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すずらん (フェリー・初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
すずらん
僚船のすいせんと離合するすずらん(2004年)
基本情報
船種 フェリー
船籍 日本の旗 日本
所有者 新日本海フェリー
運用者 新日本海フェリー
建造所 石川島播磨重工業東京第1工場
母港 小樽
姉妹船 すいせん
信号符字 JD2726
IMO番号 9116266
MMSI番号 431861000
改名 はくおう(2013-)
経歴
進水 1995年7月12日[1]
竣工 1996年5月[2]
就航 1996年6月11日[3]
運航終了 2012年6月19日
現況 防衛省のチャーター船として運航中
要目
総トン数 17,345 トン
載貨重量 5,440 トン[3]
全長 199.5 m[1]
全幅 25.0 m[1]
深さ 14.8 m[3]
喫水 7.23 m[3]
機関方式 ディーゼル
主機関 DU-SEMT Pielstick 18PC4-2B[3]
過給機付4サイクル18気筒V型ディーゼル(410 rpm)[4]
推進器 可変ピッチプロペラ 2軸
最大出力 47,660 kW[3](64,800 PS)
定格出力 42,930 kW[3]
最大速力 31.4ノット[3]
航海速力 29.4ノット[1]
旅客定員 515名[1]
乗組員 50名
車両搭載数 トラック122台、乗用車80台[1]
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すずらんは、新日本海フェリーが運航していたフェリー。

概要

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1993年春に旧船代替にあたり燃油価格の下落を背景として、北海道産の農産物や生乳の輸送ニーズ開拓、船員の生産性アップや他航路との差別化を図るべく高速長距離フェリーの建造を計画[5]

ニューすずらんニューゆうかりの代船として、僚船のすいせんと共に石川島播磨重工業東京第1工場で建造され、1996年6月11日敦賀 - 小樽航路に就航した。就航当時はディーゼルエンジンの大型商船では世界最速のフェリーで[5]、従来片道30時間で2隻週4往復だったスケジュールが片道21時間のデイリーサービスに改められた[6]。船名は北海道を代表する花であるスズランに由来する。

なお、本船の就航で航路の運航コストが2割増加したため小樽-敦賀航路には急行料金が設定された[5]。カラーリングは従来から変更されスピードと快適性を表現した青色の帯を施したものとなっている[7]。1997年5月には、日本造船学会「シップ・オブ・ザ・イヤー」をフェリーでは初めて受賞した[8]。しかし高速性を重視し車両甲板の車線を通常の8から7に減らしたことで積載量が減少したこともあり採算性に乏しく、安価な燃油代と合わせてフリート全体の収支で採算を確保する形としていたことやエンジンの拡張に限界が生じたため通常のディーゼルエンジン式による高速化は本船型のみとなった[9]

後に北海道側の発着地の変更により、2002年9月から敦賀 - 苫小牧航路での運航となった。2代目すずらんの就航により、2012年6月19日をもって定期運航から引退した。定期航路からの引退後は、防衛省にチャーターされ、はくおうに改名して運航されている。

設計

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2隻でのデイリー運航のため、3時間の港湾荷役作業時間を除いた片道21時間以内の航行を実現するべくシーマージン15%で29ノット以上の速度が要求され、高速化を重視し幅は従来の200m級フェリーより1.5m狭い25m、船底形状は鋭角化し主機台を台形化し復元性を維持、積載量は従来より少ない12mトラック130台・乗客約500人とした。全長はタグボートを必要としない200m以下の199.5m、喫水は小樽港・敦賀港の深さに合わせ7.5m以下とした[6]。船殻には強力甲板・車両甲板・外板・縦フレームに高張力鋼板を用いての軽量化を行い、船底付近の外板や二重底には軟鋼材を用い重心の低下を図った[10]

主機はディーゼルユナイテッド(現IHI原動機)が開発した最新の1気筒1,800馬力を発揮するDU-SEMT Pielstick 18PC4-2Bを採用し、推進装置は川崎重工業と共同開発した大型形状のプロペラを採用し2軸1舵で軽量化と速力向上を図りバウスラスターとスタンスラスターで操舵性をカバーした[6]

船内

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船体は6層構造で上部から羅針儀船橋甲板、航海船橋甲板、A甲板、B甲板、C甲板、D甲板、第2甲板、タンクトップとなっている。航海船橋甲板、A甲板、B甲板が旅客区画および乗組員区画、C甲板とD甲板が車両積載区画で、D甲板以下の階層に機関室が設けられている。ランプウェイは、C甲板およびD甲板の右舷船尾に各1箇所、D甲板の船尾中央に1箇所装備している[2]

