アドルフ・チェフ
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アドルフ・チェフ Adolf Čech | |
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基本情報 | |
出生名 |
アドルフ・ヤン・アントニーン・タウシク (Adolf Jan Antonín Tausik) |
生誕 |
1841年12月11日 オーストリア帝国 ボヘミア王国、セドレツ=プルチツェ |
死没 |
1903年12月27日(62歳没) オーストリア=ハンガリー帝国 ボヘミア王国、プラハ |
ジャンル |
クラシック音楽 チェコ国民楽派 オペラ |
職業 |
指揮者 歌手 |
担当楽器 | 歌 (バス) |
活動期間 | 1862年 - 1900年 |
アドルフ・チェフ(チェコ語: Adolf Čech、1841年12月11日 - 1903年12月27日)は、チェコ[注釈 1]の指揮者。
アントニン・ドヴォルザーク、ベドルジハ・スメタナ、ズデニェク・フィビフら、チェコ(チェコ国民楽派)を代表する作曲家の数々の作品の初演で指揮を担当している。特に、ドヴォルザークの作品では、交響曲第2番、第5番、第6番や、4本のオペラ、スターバト・マーテルなど数々の作品の初演で指揮を担当している。また、スメタナの連作交響詩『わが祖国』、4本のオペラもチェフが初演を担当している。
また、これらに加えて、チェフはピョートル・チャイコフスキーの2本のオペラのロシア国外初上演や、ジャック・オッフェンバックの7本のオペレッタのチェコ初上演などでも指揮を担当している。
このように、指揮者として功績を残しているチェフであるが、指揮者だけでなく、バス歌手や、リブレットの翻訳家としても活動していた。
経歴
[編集]アドルフ・チェフは、1841年12月11日、オーストリア帝国(現・チェコ)のプラハの南に位置する街・セドレツ=プルチツェで、歌唱教師の息子として生まれた。出生名は、アドルフ・ヤン・アントニーン・タウシク (Adolf Jan Antonín Tausik)。兄弟に、後に歌手として活動するカレル・チェフがいる。チェフは音楽家になる前は、プラハでエンジニアになる勉強をしていた。1862年より、仮劇場の聖歌隊指揮者兼副指揮者となった。同劇場でチェフは、ジュゼッペ・ヴェルディの『イル・トロヴァトーレ』、ガエターノ・ドニゼッティの『ベリザーリオ』、ジョアキーノ・ロッシーニの『オテッロ』、アルベルト・ロルツィングの『ロシア皇帝と船大工』、ジャコモ・マイアベーアの『ディノラ』、フリードリッヒ・フォン・フロトーの『マルタ』や『アレッサンドロ・ストラデッラ』といったオペラの指揮を担当した[1]。1862年から1866年までは、バス歌手としても活動しており、オペラ中の小さなソロを担当している。例えば、『セビリアの理髪師』(ロッシーニ)のバジリオ、『ユグノー教徒』(マイアベーア)のマルセル、『グラナダの夜営』(コンラディン・クロイツァー)のペドロ、『イル・トロヴァトーレ』(ヴェルディ)のルイスなどの役をこなしている[1]。1864年には、ウジェーヌ・スクリーブが書いた『ユダヤの女』(ジャック・アレヴィ)のリブレットをチェコ語に翻訳したり、ジャック・オッフェンバックの『地獄のオルフェ』のチェコ初演も行っている[1]。
1865年から1866年の間、オロモウツのチェコ劇場に代理指揮者として赴任していた。1867年になって、仮劇場に戻る。そこで、主にコミックオペラの指揮によって、チェフの名は徐々に有名になった。チェフは、オッフェンバックの『盗賊』(1870年)、『トレビゾンド姫』(1871年)、『雪だるま』(1872年)、『密猟者』、『青ひげ』(1874年)、『美しきエレーヌ』(1875年)の指揮をしている[1]。
1873年には、ロベルト・シューマンの『交響曲第3番』のプラハ初演で指揮している[1]。
1874年夏に、仮劇場の芸術監督を務めていたスメタナが体調を崩し、仕事が出来なくなると、チェフはスメタナの代理として指揮台に立った。スメタナが同年秋に正式に仮劇場から退くと、後任にはスメタナと激しく対立していたヤン・ネポムク・マイールが復帰する形で就任した[注釈 2]。
チェフは、1875年4月4日、スメタナの『ヴルタヴァ』の初演を指揮を担当した[2][3]。同曲は、後に全6曲からなる連作交響詩『わが祖国』の第2曲となる楽曲で、1882年に全曲通しての初演が行われた。この初演時もチェフは指揮者としてステージに立った。
1876年には、ドヴォルザークのオペラ『プルジェデフラ・ヴァンダ』を初演し、12月18日には『弦楽セレナーデ』も初演した[4]。これと同じコンサート(もしくは1877年3月17日)[5] に、スメタナの交響詩『シャールカ』を初演している[6] 。同曲は、『わが祖国』の第3曲となる楽曲である。
