アスタナ・ギリバングン
アスタナ・ギリバングン[1](Astana Giribangun)は、インドネシア第2代大統領スハルトの霊廟である。
霊廟は、中部ジャワ州カランアニャル県マテシにあり、スラカルタから約35キロメートル東のラウ山の斜面にある。「アスタナ・ギリバングン」は、古代ジャワ語で「上昇した山の宮殿」の意味である。霊廟の構造は伝統的なジャワの建築様式である。マンクヌガラン王の墓地の一角を占めており、マンクヌガラン1世・2世・3世の霊廟から約300メートルである。
スハルトは2008年1月27日にジャカルタで亡くなり、その2日後の1月29日にアスタナ・ギリバングンに埋葬された[2]。当時の大統領スシロ・バンバン・ユドヨノが式典を司った[3]。スハルトの遺体は、後妻のシティ・ハルティナ(1996年4月28日に死去)および彼女の母親とともに埋葬された[4]。
2010年10月、スハルトの遺族は、ジャワの伝統的な慣習に従って、死後1,000日後にアスタナ・ギリバングンで法事を行った[5]。
埋葬地にアスタナ・ギリバングンを選択したことにより、当時、論争を引き起された。多くのジャワ人は、スハルトが真に高貴な家柄ではなく、忠実な召使の子孫である平民であると信じていた。マンクヌガラン裁判所は、スハルトが実際にアスタナ(「宮殿」の意味)を建てることはできるが、アスタナ・ギリバングンの近くにある既存の王家の墓であるアスタナ・マンガデグよりも高くすることはできないと布告して、この論争を和解させた。アスタナ・マンガデグは、瞑想してシャクティからカリスマを描くというスハルトのケジャウェンの実践を支持していた多くのドゥクン、スピリチュアリスト、占い師によって特別な霊的な特徴を持つ場所にあると考えられていた[6]。
脚注
[編集]- ^ “マンスリー・レポート インドネシア2008年1月”. 在インドネシア日本国大使館. 2019年11月11日閲覧。
- ^ “Surakarta stops for Soeharto's entourage”. The Jakarta Post. (29 January 2008)
- ^ “Royal farewell to Soeharto”. The Jakarta Post. (29 January 2008)
- ^ “Archived copy”. tempointeraktif.com. 2009年8月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月9日閲覧。
- ^ “Government urged to clear Soeharto's name”. The Jakarta Post. (3 October 2010). オリジナルの2015年11月19日時点におけるアーカイブ。
- ^ Astana Giribangun. Panduan Peziarah. Yayasan Mangadeg Surakarta, 1996. See also Dwi Atmana, 'Mysticism shrouded Soeharto's life, death', The Jakarta Post, 29 January 2008.
参考文献
[編集]- Astana Giribangun. Panduan Peziarah. Yayasan Mangadeg Surakarta. 1996.(Indonesian language) ISBN unknown.
- Indonesia, Justine Varsulis. Lonely Planet, 2007: 206. ISBN 1-74104-435-9
- Dewi Sri in Village Garb: Fertility, Myth, and Ritual in Northeast Java, Journal article by Rens Heringa; in Asian Folklore Studies Vol. 56. Asian Folklore Studies 1997.
- Self and Self-Conduct among the Javanese "priyayi" Elite, translated from Indonesian by J. Joseph Errington. American Ethnologist, Vol. 11, No. 2 (May, 1984), pp.
座標: 南緯7度39分6.92秒 東経111度4分14.73秒 / 南緯7.6519222度 東経111.0707583度