コンテンツにスキップ

いんぐりもんぐりのオールナイトニッポン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オールナイトニッポン > いんぐりもんぐりのオールナイトニッポン
いんぐりもんぐりのオールナイトニッポン
放送方式 生放送
放送期間 1986年4月12日 - 1987年6月27日
放送時間 土曜日深夜 27:00 - 29:00
(日曜日未明 3:00 - 5:00)
放送局 ニッポン放送
制作 ニッポン放送
ネットワーク NRN系列
#ネット局を参照)
パーソナリティ いんぐりもんぐり
テンプレートを表示

いんぐりもんぐりのオールナイトニッポン』は、ニッポン放送深夜放送オールナイトニッポン」の土曜2部(土曜日深夜27:00 - 29:00(日曜日未明3:00 - 5:00))で放送されていた番組。放送期間は1986年昭和61年)4月12日から1987年(昭和62年)6月27日まで。パーソナリティはロックバンドのいんぐりもんぐり

概要

[編集]

1986年3月までは、オールナイトニッポンは土曜日深夜(日曜日未明)のみ、『サンデースペシャル』(サンスぺ)として25:00 - 29:00(1:00 - 5:00)の4時間通しての放送だったが、この年4月の改編から土曜日も2部制となり、当時放送されていた『ABブラザーズのオールナイトニッポン』は土曜1部の放送となって2時間(25:00 - 27:00(1:00 - 3:00))に短縮、本番組は“土曜2部初代の番組”としてスタートした。

いんぐりもんぐりのメンバーは全員、1986年春に高校を卒業したばかり[1]。出身地の横浜を強く意識した選曲とムード作りに依った構成といわれた番組だった[2]。毎週かかる曲数は15曲前後と当時のオールナイトニッポン各番組の中では多い方で[1]、寄せられたはがきの9割超はファンの女性からのものだった[1][2]。番組内コーナーの入れ替わりは激しく、本番組がスタートしてからわずか3か月ほどの間に始まっては終わっていったものが30近くあったという[1]。番組終了は事前に決定していたがリスナーに告知を一切行わず、最終回となった1987年6月27日も通常のコーナーをこなし、ハガキ募集の告知も行った。エンディングテーマが流れる中、「今日で最終回」「来週から(本番組)ない」と突然発表し、「バイバーイ」とあっけらかんと終了した。

主なコーナー

[編集]
おれの友達なんかすげーんだぜ
  • とにかく“特技”を持っているという自分の身近の友人を紹介[1][2]
ふんげェーイタカッたコーナー
  • とにかく痛かったという経験談とその思いを綴ったはがきを紹介[1][2]
夢見るウーパールーパー
必殺仕置人コーナー
  • 「こんな奴は仕置きしてやる」というリスナーから送られて来た仕置きして欲しい人物・物件などを、川田ともこの曲『あかね雲』(『新・必殺仕置人』主題歌)のインストゥルメンタルバージョンをBGMにして紹介。はがきを読み終えた後はメンバーが様々な「お仕置きのセリフ」を叫んで締めた[1]
恐怖体験コーナー
  • スタジオ内の照明を落として薄暗くし、リスナーから寄せられた恐怖体験のはがきを読む[1]
いんぐりもんぐりのFree Way Music
  • ドライブのBGMになりそうな歌詞と曲をいんぐりもんぐりのメンバー自ら選曲し、クール且つソフトに流すコーナー。“ソフトサイド”担当のDJは永島浩之、“タイトサイド”担当のDJは前島正義[1]
YOKOHAMA MAP[1]

スタッフ

[編集]

ネット局

[編集]

(☆ - 当時、2部は土曜日のみ放送していた局)

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n ラジオパラダイス 1986年7月号 特集「オールナイトニッポン2部完全チェック」(p.30 - 31)より。
  2. ^ a b c d e 『オールナイトニッポン大百科』1997年、主婦の友社、p.161。
オールナイトニッポン 土曜2部
前担当
ABブラザーズ
(25:00〜29:00)
いんぐりもんぐりのオールナイトニッポン
土曜 27:00 - 29:00
次担当