チェフは、この時期にスメタナのオペラの初演でも指揮を行っており、『口づけ』(1876年11月7日)、『秘密』(1878年11月18日)の初演で指揮をしている。加えて、『二人のやもめ』の改訂版初演(1878年3月17日)でも指揮者を務めている[1][7]。
ドヴォルザークは、1876年の8月から9月の間に、『ピアノ協奏曲』を作曲した。この楽曲は、カレル・スラフコフスキーの依頼で作曲され、初演時はスラフコフスキーのピアノで行われた。この時、チェフが指揮をしている[8]。1879年3月25日、ドヴォルザークの『交響曲第5番』、4月23日に『祝典行進曲 ハ長調』の初演も行っている[9]。更には、同年5月16日には、ドヴォルザークの『チェコ組曲』を初演[10][11]。このコンサートでは、『スラヴ舞曲第1集 第1番、第2番、第4番』の管弦楽版初演も行っている[12][13]。
1880年12月23日には、プラハの音楽芸術協会の定期演奏会で、ドヴォルザーク初の宗教をテーマにした楽曲である『スターバト・マーテル』を初演した。
ドヴォルザークの『交響曲第6番』の上演は、トラブルが原因で、チェフに初演の指揮が回ってきた。元々、ドヴォルザークは同曲の作曲を依頼したハンス・リヒターに献呈した。そして当初は、リヒターが1880年12月末にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と初演する計画であった。ところが、リヒターが私生活において事情が出来たこと、当時のウィーンにおける反チェコ感情などがあったこと、更にはドヴォルザークが事実上ウィーンでは無名の存在であったこと(当時、ドヴォルザークの交響曲で出版されたものは無かった)などの事情が合わさり、何度も延期されることとなった。結局、ドヴォルザークは、チェフの初演の申し出に応じ、1881年3月25日にプラハで同曲は初演、チェフが指揮した。最終的に、ウィーンでは1883年まで演奏されることはなく、リヒターの指揮ではなかった。リヒター自身はこの曲の指揮を何度も行ったが、ウィーンで指揮することは一度もなかった[14][15][5][16][17]。
チェフが所属していた仮劇場は、1881年6月11日に国民劇場が開場し、チェフは仮劇場から引き続き国民劇場に所属することになった。国民劇場開場時のこけら落としでは、スメタナの『リブシェ』が上演され、チェフが指揮を行っている[1] 。翌1882年10月29日には、スメタナのオペラ『悪魔の壁』を初演。ただし、このオペラの初演は、オペラ自体の難しさに加えて、リハーサル不足なども相まって失敗に終わっている。このオペラの初演の失敗から数日後、11月5日には、スメタナの連作交響詩『わが祖国』の全6曲通しての初演で指揮棒を振るった[1][18][19]。この初演は成功を収めている。
1882年7月28日、チェフはピョートル・チャイコフスキーのオペラのロシア国外初演、『オルレアンの少女』のチェコ初演でも指揮を行っている[20]。
1883年に、チェフは仮劇場[注釈 3](その後、国民劇場)の首席指揮者となり、1900年までその地位にあった[21]。
1884年3月28日、ズデニェク・フィビフのオペラ『メッシーナの花嫁』を初演。1885年には、リヒャルト・ヴァーグナーのオペラ『ローエングリン』を国民劇場初上演[1]。チェフは、この後、1894年にヴァーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の国民劇場初上演でも指揮をしている。
1887年6月15日、ドヴォルザークのオペラ『王様と炭焼き』改訂3版の初演をしている[22]。
同年11月2日、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』世界初演100年祭でも指揮している[1]。
1888年3月、チェフはドヴォルザークの『交響曲第2番』を初演。同曲は1865年に完成していたが、その際には初演されることなく、いくらか改訂をくわえて、初演された[15]。この初演が、ドヴォルザーク存命中に行われた『交響曲第2番』の唯一の上演であった。この初演で、チェフはドヴォルザークの交響曲を3曲初演したことになり、結果的にドヴォルザークの交響曲を最も多く初演した指揮者となった[注釈 4]。
チェフは、チャイコフスキーのオペラ『エフゲニー・オネーギン』のチェコ初上演のために、オーケストラの練習で指揮を行っている。これは、同オペラのロシア国外初上演でもあり、台本はマリエ・チェルヴィンコヴァー=リエグロヴァーによってチェコ語に翻訳されたものを使用した。ただし、1888年12月6日のチェコ初上演では、指揮を作曲者でもあるチャイコフスキーが担っている。1892年10月12日には、チャイコフスキーのオペラ『スペードの女王』(チェコ語翻訳版)の国民劇場でのチェコ初上演でも指揮を行っている。この初上演は作曲者であるチャイコフスキーも観劇している[20]。
1893年には、スメタナのオペラ『売られた花嫁』をベルリンで初上演し、大きな成功を収めた[1]。
