高岡町 (愛知県)
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たかおかちょう 高岡町 | |
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高岡村道路元標 | |
廃止日 | 1965年9月1日 |
廃止理由 |
編入合併 高岡町→豊田市 |
現在の自治体 | 豊田市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 愛知県 |
郡 | 碧海郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 39.24 km2. |
総人口 |
17,338人 (国勢調査、1960年) |
隣接自治体 | 豊田市、刈谷市、安城市、碧海郡知立町、西加茂郡三好町 |
高岡町役場 | |
所在地 | 愛知県碧海郡高岡町大字若林字西山18 |
座標 | 北緯35度02分08秒 東経137度05分18秒 / 北緯35.03547度 東経137.08825度座標: 北緯35度02分08秒 東経137度05分18秒 / 北緯35.03547度 東経137.08825度 |
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高岡町(たかおかちょう)は、かつて愛知県碧海郡にあった町。現在の豊田市の南西部地域である。
歴史
[編集]江戸時代には高岡の大部分が刈谷藩に属していた[1]。廃藩置県当初は刈谷県や額田県に属していたが、1872年(明治5年)からは愛知県碧海郡に属していた[1]。
- 1889年(明治22年) - 町村制の施行により碧海郡堤村、竹村、若園村、駒場村が発足[1]。
- 1906年(明治39年)5月1日 - 駒場村、若園村、堤村、竹村が合併して高岡村が発足[1]。発足時の人口は約8,200人[1]。
- 1956年(昭和31年)5月1日 - 村制50周年[1]。高岡村が町制施行して高岡町が発足[1]。
- 1965年(昭和40年)9月1日 - 豊田市に編入合併される。高岡町は廃止。
行政
[編集]- 歴代町村長[2]
- 1947年(昭和22年)-1951年(昭和26年) - 石川勇
- 1951年(昭和26年)-1955年(昭和30年) - 石川藤吉
- 1955年(昭和30年)-1959年(昭和34年) - 都築正重
- 1959年(昭和34年)-1961年(昭和36年) - 都築鉄重
- 人口[3]
- 1896年(明治29年)- 7,807人
- 1920年(大正9年) - 9,389人
- 1930年(昭和5年) - 10,093人
- 1940年(昭和15年) - 12,379人
- 1950年(昭和25年) - 16,555人
- 1960年(昭和35年) - 17,337人
教育
[編集]1961年(昭和36年)時点の高岡町には1中学校5小学校が存在し、また高等家政学校があった[4]。豊田市合併後の1982年(昭和57年)には豊田市立前林中学校が開校している。
中学校
[編集]- 高岡町立高岡中学校(現・豊田市立高岡中学校) - 1947年開校。
小学校
[編集]- 高岡町立堤小学校(現・豊田市立堤小学校) - 1907年開校。
- 高岡町立若園小学校(現・豊田市立若園小学校) - 1907年開校。
- 高岡町立竹村小学校(現・豊田市立竹村小学校) - 1907年開校。
- 高岡町立駒場小学校(現・豊田市立駒場小学校) - 1907年開校。
- 高岡町立大林小学校(現・豊田市立大林小学校) - 1954年開校。
各種学校
[編集]- 高等家政学校 - 1955年3月15日開校。
交通
[編集]1919年(大正8年)には三河鉄道(現在の名鉄三河線)の知立駅=土橋駅間が開通し、高岡村に鉄道が到来した。1961年(昭和36年)時点の高岡町には鉄道路線が1路線あり、バス路線が4路線あった[5]。
鉄道
[編集]バス
[編集]- 名鉄バス
- 刈谷豊田線
- 岡崎堤線
- 安城豊田線
- 知立豊田線
娯楽
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 1960年の映画館(東海地方)「消えた映画館の記憶」を参照した[6]。