Colonial Navies, ALBERT

参考文献

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