第三号掃海艇
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艦歴 | |
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計画 | 大正9年度計画[1] |
起工 | 1922年8月1日[1] |
進水 | 1923年3月29日[1] |
竣工 | 1923年6月30日[1] |
その後 | 1945年4月9日雷撃により沈没[1] |
除籍 | 1945年5月10日[1] |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:600トン 公試:702トン |
全長 | 76.20m |
全幅 | 8.03m |
吃水 | 2.29m |
機関 | ロ号艦本式缶(石炭専焼)2基[2] 直立3気筒3段膨張レシプロ2基 2軸、4,000馬力 |
速力 | 20.0ノット |
航続距離 | 12ノットで2,000海里 |
燃料 | 石炭:150トン |
乗員 | 97名[3] |
兵装 | 45口径三年式12cm砲 2門 40口径三年式8cm高角砲 単装1門 九一式爆雷投射機2基 爆雷投下台6基 爆雷18個[4] 対艦式大掃海具2型 単艦式大掃海具3型、または機雷50個 |
第三号掃海艇(だいさんごうそうかいてい)は、日本海軍の掃海艇。第一号型掃海艇の3番艦。
艦歴
[編集]1922年(大正11年)8月1日、大阪鉄工所桜島工場で起工[1]。1923年(大正12年)3月29日進水。同年6月30日に竣工。竣工時艇名は第三掃海艇[5]、掃海艇に類別。1924年(大正13年)4月24日、第三号掃海艇に改称[6]。
1937年(昭和12年)から1939年(昭和14年)まで日中戦争において華中の作戦に参加[1]。1937年12月28日、南京下流烏龍山水道で触雷して損傷を受けた[1]。太平洋戦争では、南方侵攻作戦、船団護衛に従事[1]。
1945年(昭和20年)4月9日、「浮島丸」を護衛中に米潜「パーチー」の雷撃を受け沈没(岩手県大船渡湾口)[1]。同年5月10日に除籍。
歴代艇長
[編集]※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 艤装員長
- 山田梅蔵 少佐:1923年3月10日[7] -
- 艇長
- 山田梅蔵 少佐:1923年6月30日[8] - 1923年12月1日[9]
- 木村昌福 大尉:1923年12月1日 - 1925年12月1日
- 園田昇 大尉:1925年12月1日[10] - 1926年12月1日[11]
- 小沢三良 大尉:1926年12月1日[11] - 1928年12月10日[12]
- 高橋棐 少佐:1928年12月10日[12] - 1929年11月30日[13]
- 橘雄次 大尉:1929年11月30日[13] - 1931年10月24日[14]
- 中村謙治 大尉:1931年10月24日[14] - 1932年12月1日[15]
- 後藤茂 大尉:1932年12月1日[15] - 1933年11月15日[16]
- 川島良雄 大尉:1933年11月15日 - 1934年11月15日
- 中杉清治 大尉:1934年11月15日[17] - 1935年10月15日[18]
- 清水逸郎 大尉:1935年10月15日[18] - 1936年12月1日[19]
- 浜中脩一 少佐:1936年12月1日[19] - 1938年2月21日[20]
- (兼)原口曻 少佐:1938年2月21日[20] - 1938年7月11日[21]
- 梶原正見 少佐:1938年7月11日 - 1938年7月28日
- 大河原肇 少佐:1938年7月28日[22] - 1938年12月15日[23]
- 山下正倫 少佐:1938年12月15日[23] - 1939年11月15日[24]
- 笹田兼雄 少佐:1939年11月15日[24] - 1940年11月15日[25]
- 青野重郎 大尉:1940年11月15日[25] - 1941年9月20日[26]
- 仁木伊三郎 予備大尉:1941年9月20日[26] -
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 『写真日本海軍全艦艇史』資料篇「主要艦艇艦歴表」28頁。
- ^ 『昭和造船史』、『日本補助艦艇物語』による。『写真 日本の軍艦 第13巻』p226-227の表によると3基。
- ^ 『昭和造船史』、『日本補助艦艇物語』による。『写真 日本の軍艦 第13巻』p226-227の表によると91名。
- ^ 『写真 日本の軍艦 第13巻』による。一方『昭和造船史』、『日本補助艦艇物語』には爆雷の記載はない。
- ^ 「大正10年10月12日付 海軍大臣達 第190号」 アジア歴史資料センター Ref.C12070079300
- ^ 「大正13年4月24日付 海軍大臣達 第49号」 アジア歴史資料センター Ref.C12070083400
- ^ 『官報』第3182号、大正12年3月12日。
- ^ 『官報』第3277号、大正12年7月3日。
- ^ 『官報』第3385号、大正12年12月4日。
- ^ 『官報』第3982号、大正14年12月2日。
- ^ a b 『官報』第4283号、大正15年12月2日。
- ^ a b 『官報』第587号、昭和3年12月11日。
- ^ a b 『官報』第878号、昭和4年12月2日。
- ^ a b 『官報』第1448号、昭和6年10月26日。
- ^ a b 『官報』第1778号、昭和7年12月2日。
- ^ 『官報』第2064号、昭和8年11月16日。
- ^ 『官報』第2364号、昭和9年11月16日。
- ^ a b 『官報』第2638号、昭和10年10月16日。
- ^ a b 『官報』第2976号、昭和11年12月2日。
- ^ a b 「海軍辞令公報 号外 第140号 昭和13年2月21日付」 アジア歴史資料センター Ref.C13072073400
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)号外 第209号 昭和13年7月11日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074100
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)号外 第217号 昭和13年7月28日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074100
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)号外 第273号 昭和13年12月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074800
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)第402号 昭和14年11月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076800
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)第555号 昭和15年11月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079500
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)第716号 昭和16年9月20日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072082100
参考文献
[編集]- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第13巻 小艦艇I』光人社、1990年。ISBN 4-7698-0463-6
- 日本造船学会『昭和造船史 第1巻』第3刷、原書房、1981年。ISBN 4-562-00302-2
- 福井静夫『福井静夫著作集第10巻 日本補助艦艇物語』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0658-2
- 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。