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さかき丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
さかき丸
基本情報
船種 貨客船
船籍 大日本帝国の旗 大日本帝国
所有者 帝国海事協会
海防義会
南満洲鉄道
大連汽船
運用者 帝国海事協会
海防義会
南満洲鉄道
大連汽船
建造所 川崎造船所
母港 東京港/東京都
大連港/大連市
信号符字 MHLG→QBSV
IMO番号 16319→關206(※船舶番号)
経歴
発注 1911年10月9日
進水 1913年3月3日
竣工 1913年8月4日
就航 1913年8月10日
最後 1933年5月売却解体
要目
総トン数 3,875.73トン[1]
純トン数 2,092.90トン[1]
載貨重量 1,454.0トン[1]
排水量 5,036.0トン[1]
垂線間長 109.11m[1]
型幅 14.0m[1]
型深さ 7.92m[1]
満載喫水 6.40m[1]
主機関 ブラウン・カーチス式タービン機関 2基[1]
推進器 2軸
最大出力 12,248PS(連続)[1]
最大速力 19.4ノット(試運転)[1]
航海速力 15.0ノット(満載)[1]
テンプレートを表示

さかき丸帝国海事協会の貨客船、義勇艦[2]。「榊丸」[3][4]とも。「さくら丸」、「うめが香丸」に次ぐ3隻目の義勇艦である[5]

「さかき丸」は川崎造船所で建造された[6]。1911年10月9日、契約締結[6]。1913年3月3日に進水し、8月4日に竣工した[6]

帝国海事協会は募金を募り、平時は商船、有事の際は軍用とする義勇艦を2隻建造したが、それらの商船としての評価は芳しくなかった[5][7]。そのため、3隻目となる「さかき丸」では要求は速力21ノットのみとし、使用者である南満洲鉄道の要望を入れて設計された[2]。結果、好評を得た[5]

1913年8月10日、「さかき丸」は南満洲鉄道の大連・上海航路に就航した[8]

第一次世界大戦では通報艦として青島攻略戦に参加した[9]

1922年、海防義会の設立に伴い移籍[10]。同年に大連・上海航路は大連汽船に引き継がれるが、そこでも「さかき丸」は運航されている[11]。翌年、南満州鉄道に売却[10]

1929年、大連汽船に売却[10]

1933年、「東亜丸」建造の見合い船として解体された[1]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 山田早苗 1981, p. 47
  2. ^ a b 高城清 2010, p. 67,山田早苗 1981, p. 47
  3. ^ 『川崎造船所四十年史』301ページ
  4. ^ 松浦章 2020.
  5. ^ a b c 高城清 2010, p. 67.
  6. ^ a b c 『日本海事協會五十年史』46ページ
  7. ^ 山田早苗 1981, p. 46-47.
  8. ^ 松浦章 2020, p. 42.
  9. ^ 『日本海事協會五十年史』47ページ
  10. ^ a b c さかき丸”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年8月21日閲覧。
  11. ^ 松浦章 2020, p. 43.

参考文献

[編集]
  • 阿部市助(編)『川崎造船所四十年史』川崎造船所、1936年
  • 高城清「大正時代神戸で生まれた鉄道連絡船」『船の科学』第53巻第10号、船舶技術協会、2000年10月、62-69頁、CRID 1522543655965358848ISSN 03870863 
  • 日本海事協會(編)『日本海事協會五十年史』日本海事協會、1949年
  • 松浦章「南満洲鐵道株式會社の上海航路」『關西大學文學論集』第70巻第3号、關西大學文學會、2020年12月、19-46頁、CRID 1050569159963499008hdl:10112/00022242ISSN 04214706NAID 120006949045 
  • 山田早苗「日本商船隊の懐古-25-」『船の科学』第34巻第7号、船舶技術協会、1981年7月、46-48頁、CRID 1522543655684604160ISSN 03870863