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アビアンカ航空011便墜落事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アビアンカ航空011便
事故機の HK-2910X
(1983年·シャルル・ド・ゴール国際空港にて撮影)
出来事の概要
日付 1983年11月27日
概要 パイロットエラー、及びATCエラーによるCFIT
現場 スペインの旗 スペインマドリード
乗客数 169
乗員数 23
負傷者数 11
死者数 181
生存者数 11
機種 ボーイング747-283B
運用者 コロンビアの旗 アビアンカ航空
機体記号 HK-2910
出発地 西ドイツの旗 フランクフルト空港
第1経由地 フランスの旗 パリ=シャルル・ド・ゴール空港
第2経由地 スペインの旗 マドリッド・バラハス国際空港
最終経由地 ベネズエラの旗 シモン・ボリバル国際空港
目的地 コロンビアの旗 エルドラド国際空港
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アビアンカ航空011便墜落事故(アビアンカこうくう011びんついらくじこ)は、1983年11月27日午前0時6分 (UTC) ごろにスペインマドリード=バラハス空港の南東12キロメートル付近にアビアンカ航空011便が墜落した事故である。

乗員乗客192人中181人が死亡した。

概要

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アビアンカ航空011便(ボーイング747-283B、機体記号:HK-2910)は、フランクフルト始発、パリマドリードカラカスを経由してボゴタを最終目的地とする国際定期便だった。

当日(1983年11月26日)はフランクフルト – パリ間のフライトがキャンセルされ、当該区間の乗客はルフトハンザドイツ航空便に振り替えられた。このルフトハンザ便の到着が遅れたため、それを待っていたアビアンカ011便の離陸も1時間20分ほど遅れて22時25分になった。

FL370 まで上昇した後、23時31分にマドリードの管制にコンタクトし、Pamplona、Barahona、Castejon の各通過点経由でマドリードVORへの飛行クリアランスを得た。15分後 FL190 までの降下を許された。23時52分、さらに FL90 までの降下が許された。

23時56分にマドリッドの管制にコンタクトした後、滑走路 33 へのアプローチ許可を得た。日付が変わり27日0時0分にFL90まで降下した後にさらに降下する許可を得た。0時3分には管制から着陸のクリアランスを得た。

通常の手順では、高度4,000フィートでCPL(VORの名称)直上を通過し直後に右旋回して滑走路直進進入コースに乗る。2海里ほど同高度のまま直進して ILS のグライドスロープを捉え降下を開始し、アウターマーカー上空を高度 3,282 フィートで通過するというものだった。

着陸のクリアランスを受けた時点ではまだ CPL の6海里以上手前の位置を高度4,000フィートで飛行していたが、クルーらはこのまま直進する代わりに右旋回を開始し、降下しながらアウターマーカー付近で再び右旋回して着陸コースに入るショートカットコースをとれば時間節約になると考えた。この際、副操縦士は操縦していた機長に対してアウターマーカー通過高度を、3,282フィートではなく、誤って先頭の二桁が入れ替わった 2,382フィートと告げた[1]。機長も自分の ILS チャートを確認しなかった。マドリッド空港は高度1,902フィートにあるので、「2,382フィート」では地表から480フィート(約146メートル)ほどの高度であり、しかもアウターマーカー付近の地形は数十ないし100メートル程度の小高い丘が点在していた。ILSグライドスロープを捉えるのに、パイロットは習慣として下側から入るので、2,382フィートよりもさらに低い高度をとることになった。

墜落の14秒前にGPWS(対地接近警報)の音声警報が動作した。しかし機長は落ち着いた態度で、

「いいんだ、いいんだ (Bueno, bueno)」

といって何のアクションもしなかった。警報が鳴ったままの状態で5秒後にふたたび、

「いいんだよ (Bueno)」

と言いながら自動操縦を外したが、高度を上げる操作はしなかった。GPWS の音声警報はやまなかったので、隣の副操縦士は気が気でなくなり、

「地表と言ってますが何の意味ですか、機長 (Que dice el terreno Comander)」

と質問した。その1秒後には初めの衝撃音が記録された。

標高2,247フィートの丘に速度142ノットで右主脚と第4エンジンが触れた。3秒後には速度135ノット、4.9度の機首上げ姿勢で次の丘に衝突。さらに6秒後に126ノットで地面に右翼から墜落した。機体は横転して五つに分断した。169名の乗客のうち、生存したのは11名、乗員23名(デッドヘッド4名を含む)に生存者は無かった。

原因

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スペイン民間航空事故調査委員会 (CIAIAC) は、その報告書で以下のように原因を推定している。

機長は、正確な自機の位置を把握することなく、公示された計器進入操作によらず誤った方位でILSを捉えようとし、最低安全高度を下回る高度を飛行した結果地面に衝突した。寄与因子としては;
  • 不正確なナビゲーションにより、正しくない位置から進入操作を始めたこと
  • 対地接近警報 (GPWS) が動作したにもかかわらず、正しいアクションを起こさなかったこと
  • 操縦室内のチームワーク不足
  • 管制塔が当該機に対して不正確な位置情報を伝えたこと
  • 管制官は、レーダーサービスが終わったことを当該機に告げることなく、またレーダー上で継続監視することを怠ったこと
を挙げている[2]

脚注

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  1. ^ ビーティー、256頁
  2. ^ 事故調査報告書

参考文献

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関連項目

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座標: 北緯40度24分12秒 西経3度26分57秒 / 北緯40.40333度 西経3.44917度 / 40.40333; -3.44917