ほんきかしら
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「ほんきかしら」 | ||||
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島倉千代子 の シングル | ||||
A面 | ほんきかしら | |||
B面 | 悲しみにキスを | |||
リリース | ||||
規格 | シングル | |||
ジャンル | 歌謡曲 | |||
レーベル | 日本コロムビア | |||
作詞・作曲 |
岩谷時子(作詞) 土田啓四郎(作曲) | |||
プロデュース | 酒井政利 | |||
島倉千代子 シングル 年表 | ||||
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「ほんきかしら」は、1966年に発売された島倉千代子のシングルである。発売元は日本コロムビア。
概要
[編集]当時コロムビアのディレクターであった酒井政利が島倉を「泣き節」のイメージから脱却させるべく、岩谷時子に作詞を依頼、岩谷が島倉の作品に初めて起用された。大手レコード会社が作詞家・作曲家を囲いこむ専属制度のあった当時としては、コロムビアがレコード会社と契約していない岩谷[1]に依頼することは異例であったという[2]。
酒井が以前プロデュースした島倉の「赤坂の夜は更けて」は商業的に失敗したが、こちらはレコード売上で成功した[3]。通算売上は60万枚[4] 。
歌詞の一部は男性コーラス(岡田みのるとヤング・トーンズ)が歌唱している。同年の「第17回NHK紅白歌合戦」でも歌唱されたが、男性コーラスの部分は女性コーラスに置き換えられた。
1977年9月1日には「ミリオン・カップル・シリーズ」で「愛のさざなみ」とのカップリング盤(NK-77)が発売された。
1993年放送の武田薬品工業「ハイシーL」のテレビCMで桐島かれんが4人の外国人男性のコーラスと共に歌唱していた[5]。
収録曲
[編集]カバー
[編集]- 桐島かれん(1993年、シングルとして発売)
脚注
[編集]- ^ 岩谷は当時渡辺音楽出版と契約していた。
- ^ 岩谷時子——作詞で多くのヒットを生むも本業は「マネージャー」(cakes)
- ^ 酒井政利『誰も書かなかった昭和スターの素顔』、宝島社(宝島SUGOI文庫)、2018年、78頁。ISBN 978-4-8002-8990-2。
- ^ 『サンケイスポーツ』2013年11月9日付、大阪本社版12版、26面。
- ^ 「CM WATCHING――[ハイシーL/武田薬品工業]――桐島かれん」『Square 21 = スクウェア21 : human connection : 夢実現!志事人たちのコミュニティ誌』第110号、全国経営者団体連合会、1993年5月15日、36 - 37頁、NDLJP:2865146/20。