アウレリオ・ミゲル
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獲得メダル | ||
---|---|---|
ブラジル | ||
柔道 | ||
オリンピック | ||
金 | 1988 ソウル | 95kg級 |
銅 | 1996 アトランタ | 95kg級 |
世界柔道選手権 | ||
銀 | 1993 ハミルトン | 95kg級 |
銀 | 1997 パリ | 95kg級 |
銅 | 1987 エッセン | 95kg級 |
アウレリオ・フェルナンデス・ミゲル( Aurélio Fernández Miguel 1964年3月10日- )はブラジルのサンパウロ出身の柔道選手。現役時代は95kg級の選手。身長180cm[1]。
人物
[編集]1983年に世界ジュニアで優勝する。1987年の世界選手権では2連覇することになる須貝等と接戦を演じて3位となる。そして翌年のオリンピックでは優勝を果たすも、その内容は旗判定や反則ポイントによる勝利の積み重ねで、技で上げた勝利がないことから、ポイント柔道の典型例として批判もされたが、その一方で、相手を一度も投げずに金を取ったのは、それはそれでたいしたことだと一定の評価を与える、当時の全日本監督の上村春樹のような声もあった[1][2]。 その後も1996年アトランタオリンピックで3位になったり、世界選手権で2度2位に入るなど、長きにわたって国際大会で活躍した[1]。引退後はサンパウロの市会議員も務める[3]。
主な戦績
[編集]- 1982年 - パンナム選手権 優勝
- 1983年 - 世界ジュニア 優勝
- 1984年 -ハンガリー国際 3位
- 1984年 - ベルギー国際 優勝
- 1984年 - オランダ国際 3位
- 1984年 - イギリス国際 2位
- 1984年 - オーストリア国際 2位
- 1984年 - 世界学生 95kg級 優勝 無差別 3位
- 1985年 - ユニバーシアード 95kg級 2位 無差別 3位
- 1986年 -ハンガリー国際 3位
- 1986年 -ドイツ国際 優勝
- 1986年 - 東ドイツ国際 3位
- 1986年 - 嘉納杯 3位
- 1987年 - パンナム選手権 優勝
- 1987年 - 世界選手権 3位
- 1988年 - フランス国際 2位
- 1988年 - ドイツ国際 優勝
- 1988年 - ハンガリー国際 優勝
- 1988年 - チェコ国際 2位
- 1988年 - オーストリア国際 優勝
- 1988年 - パンナム選手権 優勝
- 1988年 - ソウルオリンピック 優勝
- 1989年 - オーストリア国際 2位
- 1992年 - ドイツ国際 2位
- 1992年 - オーストリア国際 優勝
- 1992年 - パンナム選手権 優勝
- 1993年 - 世界選手権 2位
- 1996年 - オランダ国際 優勝
- 1996年 - パンナム選手権 優勝
- 1997年 - オランダ国際 2位
- 1997年 - 南米選手権 優勝
- 1997年 - パンナム選手権 優勝
- 1997年 - 世界選手権 95kg級 2位 無差別 7位
脚注
[編集]- ^ a b c “Aurélio Miguel Bio, Stats, and Results”. Olympics at Sports-Reference.com. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月18日閲覧。
- ^ 「特集 第24回オリンピックソウル大会柔道競技(Part2)」近代柔道 ベースボールマガジン社、1988年11月号、22頁
- ^ “Veja quais vereadores "famosos" foram eleitos; assista”. www1.folha.uol.com.br (2008年10月16日). 2023年4月18日閲覧。
外部リンク
[編集]- アウレリオ・ミゲル - JudoInside.com のプロフィール