鍾南山
鍾 南山 | |
---|---|
鍾 南山 | |
生誕 |
1936年10月20日(88歳) 中華民国 江蘇省南京市 |
国籍 | 中華人民共和国 |
教育 | 北京医学院 |
職業 | 医師、医学者、公衆衛生学者 |
著名な実績 | 疫学、呼吸器学、臨床医学 |
親戚 |
父鍾世藩 母廖月琴 |
医学関連経歴 | |
職業 | 臨床医学 |
分野 | 呼吸器学 |
所属 | 広州医科大学附属第一医院 |
研究 | 呼吸器疾患 |
受賞 | 中国工程院院士 |
鍾南山 | |
---|---|
各種表記 | |
繁体字: | 鍾南山 |
簡体字: | 钟南山 |
拼音: | Zhōng Nánshān |
英語名: | Zhong Nanshan |
鍾南山(しょう なんざん、チョン・ナンシャン、中国語: 钟南山、1936年10月20日 - [1])は、中華人民共和国の医師、医学者、衛生学者、現国家衛生健康委員会専門家グループ長。専門は疫学、呼吸器学、臨床医学。
2002年から2003年にかけての重症急性呼吸器症候群(SARS)の感染拡大時には、感染の中心地となった広東省で広州市呼吸器疾病研究所の所長を務めていた。今まで知られていない呼吸器疾患の重症患者を相次いで受け入れ治療したことから異常を察知し、広東省のSARS医療救護専門家指導チームを率いて省内各地で防疫・治療活動を行い、この病気についての論文ではじめてSARSという病名を提案した。重症のSARS患者を自身が所長を務める広州市呼吸器疾病研究所へ積極的に受け入れ、有効な治療法を見出して死亡率や入院期間を低減させた。SARSの脅威を低く見積もる中華人民共和国衛生部や中国疾病予防管理センター(中国疾病預防控制中心)の見解に異を唱え、感染の実態を隠蔽して実態と異なる発表を行う政権に立ち向かって事態の深刻さを訴えたことでも、世界的に知られるようになった[2][3]。
経歴
[編集]1936年10月20日、江蘇省南京市で生まれた。父の鍾世藩は北京協和医学院とニューヨーク州立大学を卒業し、中山医学院(現在の中山大学中山医学院)小児科教授となった[4]。母の廖月琴は協和医科大学から卒業し、華南腫瘍病院(現在の中山大学腫瘤防治中心)の副院長を務めたが、文化大革命で自殺した[4]。
1938年9月~1946年7月に父が貴陽中央病院の院長を務めたため[5]、一家は貴州省貴陽市に住んでいた[5]。
1946年に一家は広東省広州市に引っ越したから、すらすら広東語ができる。嶺南大学附小(現在の中山大学附小)・華南師範大学附属中学を経て、1960年北京医学院(現在の北京大学医学部)を卒業[6][7]。1960年北京市の運動会で、彼は男子十種競技準優勝を獲得した[8]。大学を卒業した後、学校で放射生物化学を教えていた。
1964年~1966年、山東省乳山県(現在の乳山市)で上山下郷運動に参加。1969年に河北省寛城県に下放された。
1979年、イギリスのエディンバラ大学で[7]David Caton Floenleyに師事した。
1985年以降、中国共産党中央委員会指導部の保健医師に指定された。また、世界保健機関医学顧問、国際胸科協会特別会員、アジア太平洋分会理事にも任命された。
1992年から2002年まで広州医学院院長(現在の広州医科大学)を務めた。2005年4月には中華医学会の第23代会長に当選した。
2009年、貴陽医学院(現在の貴州医科大学)の名誉院長と任命された[5]。
2020年1月に新型コロナウイルス状況応急研究研究チームリーダーに就任した[9][10][11]。
家族
[編集]1963年にバスケットボール選手の李少芬と結婚[8][4]。一子一女をもうけた。
栄典
[編集]- 1989年、米国胸科医師学会会士。
- 1993年、ヨーロッパ呼吸学会会員。
- 1996年、中国工程院院士。
- 2005年、アイルランド皇家内科医師学会会士。
- 2011年、エディンバラ皇家内科医師学会会士。
- ロンドン皇家内科医師学会会士。
- 2020年、中華人民共和国共和国勲章。
脚注
[編集]- ^ “钟南山” (Chinese). Chinese Academy of Engineering. 23 June 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。18 February 2016閲覧。
- ^ “SARS hero Zhong Nanshan named China's best scientist”. whatsonxiamen. 3 February 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。18 July 2013閲覧。
- ^ “The coronavirus discovered in China is causing global alarm”. The Economist. (2020年1月23日). ISSN 0013-0613. オリジナルの26 January 2020時点におけるアーカイブ。 2020年1月29日閲覧。
- ^ a b c “钟南山全家皆人才,三代从医,都爱篮球,妻子是篮协副主席,女儿曾打破世界纪录” (中国語). qq.com. (2020年1月30日) 2020年1月31日閲覧。
- ^ a b c “钟南山:我小时候在这里长大 算是半个贵州人” (中国語). 鳳凰網. (2013年5月27日) 2020年1月31日閲覧。
- ^ “今天,华附130年校庆,钟南山等大咖都回来了!他们说…” (中国語). qq.com. (2018年12月8日) 2020年1月31日閲覧。
- ^ a b “83岁挂帅出征!钟南山院士,北大医学部的骄傲” (中国語). 網易. (2020年1月25日) 2020年1月31日閲覧。
- ^ a b “运动达人钟南山院士,曾是全运会冠军,家人都是运动员” (中国語). qq.com. (2020年1月25日) 2020年1月31日閲覧。
- ^ 吉岡桂子 (2020年1月26日). “新型肺炎、発表患者数が急増 その裏に84歳の英雄医師”. 朝日新聞 2020年1月31日閲覧。
- ^ “新型コロナウイルス肺炎の死亡率はさらに低下する 鍾南山氏”. china.org.cn. (2020年1月29日) 2020年1月31日閲覧。
- ^ “新型肺炎の死亡率はさらに低下する 鍾南山氏”. livedoor.com. (2020年1月28日) 2020年1月31日閲覧。
学職 | ||
---|---|---|
先代 張文康 |
中華医学会会長 2005年—2010年 |
次代 陳竺 |