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陳丕顕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
陳丕顕
プロフィール
出生: 1916年3月20日
死去: 1995年8月23日
出身地: 中華民国の旗 中華民国福建省上杭
職業: 政治家
各種表記
繁体字 陳丕顯
簡体字 陈丕显
拼音 Chén Pīxiǎn
和名表記: ちん ひけん
発音転記: チェン・ピーシェン
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陳 丕顕(ちん ひけん、チェン・ピーシェン、1916年3月20日 - 1995年8月23日)は中華人民共和国政治家1929年中国社会主義青年団1931年中国共産党に入党。

中華人民共和国建国後、蘇南区党委書記兼蘇南軍区政治委員に任命される。1952年上海市党委員会第四書記、1954年に第二書記、1956年より市党委第一書記兼上海警備区第一政治委員に就任。1960年、中国共産党中央華東局書記、上海市政治協商会議主席。文化大革命では、奪権の最前線となった上海市のトップだったため、江青張春橋によって曹荻秋市長と共に批判の対象となり、1967年1月に失脚。

1975年10月に上海市革命委員会副主任として復活。雲南省党委書記、湖北省党委第一書記などを経て、1982年9月の第12期1中全会で党中央書記処書記となり、10月には中央政法委員会書記に任命される。1983年、第6期全国人民代表大会常務委員会副委員長に選出される。しかし、兪強声事件が発生すると責任を取って全職務を辞任。1987年党中央顧問委員会常務委員。

1995年8月23日、北京で死去。

第7期中央委員候補、第11期、第12期中央委員。

 中国共産党
先代
彭真
中央政法委員会書記
1982年 - 1985年
次代
喬石
先代
陳毅
上海市党委第一書記
1956年 - 1967年
次代
張春橋