香城敏麿
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香城 敏麿(こうじょう としまろ、1935年8月30日 - 2007年3月22日)は、日本の裁判官。北海道札幌市出身[1][2]。
概要
[編集]東京大学法学部を卒業[1][3]。1958年に司法修習生となる[3]。1960年4月に東京地裁判事補となり、1962年8月から法務省刑事局付検事となり、アメリカ留学を経て、1970年に東京地裁判事に就任[4][3]。1973年から最高裁調査官として猿払事件や全逓名古屋中郵事件に関与[4][5]。1978年4月に大阪高裁判事、1981年4月に東京高裁判事、1985年11月に東京地裁部総括判事を、1988年4月に最高裁上席調査官に就任[6][5]。その後、東京高裁判事、大分地・家裁所長、静岡地裁所長、東京高裁部総括判事を歴任[5]。1999年4月に福岡高裁長官に就任し、2000年8月に定年退官した[1][5][7]。
2001年に独協大法学部教授[8]。同年11月に電気通信事業紛争処理委員会委員長に就任[8]。健康上の理由で2007年2月に電気通信事業紛争処理委員会委員長を退任[9]。
2007年3月に死去[10]。
脚注
[編集]- ^ a b c “香城敏麿・福岡高裁新長官と石川達紘・福岡高裁新検事長が記者会見=福岡”. 読売新聞. (1999年5月8日)
- ^ 「ひと 香城敏麿さん」佐賀新聞、1999年5月21日、総合面
- ^ a b c 渡辺康行 2017, p. 283.
- ^ a b 日本民主法律家協会司法制度委員会 1990, p. 92.
- ^ a b c d 渡辺康行 2017, p. 284.
- ^ 日本民主法律家協会司法制度委員会 1990, pp. 92–93.
- ^ “福岡高裁長官に青山正明・東京家裁所長を任命”. 読売新聞. (12000-08-25)
- ^ a b “電気通信事業紛争処理委員会 初代委員長に香城敏麿氏”. 読売新聞. (2000年11月30日)
- ^ “電気通信事業紛争処理委員会に森永規彦氏”. 朝日新聞. (2007年2月15日)
- ^ “香城敏麿(独協第法科大学教授)死去”. 読売新聞. (2007年3月24日)
参考文献
[編集]- 日本民主法律家協会司法制度委員会『全裁判官経歴総覧』公人社、1990年。
- 渡辺康行『憲法学からみた最高裁判所裁判官』日本評論社、2017年。ISBN 9784535522633。