アイビーボウル
アイビーボウル(Ivy Bowl)は、1989年から1996年まで、日本で行われていたアイビーリーグに所属するカレッジフットボール選手と日本学生選抜のボウルゲーム。エプソンがスポンサーを務めた[1]。
日本選抜は第6回までは日本大学フェニックスの篠竹幹夫、第7回からは関西学院大学ファイターズの伊角富三が指揮を執った。
歴史
[編集]第1回大会ではウィリアム・アンド・メアリー大学が関東勢を中心にした日本学生選抜軍に73-3で勝利した。日米の学生の試合で70点差がついたのは、1977年にブリガムヤング大学が関西学生選抜軍を71―0で破って以来のことであった。日本学生選抜軍は、パスを1回も成功させることができなかった[2]。この試合でウィリアム・アンド・メアリーはランプレーで平均20ヤード以上を獲得した。観衆は若者を中心に1100人であった[3]。
第2回大会では日本学生選抜はハーフタイムを10-14で折り返した。QB宇田川健治がパス37回中20回成功、208ヤードを獲得、3人のQB合計でパス50回中24回成功、275ヤードを獲得、4インターセプトを喫したが[4]、2TDをあげて49-17と善戦した[5]。この試合には後にNFLチームでアシスタントコーチを務めているジャド・ギャレットが出場した[6]。
第3回大会ではアイビーがランで338ヤード、パスで230ヤードを獲得したのに対して、日本選抜は、ランで45ヤード、パスで175ヤードしか獲得できず、47-10で敗れた[7]。
第4回より関西勢が加わり、1935年に全米軍と全日本が対戦して以来56年ぶりの全日本学生選抜が結成された[8]。第4回のアイビー選抜を率いたジョー・レスティックハーバード大学ヘッドコーチは、フィラデルフィア・イーグルスで活躍するとともに、フィラデルフィア・フィリーズのマイナーチームでもプレーした選手である[9]。
第5回大会はダブルヘッダーで行われた。ウィリアム・アンド・メアリー大学勢を除いたアイビーリーグ選抜と日本大学を除いた全日本学生選抜が第1試合で対戦、第2試合ではウィリアム・アンド・メアリー大学とOBも含む日本大学フェニックスが対戦した。アイビー選抜ではQBショーン・ナイト(Shawn Knight)が33ヤード、76ヤードのTDパスを成功させるとともに、ランでも2TDをあげるなど、68-3でアイビー選抜が勝利した。ウィリアム・アンド・メアリー大学と日本大学との試合は日本大学がFGで先制し、その後4分足らずのうちにウィリアム・アンド・メアリー大学が3TDをあげた。前半修了間際に宇田川健治がTDをあげて、ハーフタイムをウィリアム・アンド・メアリーが28-9とリードして折り返した。後半、グレッグ・パーカーがフェイクパントから38ヤードを走ってTD、第4Qに山田喜弘からのパスを梶山龍誠がエンドゾーン内でキャッチ、残り3秒に山口が35ヤードのFGを成功させ、35-19で試合は終わった。ファーストダウン獲得回数では日本大学が29対17と上回った[10]。観衆は4万人を超えた[11]。
第6回大会では、その後NFL入りし、NFLで60試合に先発出場したQBジェイ・フィードラーがパス13回中8回成功、159ヤード、3TDをあげてMVPに選ばれた[12]。
第7回大会では第1Qにビル・ジョーダン(Bill Jordan)の1ヤードTDランでアイビーが先制、第2Q2分04秒に佐藤正治の21ヤードFGが成功、その後7分16秒にペンシルベニア大学のジェイミー・ダニエルズ(Jamie Daniels)が32ヤードのインターセプトリターンTDをあげて13-3となった。日本はDE鈴木が60ヤードのファンブルリターンTDをあげて、13-10と詰め寄った。しかし、ペンシルベニア大学のテランス・ストークス(Terrance Stokes)が18ヤードのTDをあげて、20-10でアイビー選抜が勝利した。コロンビア大学のタイトエンド、ブライアン・バセット(Brian Bassett)が7回のレシーブで124ヤードを獲得し、MVPに選ばれた。アイビーのQBジェイミー・シュワルブ(Jamie Schwalbe)は、パス19回中11回成功、165ヤードを獲得した。アイビーのディフェンスは日本選抜をトータルで190ヤード、ランディフェンスでは44回でマイナス2ヤードとラン攻撃を完璧に封じた[13]。
第8回大会では14回のランで118ヤード、2TDをあげたコロンビア大学のジョン・ハーパー(John Harper)がMVPに選ばれた[14]。
回数 | 開催日 | 勝利チーム | スコア | 敗戦チーム | スコア | 競技場 | MVP | 敢闘選手 | 出典 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1989年1月8日 | ウィリアム・アンド・メアリー大学 | 73 | 日本学生選抜 | 3 | 横浜スタジアム | [2] | ||
2 | 1989年12月23日 | アイビーリーグ選抜 | 49 | 日本学生選抜 | 17 | 横浜スタジアム | リック・マッキンタイア (ハーバード大学) |
梶山竜誠 (日本大) |
[5] |
3 | 1990年12月24日 | アイビーリーグ選抜 | 47 | 日本学生選抜 | 10 | 横浜スタジアム | スティーブ・フーパー (ペンシルベニア大学) |
新堀和之 (法政大) |
[15] |
