高木豊三
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高木 豊三(たかぎ とよぞう、嘉永5年5月17日(1852年7月4日) - 大正7年(1918年)3月15日[1])は、日本の司法官僚、判事、弁護士、貴族院勅選議員。
経歴
[編集]丹波国桑田郡神吉村(現在の京都府南丹市)に、桑田郡代官の高木文右衛門の四男として生まれる[2]。司法省明法寮に入学し、ギュスターヴ・エミール・ボアソナードにフランス法を学んだ。卒業後、司法省に出仕し、ついで太政官法制局に移った。1884年(明治17年)、判事となり、1886年(明治19年)から4年間ドイツに留学した。帰国後は、福島地方裁判所所長、大審院判事、司法省民刑局長、司法次官を歴任した。
1898年(明治31年)に退官した後は、弁護士を開業し、日本赤十字社法律顧問、東京商業会議所特別会員となった。1900年(明治33年)9月26日、貴族院議員に勅選され[3][4]、1901年(明治34年)には法学博士の学位を授与された[5]。
日本の近代法の基礎を築いた先駆者の一人で、著書に『刑法義解』『民事訴訟法論綱』など。帝国大学や東京法学校(現・法政大学)そして明治法律学校(明治大学法学部)の講師、法典調査委員なども務めた。
親族
[編集]息子の高木逸雄は三笠宮崇仁親王の侍医を経て、のち東邦大学学長[6]。その妻・愛は米山梅吉の二女[7]。その娘の花枝は明治鉱業社長・安川糺(安川敬一郎孫)の妻となった。
栄典
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『立身致富信用公録 第五編』国鏡社、1902年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。