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かくは宮川

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
株式会社 かくは宮川[1]
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
青森県弘前市土手町15[1]
設立 1923年大正12年)1月[1]
業種 小売業
事業内容 百貨店の運営
代表者 代表取締役社長 宮川忠三[1]
資本金 800万円[1]
売上高 14億7000万円
1967年(昭和42年))[1]

15億5000万円
1968年(昭和43年))[1]
従業員数 319[1]
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かくは宮川
Kakuha Miyagawa
店舗概要
所在地 青森県弘前市土手町15[1][2]
開業日 1923年大正12年)2月1日
閉業日 1998年平成10年)6月
正式名称 かくは宮川
施設所有者 株式会社かくは宮川[2]
延床面積 7,676 m²[1]
商業施設面積 6,392 m²[1]
前身 かくは宮川呉服店
後身 ハイ・ローザ
最寄駅 弘前駅
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かくは宮川(かくはみやがわ)は、弘前市に出店していた日本の百貨店である。

歴史・概要

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映像外部リンク
青森放送
あの瞬 RABテレビが伝えた青森
県内初のデパート「かくは宮川」(1965年・1967年)

江戸時代弘前藩御用達の商人であった宮川家が1901年明治34年)呉服商に転じて開いた「かくは宮川呉服店」が従来の本支店を統合して、弘前市一番町に弘前では随一の高さであった鉄筋コンクリート造3階建て延坪数540坪(約1782m2)でエレベーターも備えた新店舗を1923年大正12年)1月25日に完成させ、1923年(大正12年)2月1日に東北では初の鉄筋コンクリートの百貨店を開いたのが始まりである。 営業初日には多数の買い物客が押しかけて大混乱が生じるほど好調にスタートし、1935年昭和10年)には5階建てに増築し多くの買い物客を集めていた。

第2次世界大戦では弘前空襲にあわなかったため店舗は無傷で残ったが、進駐軍慰安所として接収され返還後に営業を再開することとなった。

屋上遊園地にあった回転木馬などの遊具が評判で、所得向上に伴う消費ブームが起きた昭和30年代には土手町商店街を代表する百貨店として弘前市民の娯楽場として親しまれ、1959年(昭和34年)には青森県で初めてパートタイマーの採用を行ったり、1965年(昭和40年)のリニューアル時にはエスカレーターを設置するなど半世紀以上にわたって営業を続けたが、1978年(昭和53年)に建物の老朽化が進み、消防設備の整備が難しいとして閉店した。

この間の1937年(昭和12年)に成立した「百貨店法」で加盟が義務付けられたため、1938年(昭和13年)に日本百貨店組合が設立されると同時に松木屋菊屋百貨店と共に加盟したほか、戦後開業した「新幸百貨店」や五所川原市から進出した中三青森市から進出したカネ長武田などのライバルが登場している。

ハイ・ローザ

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かくは宮川」の跡地に1980年(昭和55年)に開業したファッションビルで弘前のアルファベットHIROSAKIを英語式に詠んで名付けられていた。 この店舗は若者向けを中心とする75のテナントが入居して当初は人気を集めたが、1994年(平成6年)3月4日ダイエーが進出して1976年(昭和51年)に進出していたイトーヨーカドーと共に弘前駅前が商業の中心となったことや、1993年(平成5年)10月ビブレ(現在のさくら野百貨店弘前店)が土手町の店舗を廃止して郊外に移転し、1997年(平成9年)五所川原市に郊外型ショッピングセンターエルムの街が出来るなど郊外への商業機能の流出が生じるなどして土手町商店街の集客力が低下し、同じ土手町商店街あった中三が対抗して1995年(平成7年)に増床するなどして競合が激化した為、1998年(平成10年)6月に閉鎖に追い込まれている。

ドテヒロ

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跡地にはマンションが建設された(写真左)。2017年撮影。

更地化されていた「ハイ・ローザ」の跡地を取得した弘前商工会議所が開いた屋台村だったが閉鎖され、2011年(平成23年)3月28日マンション業者へ売却された。

博物館などでの展示

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東北最初の鉄筋コンクリートの百貨店で半世紀以上にわたって市民に親しまれたことから、青森県立郷土館弘前市の「追手門広場ミニチュア建造物」などに店舗のミニチュア模型が展示されているほか、ポスター、絵葉書、絵画「かくは宮川風景」(竹森節堂筆)などの資料が残っていて「弘前城築城400年祭記念事業 企画展 弘前の町並み」(弘前市立博物館2010年(平成22年)4月3日 - 2010年(平成22年)5月30日開催)などで展示されている。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 『デパート・ニューズ調査年鑑 1969年度版』 デパートニューズ社、1969年。pp262
  2. ^ a b 日本商業年鑑 1972年版, 商業界, (1972), pp. 498 

参考文献

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  • 佐藤良宣. “青森県の百貨店”. 青森県立郷土館だより通巻141号 Vol.38 No.2 (青森県立郷土館) (2007-8-1). 
  • 中園裕. “青森県史の窓01 土手町の変遷”. 東京と青森2005年10月号 (東京青森県人会) (2005-10). 
  • 弘前市史編纂委員会編『弘前市史 明治・大正・昭和編』弘前市、1964年。 
  • 日本百貨店協会編『日本百貨店組合10年史』日本百貨店協会、1959年。 
  • 衣川恵. “まちづくり3法と青森市中活事業の事例”. 地域総合研究第36巻第1・2号合併号 (鹿児島国際大学地域総合研究所) (2009-2). 
  • 横山弘. “<論説>青森県内主要都市の中心商店街の形成と特質”. 弘大地理Vol.18 (弘前大学教育学部地理学研究室) (1982). 
  • “北のミュージアム 津軽の遺産”. 陸奥新報 (陸奥新報社). (2007年5月14日) 
  • “北のミュージアム 時代の流れと百貨店”. 陸奥新報 (陸奥新報社). (2007年11月26日) 
  • “百貨店「かくは宮川」再現/弘前”. 東奥日報 (東奥日報社). (2007年11月5日) 
  • “東奥日報・社説 弘前商議所のTMOに期待”. 東奥日報 (東奥日報社). (2002年3月17日) 
  • “マンション建設へ/弘前・ドテヒロ”. 東奥日報 (東奥日報社). (2011年3月29日) 
  • “「商店街もこける」再開祈る弘前の関係者”. 東奥日報 (東奥日報社). (2011年4月1日) 
  • “ダイエー青森初出店で“弘前戦争”勃発、大型店が三つ巴”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1994年3月4日) 
  • 弘前市中心市街地活性化基本計画 平成20年7月 (Report). 弘前市. 2008.

関連項目

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