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アラン・ボゴシアン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アラン・ボゴシアン
名前
ラテン文字 Alain Boghossian
基本情報
国籍 フランスの旗 フランス
アルメニアの旗 アルメニア
生年月日 (1970-10-27) 1970年10月27日(54歳)
出身地 ディジョン
身長 185cm
体重 82kg
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1988-1992 フランスの旗 マルセイユリザーブ 78 (12)
1992-1993 フランスの旗 イストル 33 (8)
1993-1994 フランスの旗 マルセイユ 28 (2)
1994-1997 イタリアの旗 ナポリ 54 (5)
1997-1998 イタリアの旗 サンプドリア 31 (6)
1998-2002 イタリアの旗 パルマAC 67 (7)
2002-2003 スペインの旗 エスパニョール 5 (0)
代表歴
1997-2002 フランスの旗 フランス 26 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アラン・ボゴシアン(Alain Boghossian、1970年10月27日 - )は、フランスディジョン出身の元サッカー選手である。アルメニア系フランス人。

略歴

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オリンピック・マルセイユでのプレーをマルチェロ・リッピが注目し、SSCナポリ監督時に獲得を進言していたことから、1994-95シーズン、ナポリに移籍した[1]。加入初年度は怪我を繰り返し、リーグ戦16試合に出場するに留まった[1]。1995-96シーズンは、24試合に出場。1996-97シーズン、コッパ・イタリアの決勝に進出、ファンからは親しみを込めて、エイリアンというあだ名で呼ばれた[1]1997-98シーズン、UCサンプドリアへと移籍、このシーズンのリーグ戦31試合で6得点を挙げるなど、レベルの高いプレーを披露、キャリアで最も良いシーズンの1つを送った[1]

1998-1999シーズン、ワールドかップ後に、ユヴェントスとインテルが獲得に動いたが、サンプドリアと金額が折り合わず、4年契約でパルマへ移籍することとなった[1]。このシーズン、公式戦38試合で5得点、UEFAカップコッパ・イタリアを優勝した[1]。以降怪我での欠場が多く、活躍が出来なかったが、2001-02シーズン、2度目のコッパ・イタリアを制した[1]

2002-2003シーズンにエスパニョールへ移籍するが、怪我のためわずか5試合の出場にとどまり、2003年に僅か32歳で引退した[1]

フランス代表には1997年10月11日の南アフリカ共和国戦でデビュー[1]、翌年の1998年ワールドカップでは、決勝のブラジル戦を含む5試合に出場(うち4試合は途中出場)して優勝メンバーの一員となった[1]EURO2000のメンバーからは、膝の負傷のため外れた[1]2002年ワールドカップではメンバーに入ったが、足首の怪我で試合出場はなかった[1]。フランス代表では26試合2得点[1]

EURO2008の後、アシスタントコーチとしてフランス代表のスタッフに入り、2012年まで入閣していた[1]

個人成績

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代表での成績

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出典[2]


フランス代表国際Aマッチ
出場得点
1997 2 0
1998 12 2
1999 8 0
2000 0 0
2001 1 0
2002 3 0
合計 26 2

タイトル

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クラブ

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UEFAカップ : 1998-99
コッパ・イタリア : 1998-99, 2001-02
スーペルコッパ・イタリア : 1999

代表

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FIFAワールドカップ : 1998

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n Alain Boghossian, centrocampista fragile dal goal facile che perse un Europeo per un infortunio”. GOAL (2022年10月27日). 2023年8月20日閲覧。
  2. ^ Boghossian, Alain”. National-Football-Teams. 2017年7月7日閲覧。