船内は「クルージングリゾート」を追求したものとなっており、居住性重視の公室やプライバシーを確保した外側客室、バリアフリー対応のためのエレベーターを設置し振動騒音対策のためエンジン下部にゴム防震装置を設置。内装コンセプトは「色」をキーワードに5階に緑・4階に赤・3階に青の基調色をあしらった[7]

車両甲板には細い船型によるトラックの回転困難を緩和すべく直径14mのターンテーブルを設置したほか、リフタブルカーデッキをトラック10台・乗用車40台分の約430平方メートル設け乗用車80台が積載可能となっていた[6]

船室

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  • スイートルーム(ダブル・4室 5階) - 専用テラス付
  • 特等→デラックスルームB・海側(ツイン・14室、和室・6室 5階)
  • 1等→ステートルームB・海側(4階ツイン26室・和室10室、3階二段ベッド34室)
  • 2等→ツーリストA(内側 3階)
    • 二段ベッド・10室(旧2等洋室)
    • カーペットルーム・2室(旧2等和室)
  • ドライバールーム(3階4室)・内側

設備

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5階
  • ビデオシアター
4階
  • ゲームルーム
  • チルドレンルーム
  • ビデオルーム
  • レストラン「Tricolor」
  • カフェテリア
  • グリル「Salon De Rose」
  • プロムナード
  • スポーツルーム
  • ジャグジー(夏期のみ)
  • サウナ
  • シャワー
3階
  • 売店
  • フォワードサロン「Blue Adriatic」
  • 展望浴室
  • ドライバー浴室
  • ドライバー食堂
  • ペットスペース

事故・インシデント

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機関損傷

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2003年10月28日、0時50分ごろ、苫小牧港から敦賀港へ向けて航行中、左舷主機の始動空気管の過熱が確認されたため、左舷主機を停止して右舷主機のみで航行を継続しながら、当該部の部品交換が試みられたが、作業が困難だったため復旧を断念して苫小牧港に引き返した。事故原因は主機始動弁の弁棒ナットの締め付けトルクが指定されておらず、整備の際に過大トルクで締め付けられていた左舷主機b列3番シリンダの弁棒ナットが折損したためであった[4]

乗組員死亡

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2006年8月1日、1時10分ごろ、敦賀港で車両の積付け作業中に甲板員がトレーラーと船体の間に挟まれ死亡した。すずらんの車両積付け作業の安全措置が不十分であったこと、運航管理者の船内作業の安全確保に関する管理が不十分であったこととされた[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f 世界の艦船(1995年10月,p166)
  2. ^ a b c 神戸地方海難審判庁 (30 May 2007). 平成19年神審第12号 旅客船すずらん乗組員死亡事件 (PDF) (Report). 海難審判・船舶事故調査協会. 2016年2月14日閲覧
  3. ^ a b c d e f g h 高岡淳・山田剛. 超高速長距離フェリーの推進機関の概要 (Report). 日本舶用機関学会. doi:10.5988/jime1966.32.110. 2016年12月10日閲覧
  4. ^ a b 函館地方海難審判庁 (10 November 2004). 平成16年函審第26号 旅客船すずらん機関損傷事件 (PDF) (Report). 海難審判・船舶事故調査協会. 2016年2月14日閲覧
  5. ^ a b c 「世界最高速の長距離フェリー『すずらん』『すいせん』17,000G/T竣工 入谷泰生新日本海フェリー社長に決断を聞く」『内航近海海運』第31巻第722号、内航ジャーナル、1996年7月、62-65頁。 
  6. ^ a b c d 新日本海フェリー/石川島播磨重工/坪井聖学「船のみどころみせどころ 世界最高速フェリーが双子で誕生 "すずらん" "すいせん"」『海事総合誌 COMPASS』、海事プレス社、1996年7月号、79-84頁。 
  7. ^ a b 新日本海フェリー「超高速大型フェリー「すずらん」「すいせん」の概要」『内航近海海運』第31巻第722号、内航ジャーナル、1996年7月、66-67頁。 
  8. ^ 小樽-敦賀間就航の高速船「すずらん」と「すいせん」*シップ・オブ・ザ・イヤー受賞*フェリーでは初めて*スタイルや装飾に評価 - フォト北海道(1997年5月17日 北海道新聞社 Internet Archive)
  9. ^ 第12回かんこうけんコロキウム 大型高速フェリーの省エネと問題点 - CANPAN(日本財団)
  10. ^ 大型高速フェリーの開発 - 石川島播磨技報第36巻6号(石川島播磨重工業 1996年)

外部リンク

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