王育霖
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王 育霖(おう いくりん、台湾語: Ông Io̍k-lîm、1919年 - 1947年)は、台湾の検察官。日本本土初の台湾人検事。二・二八事件で中華民国政権により処刑される。台南市出身。
経歴
[編集]旧制台北高等学校尋常科、同高等科を経て、東京帝国大学法科(東大法学部)卒業[2]。東大在学中に高等試験司法科合格[2]。東大の恩師の田中耕太郎(後に最高裁判所長官)や小野清一郎の推薦もあり、日本初の台湾人検事として京都地方裁判所に勤務した[3][2]。
第二次世界大戦後、台湾に戻り、新竹市で検事として勤務した[2]。台北市立建国高級中学(旧台北一中)の教師も務めた。
二二八事件の掃討期間に私服憲兵、警察に逮捕され保安司令部第二処(もと西本願寺)に監禁・拷問の後、三月末に処刑。遺体は淡水河に遺棄され、現在も見つかっていない[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 王力群《期待明天的人:二二八消失的檢察官王育霖》