飯塚啓
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飯塚 啓(いいづか あきら、慶応4年6月16日(1868年8月4日) - 昭和13年(1938年)12月10日[1])は、日本の動物学者。元学習院大学教授。環虫類の世界的権威として知られた。『海産動物学』は、名テキストとして長く使用された[要出典]。息子は地理学者の飯塚浩二。
経歴
[編集]1868年、上野国北群馬郡小野上村(現群馬県渋川市)に生まれる[1]。第二高等中学校を経て、東京帝国大学卒業[1]。1900年8月第六高等学校教授、翌月東京帝国大学助教授[1]。1910年、学習院大学教授に就任[1]。 1919年、エッセイ集「伊香保みやげ」の中で、榛名湖のシジミの減少を予言した[要出典]。1930年に退職[1]。1931年東京科学博物館動物学部部長[1]。1938年12月10日死去[1]。
2002年、鹿児島大学の佐藤正典が、1908年に飯塚が分類したゴカイが、実はアリアケカワゴカイなど3種を混同していたと発表した。[要出典]
栄典
[編集]主な著作
[編集]- 『植物学本義』大日本理科通信講習会(1900)
- 『植物學新論』博文館(1901)
- 『海産動物學」博文館(1907)
- 『海産動物學 増訂」博文館(1912)
- 『飯塚動物發生學』博文館(1931)