1897年12月28日、フィビフのオペラ『シャールカ』の初演を国民劇場で行う[23]。1898年6月19日、ドヴォルザークのオペラ『ジャコバン党員』改訂版の初演を行った[24]。同年8月6日には、ユリウス・ゼイエルの劇『ラドゥースとマフレナ』の付随音楽(ヨセフ・スク作曲)を初演[1]。1899年4月23日、ドヴォルザークのオペラ『悪魔とカーチャ』を初演した。
1903年12月27日にプラハで死去。62歳没。遺体は、プラハのオルシャンスケー墓地に埋葬された[1]。
チェフが指揮した主な初演
[編集]上演日 | ジャンル | 日本語タイトル | 原語タイトル | 作曲者 | 備考 | |
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チェコ初上演 | 1864年 | 歌劇 | 地獄のオルフェ | Orpheé aux Enfers | ジャック・オッフェンバック | |
チェコ初上演 | 1870年 | 歌劇 | 盗賊 | Les brigands | ジャック・オッフェンバック | |
チェコ初上演 | 1871年 | 歌劇 | トレビゾンド姫 | La Princesse de Trébizonde | ジャック・オッフェンバック | |
チェコ初上演 | 1872年 | 歌劇 | 雪だるま | Boule de neige | ジャック・オッフェンバック | |
チェコ初上演 | 1873年 | 歌劇 | 密猟者 | Les braconniers | ジャック・オッフェンバック | |
チェコ初上演 | 1874年 | 歌劇 | 青ひげ | Barbe-bleue | ジャック・オッフェンバック | |
チェコ初上演 | 1874年 | 歌劇 | 美しきエレーヌ | La belle Hélène | ジャック・オッフェンバック | |
プラハ初上演 | 1875年 | 管弦楽曲 | 交響曲第3番『ライン』 | Symphonie Nr. 3 "Rheinische" | ロベルト・シューマン | |
世界初上演 | 1875年4月4日 | 管弦楽曲 | ヴルタヴァ | Vltava | ベドルジハ・スメタナ | 連作交響詩『わが祖国』第2曲 |
世界初上演 | 1876年4月17日 | 歌劇 | プルジェデフラ・ヴァンダ | Předehra Vanda | アントニン・ドヴォルザーク | |
世界初上演 | 1876年11月7日 | 歌劇 | 口づけ | Hubička | ベドルジハ・スメタナ | |
世界初上演 | 1876年12月10日 | 室内楽曲 | 弦楽セレナーデ | Smyčcová serenáda | アントニン・ドヴォルザーク | |
世界初上演 | 1876年12月10日 1877年3月17日説有 |
管弦楽曲 | シャールカ | Šárka | ベドルジハ・スメタナ | 連作交響詩『わが祖国』第3曲 |
改訂版初上演 | 1878年3月17日 | 歌劇 | 二人のやもめ | Dve vdovy | ベドルジハ・スメタナ | 改訂最終版 |
世界初上演 | 1878年3月24日 | 室内楽曲 | ピアノ協奏曲 | Koncert pro klavír a orchestr | アントニン・ドヴォルザーク | |
世界初上演 | 1878年9月18日 | 歌劇 | 秘密 | Tajemství | ベドルジハ・スメタナ | |
世界初上演 | 1879年3月25日 | 管弦楽曲 | 交響曲第5番 | Symfonie č. 5 | アントニン・ドヴォルザーク | |
世界初上演 | 1879年4月23日 | 管弦楽曲 | 祝典行進曲 | Slavnostní pochod | アントニン・ドヴォルザーク | |
世界初上演 | 1879年5月16日 | 管弦楽曲 | チェコ組曲 | Česká suita | アントニン・ドヴォルザーク | |
世界初上演 | 1879年5月16日 | 管弦楽曲 | スラヴ舞曲第1集、第1番、第2番、第4番 | Slovanské tance I. řada Č.1, Č.2, Č.4 | アントニン・ドヴォルザーク | 管弦楽編曲版 |
世界初上演 | 1880年12月23日 | 教会音楽 | スターバト・マーテル | Stabat Mater | アントニン・ドヴォルザーク | |
世界初上演 | 1881年3月25日 | 管弦楽曲 | 交響曲第6番 | Symfonie č. 6 | アントニン・ドヴォルザーク | |
世界初上演 | 1881年6月11日 | 歌劇 | リブシェ | Libuše | ベドルジハ・スメタナ | |
ロシア国外初上演 | 1882年7月28日 | 歌劇 | オルレアンの少女 | Орлеанская дева | ピョートル・チャイコフスキー | |
