石川賢 (1981年生の投手)
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2009年8月24日(西武第二球場) | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 北海道函館市 |
生年月日 | 1981年6月1日(43歳) |
身長 体重 |
183 cm 98 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2003年 ドラフト3巡目 |
初出場 | 2004年4月25日 |
最終出場 | 2006年4月27日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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石川 賢(いしかわ さとる、1981年6月1日 - )は、北海道函館市出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
[編集]函館市立金堀小学校(現在は廃校)時代に、函館人見スポーツ少年団で野球を始める。函館市立的場中学校(現在は廃校)から北海道函館工業高等学校に進学すると、1年秋に全道大会に出場[1]。
八戸大学に進学すると、主に抑えとして同期の川島亮らと共に、同校初の大学選手権出場とベスト8進出に貢献したが延長10回サヨナラ負け。
2003年のドラフトで中日ドラゴンズから3巡目で指名。150km近いストレートを持ち、将来のストッパー候補と目されていた。
しかし一軍で目立った成績を上げられぬまま、一軍未登板に終わった2007年にわずか4年で戦力外通告を受ける。その後12球団合同トライアウトを受け、東北楽天ゴールデンイーグルスが獲得した。楽天でチームメイトとなった青山浩二は、同じ高校と大学の2年後輩である[2]。
楽天移籍後は2008年から3年連続で一軍での登板を果たせず、2010年10月1日付で戦力外通告を受け、現役を引退。
引退後は、二軍サブマネージャー兼用具担当として楽天球団に引き続き在籍[3]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2004 | 中日 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 53 | 11.2 | 13 | 0 | 6 | 1 | 0 | 3 | 1 | 0 | 10 | 9 | 6.94 | 1.63 |
2005 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 7 | 1.1 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 2 | 13.50 | 2.25 | |
2006 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 9 | 2.0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1 | 4.50 | 1.50 | |
通算:3年 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 69 | 15.0 | 19 | 1 | 6 | 1 | 0 | 4 | 2 | 0 | 13 | 12 | 7.20 | 1.67 |
記録
[編集]- 初登板:2004年4月25日、対ヤクルトスワローズ1回戦(石川県立野球場)、5回表に4番手で救援登板、2回無失点
- 初奪三振:2004年4月30日、対横浜ベイスターズ3回戦(ナゴヤドーム)、8回表に河野友軌から空振り三振
背番号
[編集]- 28 (2004年 - 2005年)
- 58 (2006年 - 2007年)
- 60 (2008年 - 2010年)
登場曲
[編集]脚注
[編集]- ^ “「ドラフト会議で石川賢投手が中日から指名 」2003/11/20/eHAKO函館地域ニュースアーカイブ :-)”. www.ehako.com. 2023年9月9日閲覧。
- ^ “木村一喜選手・石川賢選手 入団記者会見”. 東北楽天ゴールデンイーグルス. 2023年9月9日閲覧。
- ^ デイリースポーツonline コラム 甲子園の思い出胸に星野楽天支える(楽天・石川賢投手 29歳)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 石川賢 - NPB.jp 日本野球機構