アルヌール1世 (フランドル伯)
アルヌール1世 Arnoul I | |
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フランドル伯 | |
在位 | 918年 - 965年 |
出生 |
893/9年 |
死去 |
965年3月27日 |
埋葬 | フランドル伯領、ヘント、シント=ピーター修道院 |
配偶者 | アデル・ド・ヴェルマンドワ |
子女 | 本文参照 |
家名 | フランドル家 |
父親 | フランドル伯ボードゥアン2世 |
母親 | エルフスリュス・オブ・ウェセックス |
アルヌール1世(Arnoul I, 893/9年[1] - 965年3月27日)[2]は、フランドル伯(在位:918年 - 965年)。大伯(le Grand)といわれる[3]。
生涯
[編集]アルヌール1世はフランドル伯ボードゥアン2世と、ウェセックス王アルフレッド大王の娘エルフスリュスの息子である[4]。母を通してアングロ=サクソンのイングランド王の子孫であり、また父方を通してカール大帝の子孫でもあった[5]。アルヌールの名はカロリング家の祖先メッツ司教アルヌルフ[6]、あるいは父が支持した東フランク王アルヌルフからつけられたと考えられる。
父ボードゥアン2世が918年に死去した後、アルヌールはフランドル伯となり、弟アダロルフがブローニュ伯となった[4]。しかし、933年にアダロルフが亡くなり、アルヌールがブローニュ伯となったが、後に甥アルヌール2世にブローニュ伯位を与えた[7]。アルヌールは「神の恩寵による伯」と名乗った[8]。
アルヌール1世はフランドルの支配を南に大きく拡大させ、アルトワ、ポンチュー、アミアンおよびオストゥルヴァンの全部または一部を手に入れた。アルヌールはシャルル3世とロベール1世の対立、そして後にルイ4世と貴族らの対立を利用した。また、ブルッヘを政権の中心とし、主要な貿易拠点としての町の発展に貢献した[9]。
南への拡大において、アルヌールは北の辺境を確保しようとしていたノルマン人と衝突した。そしてこれはアルヌールの臣下による942年のノルマンディー公ギヨーム1世の殺害につながった[10]。ヴァイキングの脅威はアルヌールの晩年には低下し、アルヌールはフランドルの改革に注意を向けた。アルヌールは964年3月27日に死去したが、ノルマンディー公ギヨーム1世殺害の報復としてエルランに殺害されたともいわれている[1]。
アルヌール1世はヘントのシント=ピーター修道院に埋葬された[11]。
アルヌールは958年に息子ボードゥアン3世を共同統治者としたが、ボードゥアン3世は962年に早世したため、アルヌールの死後、ボードゥアン3世の幼い息子であるアルヌール2世がフランドル伯位を継承した。
子女
[編集]アルヌールの最初の妻の名は不明であるが、少なくとも1女が生まれた[12]。
- 娘 - カンブレー伯イザークと結婚。息子アルヌールはカンブレー伯を継承した[12]。
934年にヴェルマンドワ伯エルベール2世の娘アデルと結婚し[4]、以下の子女をもうけた。
- イルデガルド(934年頃 - 990年) - ホラント伯ディルク2世と結婚。母は最初の妃かアデルか不明。
- リュートガルド(935年 - 962年) - ハマラント伯ヴィヒマン4世と結婚[4]
- エグベール(937年 - 953年)[4]
- ボードゥアン3世(940年頃 - 962年) - フランドル伯(父と共治)、父に先立って死去。ヘルマン・ビルングの娘マティルデと結婚[4]。
- エルフトリュード - ギネ伯シークフリードと結婚[4]
脚注
[編集]- ^ a b “FLANDERS COUNTS”. Foundation for Medieval Genealogy. 2022年10月22日閲覧。
- ^ Mellersh & Williams 1999.
- ^ “Arnulf I, Count of Flanders”. British Museum. 2023年4月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g Schwennicke 1984, Tafel 5.
- ^ The Annals of Flodoard of Reims, 919–966, ed. Steven Fanning & Bernard S. Bachrach (University of Toronto Press, CA, 2011), p. xx
- ^ Grierson 1941, p. 86 n. 1.
- ^ Nip 1999, p. 150.
- ^ Jan & LeJan 1995.
- ^ Arnade 2019, pp. 1071–1073.
- ^ Nicholas 1992, p. 40.
- ^ “Arnulf (Arnoul) I "the Great" or "the Old" (Arnulfus Magnus, Arnulfus Vetulus) Marquis of Flanders, 918-964×5”. The Henry Project. 5 December 2018閲覧。
- ^ a b Tanner 2004, p. 55 n. 143.
参考文献
[編集]- Mellersh, H. E. L.; Williams, Neville (1999). Chronology of World History. ABC-CLIO. ISBN 978-1-57607-155-7
- Schwennicke, Detlev (1984). Europäische Stammtafeln: Stammtafeln zur Geschichte der Europäischen Staaten, Neue Folge. Band II. Marburg, Germany: Verlag von J. A. Stargardt, Tafel 5
- Grierson, Philip (1941). “The Relations between England and Flanders before the Norman Conquest”. Transactions of the Royal Historical Society Vol. 23., p. 86 n. 1
- Nip, Renée (1999). “The Political Relations between England and Flanders (1066–1128)”. In Christopher Harper-Bill. Anglo-Norman Studies 21: Proceedings of the Battle Conference 1998. Woodbridge, UK: The Boydell Press. p. 150
- Jan, Régine Le; LeJan, Régine (1995) (フランス語). Famille et pouvoir dans le monde franc (VIIe-Xe siècle): essai d'anthropologie sociale. Publications de la Sorbonne. ISBN 978-2-85944-268-2
- Arnade, Peter (2019). “Medieval Bruges, c. 850–1550. Andrew Brown and Jan Dumolyn, eds. Cambridge: Cambridge University Press, 2018. xxii + 550 pp. $99.99.”. Renaissance Quarterly 72 (3): 1071–1073. doi:10.1017/rqx.2019.306. ISSN 0034-4338 .
- Nicholas, David (1992). Medieval Flanders. Longman Group UK, Ltd.
- Tanner, Heather J. (2004). Families, Friends and Allies: Boulogne and Politics in Northern France and England, C.879–1160. Leiden, Netherlands: Brill, p. 55 n. 143
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