さかき丸
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さかき丸 | |
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基本情報 | |
船種 | 貨客船 |
船籍 | 大日本帝国 |
所有者 |
帝国海事協会 海防義会 南満洲鉄道 大連汽船 |
運用者 |
帝国海事協会 海防義会 南満洲鉄道 大連汽船 |
建造所 | 川崎造船所 |
母港 |
東京港/東京都 大連港/大連市 |
信号符字 | MHLG→QBSV |
IMO番号 | 16319→關206(※船舶番号) |
経歴 | |
発注 | 1911年10月9日 |
進水 | 1913年3月3日 |
竣工 | 1913年8月4日 |
就航 | 1913年8月10日 |
最後 | 1933年5月売却解体 |
要目 | |
総トン数 | 3,875.73トン[1] |
純トン数 | 2,092.90トン[1] |
載貨重量 | 1,454.0トン[1] |
排水量 | 5,036.0トン[1] |
垂線間長 | 109.11m[1] |
型幅 | 14.0m[1] |
型深さ | 7.92m[1] |
満載喫水 | 6.40m[1] |
主機関 | ブラウン・カーチス式タービン機関 2基[1] |
推進器 | 2軸 |
最大出力 | 12,248PS(連続)[1] |
最大速力 | 19.4ノット(試運転)[1] |
航海速力 | 15.0ノット(満載)[1] |
さかき丸は帝国海事協会の貨客船、義勇艦[2]。「榊丸」[3][4]とも。「さくら丸」、「うめが香丸」に次ぐ3隻目の義勇艦である[5]。
「さかき丸」は川崎造船所で建造された[6]。1911年10月9日、契約締結[6]。1913年3月3日に進水し、8月4日に竣工した[6]。
帝国海事協会は募金を募り、平時は商船、有事の際は軍用とする義勇艦を2隻建造したが、それらの商船としての評価は芳しくなかった[5][7]。そのため、3隻目となる「さかき丸」では要求は速力21ノットのみとし、使用者である南満洲鉄道の要望を入れて設計された[2]。結果、好評を得た[5]。
1913年8月10日、「さかき丸」は南満洲鉄道の大連・上海航路に就航した[8]。
1922年、海防義会の設立に伴い移籍[10]。同年に大連・上海航路は大連汽船に引き継がれるが、そこでも「さかき丸」は運航されている[11]。翌年、南満州鉄道に売却[10]。
1929年、大連汽船に売却[10]。
1933年、「東亜丸」建造の見合い船として解体された[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 阿部市助(編)『川崎造船所四十年史』川崎造船所、1936年
- 高城清「大正時代神戸で生まれた鉄道連絡船」『船の科学』第53巻第10号、船舶技術協会、2000年10月、62-69頁、CRID 1522543655965358848、ISSN 03870863。
- 日本海事協會(編)『日本海事協會五十年史』日本海事協會、1949年
- 松浦章「南満洲鐵道株式會社の上海航路」『關西大學文學論集』第70巻第3号、關西大學文學會、2020年12月、19-46頁、CRID 1050569159963499008、hdl:10112/00022242、ISSN 04214706、NAID 120006949045。
- 山田早苗「日本商船隊の懐古-25-」『船の科学』第34巻第7号、船舶技術協会、1981年7月、46-48頁、CRID 1522543655684604160、ISSN 03870863。