朝鮮総督府農林局
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朝鮮総督府農林局(ちょうせんそうとくふのうりんきょく)は、朝鮮総督府に置かれた内部部局。
本項では、1943年(昭和18年)に農林局などを再編して新設された農商局にも触れる。
沿革
[編集]1910年(明治43年)10月1日、韓国併合にともない朝鮮総督府が設置されると、農商工部に属する局として、商工局・殖産局が置かれた。1912年(明治45年)4月1日、農商工部の2局は改編され、農林局と殖産局になった。1915年(大正4年)4月には機構簡素化の目的で農林局は殖産局とともに廃止され、各課の事務を農商工部長が直接指揮することとなった。
1919年(大正8年)10月1日の官制改正により、農商工部は廃止され、総督直属の局として農林局が置かれた。
1943年(昭和18年)12月1日に農林局は殖産局・専売局などとともに廃止され、農商局・鉱工局が新設されている。朝鮮総督府農商局は、終戦時に存在した朝鮮総督府内部部局(総督官房・財務局・鉱工局・農商局・法務局・学務局・警務局)のひとつである。
機構
[編集]1941年(昭和16年)9月1日現在。
- 農林局
- 農政課
- 畜産課
- 農産課
- 糧政課
- 食糧調査課
- 土地改良課
- 林政課
- 林業課
- 農業土木技術員養成所
関連する総督府所属官署として、営林署、農事試験場、林業試験場、穀物検査所、種馬牧場、種羊場、種牡羊育成所、獣疫血清製造所などがあった。
歴代局長
[編集]農林局長
[編集]氏名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|
(朝鮮総督府農商工部)農林局長 | ||
菊池武一 | 1912年(明治45年)4月1日[1] - 1913年(大正2年)3月3日 | 死去[2] |
(欠員) | 1913年(大正2年)3月3日 - 1915年(大正4年)3月31日 | |
(農林局廃止) | ||
(朝鮮総督府)農林局長 | ||
渡辺忍 | 1932年(昭和7年)7月27日 - 1935年(昭和10年)2月20日 | |
矢島杉造 | 1935年(昭和10年)2月20日 - 1937年(昭和12年)7月3日 | |
湯村辰二郎 | 1937年(昭和12年)7月3日 - 1941年(昭和16年)11月19日 | |
山沢和三郎 | 1941年(昭和16年)11月19日 - 1942年(昭和17年)10月23日 | |
塩田正洪 | 1942年(昭和17年)10月23日 - 1943年(昭和18年)12月1日 |
農商局長
[編集]氏名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|
塩田正洪 | 1943年(昭和18年)12月1日 - 1944年(昭和19年)8月17日 | |
白石光治郎 | 1944年(昭和19年)8月17日 - | 日本統治下最後の局長 |
脚注
[編集]- ^ 『官報』第8633号「叙任及辞令」1912年4月2日。
- ^ 『官報』第199号、大正2年4月1日。
参考文献
[編集]- 朝鮮総督府編『施政三十年史』(朝鮮総督府、1940年)
- 朝鮮総督府編『朝鮮事情 昭和十七年度版』(朝鮮総督府、1941年)
- 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』(東京大学出版会、1981年)