美章園駅
美章園駅 | |
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東口(2021年5月) | |
びしょうえん Bishōen | |
◄JR-R20 天王寺 (1.5 km) (1.5 km) 南田辺 JR-R22► | |
所在地 | 大阪市阿倍野区美章園2丁目18番14号[1] |
駅番号 | JR-R21 |
所属事業者 | 西日本旅客鉄道(JR西日本) |
所属路線 | ■阪和線 |
キロ程 | 1.5 km(天王寺起点) |
電報略号 | ヒシ |
駅構造 | 高架駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
4,864人/日(降車客含まず) -2022年- |
開業年月日 | 1931年(昭和6年)6月3日 |
備考 |
業務委託駅[2] みどりの券売機プラス設置駅 大阪市内駅 |
美章園駅(びしょうえんえき)は、大阪府大阪市阿倍野区美章園二丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)阪和線の駅である。駅番号はJR-R21。
概要
[編集]駅名は、大阪の財界人であり大阪商工会議所第8代会頭、大阪商船(現在の商船三井)や日本電力(現在は解散)の社長などを務めた山岡順太郎が、1921年(大正10年)に美章土地株式会社を設立し、住宅地「美章園」を建設するに加えて、美章園駅の建設費を寄付したことに由来する。「美章」の名は山岡順太郎の父・山岡美章から取られたものである[3][4][5]。
歴史
[編集]- 1931年(昭和6年)
- 1940年(昭和15年)12月1日:南海鉄道への吸収合併により、同鉄道山手線の停留場となる[7]。
- 1944年(昭和19年)5月1日:戦時買収により国有化され、運輸通信省(後の日本国有鉄道)阪和線所属となる[7]。同時に駅に昇格。
- 1945年(昭和20年)2月14日:空襲の被害を受け、営業休止。
- 1947年(昭和22年)4月15日:営業再開[8][9]。
- 1958年(昭和33年):駅舎改築[8]。
- 1958年(昭和33年)5月13日:改良工事竣工[8]。
- 1966年(昭和41年)12月1日:荷物扱い廃止[10]。
- 1969年(昭和44年)8月:西口完成[11]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる[7]。
- 1993年(平成5年)7月1日:阪和線運行管理システム(初代)導入。
- 1998年(平成10年)4月21日:自動改札機を設置し、供用開始[12]。
- 2003年(平成15年)11月1日:ICカード「ICOCA」の利用が可能となる[13]。
- 2013年(平成25年)9月28日:阪和線運行管理システムを2代目のものに更新。
- 2015年(平成27年)
- 3月8日:みどりの窓口の営業を終了。
- 3月9日:みどりの券売機プラスが稼働。
- 2018年(平成30年)3月17日:駅ナンバリングが導入され、使用を開始する。
- 2022年(令和4年)3月2日:JR西日本交通サービスによる業務委託駅となる。
空襲による当駅付近の被害
[編集]1945年(昭和20年)2月14日[14]午後8時過ぎ、アメリカ軍による空襲で、B29が阿倍野区内だけに3発の爆弾を投下した。そのうち1トン爆弾1発が当駅構内に落下し阪和線の鉄筋コンクリート橋脚を粉砕、付近の民家20件ほどを破壊し死傷者30余名を出した。運悪く東和歌山方面行きの電車が発車した直後でホームに多くの人がいたため、多くの死者が出た[15]。1951年(昭和26年)8月24日、駅東側に当時の駅職員によって「遭難供養之碑」が建てられた。
この時に明浄高等女学校(現・明浄学院高校)裏にも爆弾が落下し、同校生も犠牲になった[15]。近くの文の里公園に「慰霊塔」がある。それには大阪市最初の被爆地と書かれているが、実際には2月14日より前から大阪市内に空襲が行われている。
大阪市内で空襲慰霊碑のある駅としては、他に1945年8月14日の京橋駅空襲で被害を受けた京橋駅(大阪環状線・片町線)がある。
駅構造
[編集]相対式ホーム2面2線を持つ高架駅。分岐器や絶対信号機がない停留所に分類される。
通常使用される改札口は東側のみだが、平日の朝ラッシュ時には西側の改札口も利用できる。2008年3月にエレベーターが整備され、歩道と改札口の段差にもスロープが設置されるなど、バリアフリー化が進んでいる。
業務委託駅で[2]、JRの特定都区市内制度における「大阪市内」に属する駅である。ICカード「ICOCA」を利用することができる(相互利用可能ICカードはICOCAの項を参照)。
のりば
[編集]のりば | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | 阪和線 | 下り | 鳳・関西空港・和歌山方面[16] |
2 | 上り | 天王寺方面[16] |
- 2013年9月までは、「鳳方面行き」「天王寺行き」に行先が固定された簡易型自動放送だった。
利用状況
[編集]2022年(令和4年)度の一日平均乗車人員は4,864人である。付近に学校が多く、学生の利用者がかなりの部分を占める。
各年度の1日の平均乗車人員は以下の通りである。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
出典 |
---|---|---|
1988年(昭和63年) | 7,295 | [大阪府 1] |
1989年(平成元年) | 7,199 | [大阪府 1] |
1990年(平成 | 2年)7,045 | [大阪府 2] |
1991年(平成 | 3年)6,960 | [大阪府 3] |
1992年(平成 | 4年)6,753 | [大阪府 4] |
1993年(平成 | 5年)6,602 | [大阪府 5] |
1994年(平成 | 6年)6,371 | [大阪府 6] |
1995年(平成 | 7年)6,365 | [大阪府 7] |
1996年(平成 | 8年)6,423 | [大阪府 8] |
1997年(平成 | 9年)6,429 | [大阪府 9] |
1998年(平成10年) | 6,336 | [大阪府 10] |
1999年(平成11年) | 6,163 | [大阪府 11] |
2000年(平成12年) | 6,032 | [大阪府 12] |
2001年(平成13年) | 5,684 | [大阪府 13] |
2002年(平成14年) | 5,293 | [大阪府 14] |
2003年(平成15年) | 5,225 | [大阪府 15] |
2004年(平成16年) | 5,065 | [大阪府 16] |
2005年(平成17年) | 4,830 | [大阪府 17] |
2006年(平成18年) | 4,842 | [大阪府 18] |
2007年(平成19年) | 4,762 | [大阪府 19] |
2008年(平成20年) | 4,773 | [大阪府 20] |
2009年(平成21年) | 4,804 | [大阪府 21] |
2010年(平成22年) | 4,784 | [大阪府 22] |
2011年(平成23年) | 4,824 | [大阪府 23] |
2012年(平成24年) | 4,842 | [大阪府 24] |
2013年(平成25年) | 5,145 | [大阪府 25] |
2014年(平成26年) | 5,227 | [大阪府 26] |
2015年(平成27年) | 5,362 | [大阪府 27] |
2016年(平成28年) | 5,365 | [大阪府 28] |
2017年(平成29年) | 5,290 | [大阪府 29] |
2018年(平成30年) | 5,271 | [大阪府 30] |
2019年(令和元年) | 5,265 | [大阪府 31] |
2020年(令和 | 2年)4,511 | [大阪府 32] |
2021年(令和 | 3年)4,677 | [大阪府 33] |
2022年(令和 | 4年)4,864 | [大阪府 34] |
駅周辺
[編集]駅の東側は古くからの商店や住宅が所狭しと軒を連ねている。阪和線の高架下には商店が軒を連ねている。周辺道路は交通量が多い上に歩道が狭い。
学校
