松平輝聴
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時代 | 江戸時代後期 - 末期(幕末) |
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生誕 | 文政10年8月4日(1827年9月24日) |
死没 | 万延元年7月2日(1860年8月18日) |
改名 | 恭三郎(幼名)→正連(初名)→輝聴 |
墓所 | 埼玉県新座市野火止の平林寺 |
官位 | 従五位下、右京亮 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 上野高崎藩主 |
氏族 | 大河内松平家 |
父母 |
父:松平正敬、母:明石氏 養父:松平輝充 |
兄弟 | 正和、輝聴 |
妻 | 万(堀田正睦の娘) |
子 | 輝声、輝剛、みち子(松平乗承正室)、娘(土屋挙直正室)、淑(前田利同正室)、娘(高木正善正室) |
松平 輝聴(まつだいら てるとし)は、幕末の上野国高崎藩主。寺社奉行を務めた。高崎藩大河内松平家10代。上総大多喜藩主・松平正敬の四男。
生涯
[編集]生家が大河内松平家の宗家で同族にあたるため、松平輝充の養嗣子として迎えられた。万延元年(1860年)没し、跡を長男の輝声が継いだ。
略歴
[編集]- 弘化3年(1846年)4月24日、正式に輝充の養嗣子となる。9月23日、家督を継ぐ。12月16日、右京亮に叙任。
- 嘉永2年(1849年)1月28日、奏者番となる。
- 嘉永5年(1852年)7月8日、寺社奉行見習いとなる。
- 安政3年(1856年)9月24日、正式に寺社奉行に任ぜられる。
- 万延元年(1860年)7月2日、卒。
系譜
[編集]父母
正室
- 万 - 堀田正睦の娘
側室
- 井村氏
子女