ぺぺ長谷川
ぺぺ長谷川(ぺぺはせがわ、1966年6月 - 2023年2月15日[1])は、日本の社会運動家。
略歴
[編集]埼玉県立浦和西高等学校卒業[2]。早稲田大学第二文学部卒業[3]。大学ではノンセクト系の左翼活動をやり7年間通う。大学では就職活動をしないで、卒業してから一度も就職していない[4]。サラリーマンにならないという思想も有ったが、単に働きたくないということもあった。働きたくないの方が濃厚で、サラリーマンにならないという思想は後から付けた理由かもしれないと振り返る。これを幸せと感じることも多々あり、何が幸せか分からないとする。でも就職すれば良かったと思うこともある[4]。
2020年時点で53歳の時には、週に1日のアルバイトと、月に2回のアルバイトと、他に日払いのアルバイトをして月収10万円弱。風呂なし共同トイレで月に35000円のアパートに暮らし、週に1日銭湯に行くという生活であった[4]。
2023年2月15日、胆管癌のため死去[1]。享年56歳[5]。
社会運動
[編集]仕事を辞めて時間を持て余し遊び仲間を求めて大学に戻ってきた神長恒一と再会し共にノンセクト系と反天連系の勉強会やデモに参加する。当初は面白半分で左翼と付き合い、その楽しさの中から特別な意味を付され明確な意図を持って実行するようになる。その時である1992年5月にだめ連を結成[3]。社会運動では役立たずで仲間にはだめ系と呼ばれていたことからだめ連と名付けた[6]。
ジョーカーなどの電車の中で起きる犯罪は、格差が拡大して社会の底が抜けているからとする。社会の下層の人間が上層の人間にわからせるということを目的としているとする。犯罪は特殊な人がしているのではないと認識した方が良いとする[7]。
中年で友達がいない人が多いとされており、それは友達を作るハードルが高いからとされているが、それを疑問に思う。サラリーマンという設定が、人間関係は友情で築くものではないということを受け入れるということとする。少人数の鍋会でいいから言いたいことをいえる環境が大事なのだが、そういうことを言える環境がなくなっており、それは無力感の中で生きていてデモなんかやっても意味が無いなどと言う人のあり方が支配的になっているからとする[7]。
脚注
[編集]- ^ a b 『現代物故者事典 2021〜2023』日外アソシエーツ、2024年、p.503。
- ^ “ぺぺ長谷川(塚原活)を悼む|花咲政之輔|note”. note(ノート). 2023年4月15日閲覧。
- ^ a b 福井孝宗「90年代における若者運動「だめ連」とマスメディア」『京都大学生涯教育学・図書館情報学研究』第11巻、京都大学大学院教育学研究科生涯教育学講座、2012年3月、59-80頁、CRID 1050282810713920000、hdl:2433/158657、ISSN 1347-1562、2024年7月9日閲覧。
- ^ a b c “エリートコースから脱線した「早慶OB・現役生の残酷すぎる現実」 慶大3年生ソープ嬢の言い分とは (3ページ目)”. PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) (2020年5月23日). 2023年4月15日閲覧。
- ^ “ペペ長谷川さん死去:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2023年2月17日). 2023年4月15日閲覧。
- ^ “雨宮処凛「生きづらい女子たちへ」/「『競争、疲れた……』中国・寝そべり族出現について、日本の『だめ連』に聞く」”. 情報・知識&オピニオン imidas. 2023年4月15日閲覧。
- ^ a b 福田慶太 (2022年7月4日). “「絶望犯罪」が増える冷たい世の中で、弱者が生き残る術/だめ連”. 日刊SPA!. 2023年4月15日閲覧。