世界初上演 | 1882年10月29日 | 歌劇 | 悪魔の壁 | Čertova stěna | ベドルジハ・スメタナ | |
世界初上演 | 1882年11月5日 | 管弦楽曲 | わが祖国 | Má Vlast | ベドルジハ・スメタナ | |
世界初上演 | 1884年3月28日 | 歌劇 | メッシーナの花嫁 | Nevěsta messinská | ズデニェク・フィビフ | |
改訂版初上演 | 1887年6月15日 | 歌劇 | 王様と炭焼き | Král a uhlíř | アントニン・ドヴォルザーク | 第3改訂版 |
世界初上演 | 1888年3月11日 | 管弦楽曲 | 交響曲第2番 | Symfonie č. 2 | アントニン・ドヴォルザーク | |
ロシア国外初上演 | 1892年10月23日 | 歌劇 | スペードの女王 | Пи́ковая дама | ピョートル・チャイコフスキー | |
ベルリン初上演 | 1893年 | 歌劇 | 売られた花嫁 | Prodaná nevěsta | ベドルジハ・スメタナ | |
世界初上演 | 1897年12月28日 | 歌劇 | シャールカ | Šárka | ズデニェク・フィビフ | |
改訂版初上演 | 1898年6月19日 | 歌劇 | ジャコバン党員 | Jakobín | アントニン・ドヴォルザーク | |
世界初上演 | 1898年8月6日 | 劇付随音楽 | 劇付随音楽『ラドゥースとマフレナ』 | Radúz a Mahulena | ヨセフ・スク | |
世界初上演 | 1899年6月19日 | 歌劇 | 悪魔とカーチャ | Čert a Káča | アントニン・ドヴォルザーク |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 存命時は、1867年まではオーストリア帝国、それ以降はオーストリア=ハンガリー帝国の構成国としてのボヘミア王国。
- ^ スメタナが仮劇場の指揮者になる前、仮劇場の首席指揮者であった。
- ^ 国民劇場は会場から間もなく火災により焼失し、1883年末に再開場した。その焼失から再開場までの間、一度は国民劇場内に吸収された仮劇場が、別の場所に同名で復活し、活動していた。
- ^ チェフは、『交響曲第2番』、『交響曲第5番』、『交響曲第6番』の初演で指揮した。この他のドヴォルザークの交響曲の初演については、『交響曲第7番』、『交響曲第8番』がドヴォルザーク自身が指揮し、『交響曲第3番』、『交響曲第4番』がスメタナ、『交響曲第9番『新世界より』』がアントン・ザイドル、『交響曲第1番『ズロニツェの鐘』』がミラン・サックスの指揮の下、それぞれ初演された
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m ceskyhudebnislovnik.cz
- ^ Colorado Public Radio Archived 2013年6月16日, at Archive.is
- ^ Kennedy Center
- ^ Brandon Hill Chamber Orchestra Archived 2015年4月2日, at the Wayback Machine.
- ^ a b Cincinnati Symphony Orchestra Archived 2015年4月4日, at the Wayback Machine.
- ^ “アーカイブされたコピー”. 2013年3月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月21日閲覧。
- ^ David M Greene, Greene's Biographical Encyclopedia of Composers
- ^ ivanmoravec.net Archived 2012年12月13日, at the Wayback Machine.
- ^ IMSLP
- ^ Classical Archives
- ^ allmusic
- ^ Kennedy Center
- ^ Pine Bluff Symphony Archived 2013年11月26日, at the Wayback Machine.
- ^ Michael Steinberg, The Symphony: A Listener's Guide
- ^ a b Challenge Records
- ^ Naxos
- ^ Kennedy Center
- ^ quintessentialruminations
- ^ Radio Praha
- ^ a b Tchaikovsky Research Archived 2010年11月13日, at the Wayback Machine.
- ^ John Warrack ed, Concise Oxford Dictionary of Opera
- ^ [1]
- ^ Supraphon
- ^ [2]