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細川氏久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
細川氏久
時代 室町時代中期
生誕 不明
死没 長禄4年(1460年)5月24日[1]
別名 九郎
戒名 華光院
官位 上総介
幕府 室町幕府 備中守護
氏族 細川備中守護家
父母 父:細川頼重
勝久政信[2]
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細川 氏久(ほそかわ うじひさ)は、室町時代中期の武将守護大名備中国守護。官職は上総介を称した。細川備中守護家当主。足利義政御供衆となったとする資料があるが詳細は不明[3]

概要

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永享2年(1430年)に足利義教から伊予国新居郡や西条荘島山郷などを安堵されている[4]

建内記嘉吉元年(1441年)7月28日条によれば、現在の岡山県井原市にあった重玄寺の大旦那であった足利冬氏の子・足利義将を氏久の手勢が討ち取っている[5]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 「細川之系図[1]
  2. ^ 「細川之系図[2]
  3. ^ 「細川之系図[3]
  4. ^ 愛媛生涯学習センター「データベース『えひめの記憶』[4]
  5. ^ 瀬野精一郎『足利直冬』(吉川弘文館、2005年)

関連項目

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