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アナトリー・フリツェンコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アナトリー・フリツェンコ
Анатолій Гриценко
ヴェルホーヴナ・ラーダ議員
任期
2007年12月15日[1] – 2014年11月27日
ウクライナ国防大臣
任期
2005年2月4日[2] – 2007年12月18日
首相ユリア・ティモシェンコ
ユーリー・エハヌロフ
ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ
前任者オレクサンドル・クズムク[3]
後任者ユーリー・エハヌロフ
個人情報
生誕 (1957-10-25) 1957年10月25日(67歳)
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の旗 ウクライナ・ソビエト社会主義共和国ズベニホロドカ・ライオン英語版
政党Civil Position英語版[4]
配偶者
Liudmyla Mykhailivna
(結婚 1978年、離婚 2002年)

Yuliia Volodymyrivna Mostova
(結婚 2003年)
[5]
子供
  • with Liudmyla Hrytsenko:
  •  – Oleksii (b. 1979)
  •  – Svitlana (b. 1982)
  • with Yulia Mostova:
  •  – Hanna (b. 2004)
  •  – Hlib Razumkov (b. 1998, stepson)
住居キーウ
公式サイトgrytsenko.com.ua

アナトリー・ステパノヴィチ・フリツェンコウクライナ語: Анатолій Степанович Гриценко英語: Anatoliy Stepanovych Hrytsenko1957年10月25日 - )は、ウクライナ政治家。第8代国防大臣を務めた[4][6][7]

経歴

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教育

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チェルカースィ州出身。Kyiv Higher Military Aviation Engineering Schoolを1979年6月23日に卒業[8]。Kyiv Higher Military Aviation Engineering Schoolで1984年12月10日に博士候補を授与。アメリカ国防総省語学学校を1993年に卒業。1994年6月6日、U.S. Air War Collegeのプログラムを卒業。1995年10月30日、ウクライナ軍のアカデミーを卒業。そのほか、ウクライナ、ベルギー、オランダ、米国、ドイツ、スイスで100以上の論文を発表している[5]

ウクライナ陸軍での経歴

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フリツェンコはウクライナ軍に25年間勤務し、戦闘部隊や国防大学教授、ウクライナ国防省の職員として活躍した[9]。フリツェンコの最終階級は大佐であった[9]

政治経歴

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フリツェンコは2005年2月に第1次ティモシェンコ内閣で国防大臣に就任し、エハヌロフ政権でも留任した。2006年8月4日、彼はユシチェンコ大統領の指名によりヴィクトル・ヤヌコーヴィチ政権でも国防大臣に再任された[9]

2007年ウクライナ最高議会選挙では、親ユーシチェンコ派の我々のウクライナ・人民自衛ブロック英語版から出馬し、ウクライナ最高議会代議士に選出された[9]

2010年1月、フリツェンコはCivil Position英語版の党首に就任した[10]。フリツェンコは2010年のウクライナ大統領選挙で大統領候補となり、選挙では1.2%の票を獲得した[11]。第2回投票では、両候補(ユリア・ティモシェンコヴィクトル・ヤヌコーヴィチ)に反対票を投じるよう呼びかけた[12]。Civil Positionは2010年ウクライナ地方選挙でテルノーピリ市議会で1議席を獲得した。2012年ウクライナ最高議会選挙でもフリテェンコは当選したが、その後派閥との意見の不一致により議員を辞任した[13]

フリツェンコは2014年ウクライナ大統領選挙に出馬したが落選した。5.48%の票を獲得し、4位であった[14][15]

以降、2014年ウクライナ最高議会選挙や2019年ウクライナ最高議会選挙では、民主同盟英語版から立候補したが議席を獲得できず、2019年ウクライナ大統領選挙にも出馬したが、第2回投票に進まず、第1回投票では6.91%の得票率で5位となった[16][17]

脚注

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出典

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  1. ^ You Scratch My Back, and I’ll Scratch Yours” (ウクライナ語). The Ukrainian Week (2012年9月26日). 2023年4月14日閲覧。
  2. ^ Order of President on appointment of Anatoliy Hrytsenko on Ukraine Minister of Defence position” (2005年2月4日). 2023年4月14日閲覧。
  3. ^ Order of President on dismissal of Oleksandr Kuzmuk from Ukraine Minister of Defence position” (2005年2月3日). 2023年4月14日閲覧。
  4. ^ a b (ウクライナ語) Політична партія „Громадянська позиція“, Database DA-TA
  5. ^ a b (ロシア語) Short bio, LIGA
  6. ^ Western Ukrainian intelligentsia calls on candidates for president to withdraw in favor of Tymoshenko Archived March 14, 2012, at the Wayback Machine., Interfax-Ukraine (October 1, 2009)
  7. ^ Civil Position organization has chance to become 160th political party Archived December 5, 2010, at the Wayback Machine., Radio Ukraine (December 11, 2008)
  8. ^ Diploma of Kyiv Military Aviation School”. 2007年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月10日閲覧。
  9. ^ a b c d Гриценко Анатолий” (ロシア語). LIGA. 2024年11月16日閲覧。
  10. ^ Гриценко піде на вибори на чолі перейменованої партії?” (ウクライナ語). Українська правда. 2024年11月16日閲覧。
  11. ^ Gazeta.ua (2010年1月25日). “ЦВК оприлюднила офіційні результати 1-го туру виборів” (ウクライナ語). Gazeta.ua. 2024年11月16日閲覧。
  12. ^ Tymoshenko’s Looming Defeat: How Did She Make It Inevitable? - Serhiy Kudelia”. web.archive.org (2013年11月11日). 2024年11月16日閲覧。
  13. ^ Hrytsenko resigns from parliament”. 2024年11月16日閲覧。
  14. ^ Порошенко тотально лідирує в електоральних симпатіях українців, Тігіпко трохи випереджає Тимошенко - опитування GFK / Новини / Finance.ua”. web.archive.org (2014年5月15日). 2024年11月16日閲覧。
  15. ^ Poroshenko wins presidential election with 54.7% of vote - CEC < News < Home”. web.archive.org (2014年5月29日). 2024年11月16日閲覧。
  16. ^ Результати виборів президента України 2019. Перший тур” (ウクライナ語). Українська правда. 2024年11月16日閲覧。
  17. ^ CEC counts 100 percent of vote in Ukraine's parliamentary elections” (英語). www.ukrinform.net (2019年7月26日). 2024年11月16日閲覧。

外部リンク

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公職
先代
オレクサンドル・クズムク
ウクライナ国防大臣
2005–2007
次代
ユーリー・エハヌロフ