[編集]- 大阪芸術大学附属大阪美術専門学校
- 大阪府立天王寺高等学校
- 大阪市立工芸高等学校
- 大阪市立第二工芸高等学校
- 大阪市立デザイン教育研究所
- 明浄学院高等学校
- あべの翔学高等学校(旧・大阪女子高等学校)
- 中央学園高等専修学校(旧・中央学園専門学校)
- 中央ITビジネス専門学校(旧・中央テクニカルカレッジ専門学校)
- 大阪市立文の里中学校
その他
[編集]- 阿倍野区役所
- ハローワーク阿倍野(文の里庁舎)
- 日本郵便 阿倍野美章園郵便局
- 日本郵便 東住吉桑津郵便局
- 三井住友銀行 美章園支店
- 徳島大正銀行 美章園支店
- スーパーサンコー 美章園店
- 河堀口駅(近鉄南大阪線)
- 美章園温泉(登録有形文化財、2008年解体)
バス路線
[編集]「美章園」停留所にて、大阪シティバスの路線が発着する。
1990年代まで近鉄バスの、あべの橋と志紀車庫・国分方面を結ぶ路線が停車していた。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]記事本文
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “美章園駅 駅情報:JRおでかけネット”. JR西日本. 2022年9月27日閲覧。
- ^ a b “会社概要”. JR西日本交通サービス. 2022年3月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月2日閲覧。
- ^ 山岡順太郎と大阪住宅経営株式会社 和田 康由, 寺内 信 日本建築学会計画系論文集 1996年61巻486号 p.167-176
- ^ 山岡順太郎と住宅経営論 和田 康由, 寺内 信 日本建築学会計画系論文集 1996年61巻488号 p.187-194
- ^ 大阪市 阿倍野区 阿倍野区の地名・町名の由来 - 大阪市
- ^ a b 竹田辰男『阪和電気鉄道史』鉄道資料保存会、1989年、51頁。ISBN 978-4885400612。
- ^ a b c 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 42号 阪和線・和歌山線・桜井線・湖西線・関西空港線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年5月16日、12-13頁。
- ^ a b c 天王寺鉄道管理局三十年写真史P275「駅の変せん」、年表
- ^ 『関西国電50年』(鉄道史資料保存会、1982年)年表
- ^ 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、365頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 天王寺鉄道管理局三十年写真史 P223年表
- ^ 「JR年表」『JR気動車客車編成表 '99年版』ジェー・アール・アール、1999年7月1日、185頁。ISBN 4-88283-120-1。
- ^ 「ICOCA」いよいよデビュー! 〜 平成15年11月1日(土)よりサービス開始いたします 〜(インターネット・アーカイブ) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2003年8月30日
- ^ 天王寺鉄道管理局三十年写真史P177の年表では昭和20年3月11日となっているが、誤り。
- ^ a b 『阿倍野区史』(1956年)P334-337
- ^ a b “美章園駅|構内図:JRおでかけネット”. 西日本旅客鉄道. 2023年1月28日閲覧。
利用状況
[編集]- 大阪府統計年鑑
- ^ a b 大阪府統計年鑑(平成2年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成3年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成4年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成5年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成6年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成7年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成8年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成9年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成10年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成11年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成12年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成13年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成14年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成15年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成16年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成17年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成18年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成19年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成20年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成21年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成22年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成23年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成24年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成25年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成26年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成27年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成28年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成29年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成30年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(令和元年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(令和2年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(令和3年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(令和4年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(令和5年) (PDF)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 美章園駅|駅情報:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道