金光義邦
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金光 義邦(かねみつ よしくに、1909年(明治42年)3月15日[1] - 1978年(昭和53年)1月5日[2])は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(3期)。
経歴
[編集]本籍大分県。金光庸夫の長男として生まれる[3]。1935年10月、東京帝国大学経済学部経済学科を卒業[2][4]。
王子電気軌道取締役、南部鉄道取締役、愛国工業取締役、山陽電気鉄道監査役、新日本火災海上保険社長、日本教育生命保険社長、大正生命保険社長などを務めた[2]。
1946年4月、第22回衆議院議員総選挙に大分県から出馬し当選[2]。その後、第24回総選挙まで連続3回当選し衆議院議員を三期務めた[2][4]。この間、片山内閣厚生政務次官、衆議院地方行政委員長、日本進歩党会計監督、同政調会副会長、民主党総務などを歴任した[2]。
1978年1月5日死去、68歳。死没日をもって勲三等旭日中綬章追贈、正五位に叙される[5]。墓所は多磨霊園。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録』第14版 上、1943年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056
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先代 前尾繁三郎 |
衆議院地方行政委員長 1951年 - 1952年 |
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