4 | 1991年12月23日 | アイビーリーグ選抜 | 24 | 学生全日本 | 0 | 東京ドーム | ジョン・マクニフ (コーネル大学) |
白輪地仁 (明治大) |
[16] |
5 | 1993年1月9日 | アイビーリーグ選抜 | 68 | 学生全日本 (日大以外) |
3 | 東京ドーム | マット・バージカ (ダートマス大学) |
[17] | |
ウィリアム・アンド・メアリー大学 | 35 | 全日大[18] | 19 | ショーン・ナイト | |||||
6 | 1994年1月8日 | アイビーリーグ選抜 | 31 | 学生全日本 | 14 | 東京ドーム | ジェイ・フィードラー (ダートマス大学) |
河口正史 (立命大) |
[19] |
7 | 1995年1月8日 | アイビーリーグ選抜 | 20 | 学生全日本 | 10 | 西宮スタジアム | ブライアン・バセット (コロンビア大学) |
秋山 (日本大) |
[20] |
8 | 1996年1月7日 | アイビーリーグオールスター | 35 | 学生日本代表 | 16 | 西宮スタジアム | ジョン・ハーパー (コロンビア大学) |
児島亨 (東海大) |
[21] |
関連項目
[編集]- ジャパンボウル - カレッジフットボール4年生が東西に分かれて戦った試合。
- パイオニアボウル - 1976年開催。パイオニアがスポンサーとなった。
- ミラージュボウル - 1977年から1985年まで開催。三菱自動車がスポンサーとなった。名称は三菱・ミラージュより。
- コカコーラボウル - 1986年から1993年まで開催。ミラージュボウルからスポンサーがコカ・コーラ社に変更されたため名称が変わった。
- ノートルダム・ジャパン・ボウル2009 - ノートルダム大学のOBとアメリカンフットボール日本代表が戦った試合。
脚注
[編集]- ^ “Tribe Football Historical Timeline”. ウィリアム・アンド・メアリー大学 (1999年1月1日). 2015年8月22日閲覧。
- ^ a b [アメフト アイビーボウル]8日 73-3 W&Mが日本学生をくだす 読売新聞 1989年1月9日 朝刊19ページ
- ^ Skip Miller (1989年1月9日). “Epson-ivy Bowl Is A Unique Experience”. デイリープレス. 2015年8月22日閲覧。
- ^ “Ivy team bombs Japan”. The Evening News (1989年12月24日). 2015年8月22日閲覧。
- ^ a b [アメフト 日米学生親善]23日 日本健闘 2TD奪う アイビー、後半地力 読売新聞 1989年12月24日 朝刊19ページ
- ^ Michael R. Grunwald (1989年12月28日). “Seven Gridders Are Japan-Bound For Unsanctioned Bowl Game”. ハーバード・クリムゾン. 2015年8月22日閲覧。
- ^ “Ivy Stars Rout Japanese Team, 47-10”. ニューヨーク・タイムズ (1990年12月25日). 2015年8月22日閲覧。
- ^ アイビーボウル “全日本”が練習 56年ぶり東西精鋭が息合わせ 1991年12月21日 読売新聞16ページ
- ^ アメフトのアイビーボウル、12月23日東京ドームで 米監督にレスティック氏 読売新聞 10月25日 19ページ
- ^ 小座野容斉 (2004年3月5日). “打倒米国に燃えた「オール日大」93年アイビーボウル”. 週刊TURNOVER. 2015年8月22日閲覧。
- ^ “WM, IVIES EASILY BEAT JAPAN TEAMS”. ワシントン・ポスト (1993年1月10日). 2015年8月22日閲覧。
- ^ Scott Anthony (1994年4月22日). “Fiedler ’94 awaits NFL draft”. ダートマス大学. 2015年8月22日閲覧。
- ^ “Ivy Leaguers beat Japan All-Stars”. UPI通信 (1995年1月8日). 2015年8月22日閲覧。
- ^ “Harper shines at Epson Ivy Bowl”. コロンビア・デイリースペクテイター (1996年1月18日). 2015年8月22日閲覧。
- ^ [アメフト 日米学生交流戦]24日 日本“いい勉強”3連敗 1TDがやっと 読売新聞 1990年12月25日 朝刊 14ページ
- ^ アメフト エプソン・アイビーボウル23日 アイビー選抜が完封 日本4連敗 読売新聞 1991年12月24日 17ページ
- ^ アメフト エプソン・アイビーボウル9日 IVY選抜、日本を圧倒 読売新聞 1993年1月10日 朝刊20ページ
- ^ OBも含む
- ^ アメフト アイビーボウル8日 アイビー選抜が5連勝 読売新聞 1994年1月9日 朝刊15ページ
- ^ アメフト アイビーボウル8日 アイビーが6連勝 全日本健闘も及ばず 読売新聞 1995年1月9日朝刊17ページ
- ^ アメフト アイビーボウル日米対抗カレッジゲーム7日 米が8連勝 読売新聞 1996年1月8日朝刊15ページ