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金武ブルー・ビーチ訓練場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金武ブルー・ビーチ訓練場
沖縄県金武町
金武ブルー・ビーチ訓練場
米海軍関連施設
種類FAC6020
面積381,000㎡
施設情報
管理者沖縄の米軍基地 海兵隊
歴史
使用期間1972-

金武ブルー・ビーチ訓練場(きんブルービーチくんれんじょう、: Kin Blue Beach Training Area) は、沖縄県金武町にある在日アメリカ海兵隊の訓練場。当初は海兵隊の娯楽施設であったが、訓練場として使用されるようになった。他の基地とあわせ、金武町の総面積の約56%が米軍施設となっている。

概要

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金武ブルー・ビーチ訓練場は北側のキャンプ・ハンセンとつながる専用道路を持ち、また西岸には金武レッド・ビーチ訓練場もある。

  • 面積:約396,000 m2(1972年時点) → 381,000 m2(2013年時点)
  • 所在地:金武町(字金武)
  • 地主数:302人[1]
  • 管理部隊名:海兵隊キャンプ・バトラー基地司令部
  • 使用部隊名:海兵隊ほか
  • 使用主目的:訓練場

使用状況

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2007年2月11日、米国海兵隊第31海兵隊遠征部隊が、金武ブルー・ビーチ・トレーニング・エリアに上陸。水陸両用強襲艦USSエセックス(LHD2)が使われている。

金武ブルー・ビーチ訓練場は、金武町の金武岬にある海兵隊の訓練場であり、上陸訓練のための730 mの海岸は、キャンプ・ハンセンからの水陸出動の場として使用、また上陸用舟艇ホーバークラフト等を使用した上陸訓練、水上輸送訓練、上陸訓練、通信訓練、などがが行われている。

以前は訓練のない時は、海水浴場として地元住民にも解放されていたが、現在は立入ができない。金武町は住民への開放を要請している[2]

年に一度、旧暦3月3日の重要な浜下り(はまうり)の儀式時期に2日程度開放される。

金武町は、山手に巨大なキャンプ・ハンセンと自衛隊施設、また海岸沿いには金武レッド・ビーチ訓練場と金武ブルー・ビーチ訓練場があり、町の総面積の約56%が米軍施設となっている。

歴史

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  • 1959年3月15日、米軍の娯楽施設として使用開始。
  • 1963年7月1日、金武ブルー・ビーチ訓練場として使用開始。
  • 1973年4月12日、金武ブルービーチで演習中の戦車が女性を轢殺[3][4]
  • 1981年3月31日、キャンプ・ハンセンとの戦車連絡道が完成。
  • 1982年2月5日、交通施設(戦車横断橋)として、土地約500 m2と工作物(橋梁)が追加。
  • 1983年5月8日、米軍が赤土流出防止のため土砂どめ柵を設置。
  • 1988年7月14日、道路(舗床等)を追加提供。
  • 2001年3月31日、県道162号線改良舗装工事による道路拡張用地約1,300 m2を返還。
  • 2001年10月24日 - 10月25日、農地改良事業用地約6,400 m2を返還。道路用地として、土地約3,400 m2を追加提供。
  • 2009年11月13日、ヘリコプター着陸帯として下水等を追加提供[1]
  • 2020年2月9日、陸自水機団と米軍が沖縄県内初の合同訓練、LCACHIMARSが使われた[5]

脚注

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  1. ^ a b 「米軍基地環境カルテ」沖縄県 (2017)
  2. ^ 沖縄県 基地の概要 (PDF) p. 202
  3. ^ 沖縄戦後史略年表(1945-2018)” (PDF). 沖縄平和論のアジェンダ:怒りを力にする視座と方法(法律文化社2018年)付録. 2020年2月24日閲覧。
  4. ^ 「また米軍」「ひどい」絶対許せない/沖縄女性遺体遺棄 静かな住宅街衝撃”. www.jcp.or.jp. 2020年2月24日閲覧。
  5. ^ “陸自水機団が沖縄県内初訓練 金武 日米共同、進む一体化”. 琉球新報. (2020年2月11日). https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1072139.html 

関連項目

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