ひえん (救助艇)
ひえん | |
---|---|
基本情報 | |
建造所 | 横浜ヨット[1] |
運用者 | 海上保安庁 |
艦種 | 6メートル型プロペラ艇[1] |
母港 | 羽田航空基地 |
所属 | 第三管区海上保安本部 |
艦歴 | |
竣工 | 1959年(昭和34年)11月14日[1] |
退役 | 1969年(昭和44年)6月1日[1] |
現況 | 退役済 |
要目 | |
常備排水量 | 1.6t[2] |
満載排水量 | 2.34t[3] |
全長 | 6.80 m[1][4] |
最大幅 | 2.40 m[1][4] |
深さ | 0.79 m[1][4] |
主機 | 日産NPUNガソリンエンジン×1基[3] |
出力 | 85馬力[3]または105馬力[1] |
推進器 | プロペラ×1軸 |
速力 | 13.3ノット (24.6 km/h)[3] |
最大速力 | 18.5ノット (37 km/h)[1][3]または19.9ノット (36.8 km/h)[2] |
航続距離 | 60海里[3]または93海里[1] |
乗員 | 5名(最大搭載人員)[1] |
ひえん(Hien、CR-51)は海上保安庁の救助艇。海上保安庁に在籍した唯一のプロペラ艇である[2]。公称船型は6メートル型プロペラ艇[1]。
開発
[編集]羽田航空基地がある多摩川河口一帯は、東京湾内でも有数の干潟で、アサリやハマグリ、バカガイ(アオヤギ)といった貝類の産地だった。さらに羽田や大森では、ウナギやカレイ、コチ、ギンポ、アイナメ、エビなどが水揚げされる、「江戸前」の魚介類の一大漁場だった[5]。そのため、この海域で操業する漁船の救助や漁業取締のための小型船舶が求められたが、干潟が広がる平水域[3]のため、スクリュープロペラで推進する船舶は航行できなくなる可能性があった。そこで、1959年(昭和34年)計画で[2]プロペラ艇の建造実績がある横浜ヨットが建造した[1]のが本艇である。
設計
[編集]船体は木製[3]で、船型は船首がV型、船尾が平底だった[1]。操舵は主舵と補助舵によるもので、主舵はプロペラ後方に設置した飛行機と同じ形状の方向舵[2]、補助舵は水中舵だった[1]。なお、本艇に煙突は無いので、コンパスマークは方向舵に描かれていた。
主機はトラック用のガソリンエンジン[1]で、これを船体後部に後ろ向きに設置し、プロペラで推進した。就役当初、プロペラは剥き出しで船室も露天だったが、1967年(昭和42年)までに接触防止のプロペラガードと風防が追加設置されている[2]。
運用
[編集]「ひえん」は1959年(昭和34年)11月14日の竣工後、第三管区海上保安本部羽田航空基地に配備され、多摩川河口の浅海域の救難業務に従事した[1][2]。
「ひえん」は1969年(昭和44年)6月1日に解役された[1]。本艇が配備されるきっかけとなった多摩川河口の沿岸漁業は、沿岸の埋め立てや工業地帯化による環境悪化により、1973年(昭和48年)に漁協が漁業権を手放したことで終焉している[5]。
参考文献
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 「海上保安庁全船艇史」 『世界の艦船』第613集(2003年7月増刊号) 海人社 P.93
- ^ a b c d e f g 「写真特集 海上保安庁船艇の50年」 『世界の艦船』第538集(1998年5月特大号) 海人社 P.59
- ^ a b c d e f g h 海上保安庁総務部政務課・編『海上保安庁十年史』財団法人平和の海協会 1961年 P.103
- ^ a b c 海上保安庁総務部政務課・編『海上保安庁30年史』海上保安協会 1979年 P.309
- ^ a b 川崎市市民ミュージアム『海と人生-川崎で海苔が採れた頃』 1995年