斎藤陽介
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名前 | ||||||
愛称 | ピアノマン、ヨースケ | |||||
カタカナ | サイトウ ヨウスケ | |||||
ラテン文字 | SAITO Yosuke | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1988年4月7日(36歳) | |||||
出身地 | 東京都世田谷区 | |||||
身長 | 174cm | |||||
体重 | 68kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
2004–2006 | 横浜F・マリノス | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2007-2010 | 横浜F・マリノス | 12 | (0) | |||
2010 | → ツエーゲン金沢 (loan) | 9 | (4) | |||
2011 | アルビレックス新潟・S | 26 | (8) | |||
2012 | グルベネ | 14 | (9) | |||
2012 | ヴェンツピルス | 17 | (6) | |||
2013-2014 | ウファ | 10 | (1) | |||
2014 | スウツク | 17 | (7) | |||
2016 | リガ | 12 | (5) | |||
2017 | エッセンドン | 11 | (8) | |||
2017 | サンシャイン | 10 | (3) | |||
2018 | トゥレヴィク | |||||
通算 | 138 | (51) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
斎藤 陽介(さいとう ようすけ、1988年4月7日 - )は、東京都世田谷区出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。
来歴
[編集]1988年、東京都世田谷区で生まれ、小学1年の時に太子堂サッカークラブへ入団して6年間在籍した[1]。
その後横浜F・マリノスのユースへ入団。2007年に横浜F・マリノスでプロ選手としてのキャリアをスタートさせたが、十分な結果を残すことはできなかった。
2011年に海外挑戦の場としてシンガポールのアルビレックス新潟シンガポールへ移籍。アルビレックス新潟シンガポール在籍時には欧州で代理人をしている人物と出会う[2]。本人によればアルビレックス新潟シンガポールから契約延長の申し出があったが[2]、ヨーロッパで挑戦したいとの想いから断り、2012年1月にラトビア・ヴィルスリーガ所属のFBグルベネでテストを受け、2月に合格して移籍した[3]。ヴィルスリーガ2012シーズンでは、14試合に出場して9得点を挙げる活躍をした。3月から4月までの月間MVPには斎藤が選出された[4]。シーズン中盤にヴィルスリーガで4度優勝しているFKヴェンツピルスに移籍をした。FKヴェンツピルスでは6得点を挙げ、FBグルベネ時代の9得点を合算してリーグ単独2位の15得点を記録した。シーズン終了後、ラトビアサッカー連盟は2つのシンボリックチーム(22選手)を発表し、第1チームのフォワード部門で斎藤が選出された[5]。
2013年1月、ドイツ3部に所属するSVダルムシュタット98でトライアルを受けたことがキッカーの電子版で報じられたものの[6]、テストは結果的に不合格となった[7]。
その後、各国のクラブが合宿しているトルコへ渡り、ロシアリーグの2部に所属するFCウファにテスト生として参加。1月16日、スイスのセルヴェットFCとのテストマッチ(2-1)では25メートルの距離から得点を挙げるなどした[8][1]。同年2月、FCウファへ2年半の契約で移籍をした[9][10]。しかし、怪我で結果が残せず、後述の離婚問題も重なり同クラブを退団。
1度は引退を決意したが、ブログなどのコメントに励まされた結果、膝の治療を経て再びプレイすることを決意[11]。
2014年5月、練習参加していたベラルーシ・プレミアリーグのFCスウツクへ移籍した[12]。2014シーズン第9節のFCディナモ・ミンスク戦で初出場[13][14][15]、第14節のFCミンスク戦で初得点を記録した[16][17][18]。
2017年3月、オーストラリア4部のエッセンドン・ロイヤルズSCへ移籍。6月、オーストラリア3部のサンシャイン・ジョージクロスSCへ移籍。
2018年2月、メスタリリーガのヴィリャンディJKトゥレヴィクへ移籍。
2018年11月、自身のブログで引退を発表[19]。
エピソード
[編集]- 都立目黒高校2年まではサッカーとピアノを両立して活動しており、ピアノのコンクールにも出場していた。「ピアノマン」の愛称はこれに由来する。また、2009年の新体制発表会では、サポーターの前でその腕前を披露した[20]。FCウファのYouTube公式チャンネルではピアノを弾いてる映像がアップされている[21]。
- 目標とする選手に、プレースタイルの似たFWである、かつてのチームメイトの坂田大輔を挙げている。一時期、坂田が散髪したため、プレースタイルだけでなく風貌までそっくりでチームメイトが混乱してしまう、などとスポーツ紙で報じられた。
- ラトビア人の女性と結婚し、1子を儲ける(妻には連れ子あり)も、2014年3月19日自身のオフィシャルブログにて妻の浪費が原因で離婚をしたと発表。
所属クラブ
[編集]- 1995年 - 2000年 太子堂サッカークラブ
- 2001年 - 2003年 横浜F・マリノスジュニアユース
- 2004年 - 2006年 横浜F・マリノスユース(目黒高等学校)
- 2007年 - 2010年 横浜F・マリノス
- 2011年 アルビレックス新潟シンガポール
- 2012年 FBグルベネ
- 2012年 FKヴェンツピルス
- 2013年 - 2014年3月 FCウファ
- 2014年 FCスウツク
- 2016年 リガFC
- 2017年 エッセンドン・ロイヤルズSC
- 2017年 サンシャイン・ジョージクロスSC
- 2018年 ヴィリャンディJKトゥレヴィク
個人成績
[編集](2018年2月28日時点)
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2007 | 横浜FM | 27 | J1 | 11 | 0 | 3 | 1 | 1 | 0 | 15 | 1 |
2008 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | |||
2009 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
2010 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | ||||
2010 | 金沢 | 23 | JFL | 9 | 4 | - | 0 | 0 | 9 | 4 | |
シンガポール | リーグ戦 | リーグ杯 | シンガポール杯 | 期間通算 | |||||||
2011 | 新潟S | 9 | Sリーグ | 26 | 8 | 3 | 0 | 5 | 2 | 34 | 10 |
ラトビア | リーグ戦 | リーグ杯 | ラトビア杯 | 期間通算 | |||||||
2012 | グルベネ | 9 | ヴィルスリーガ | 14 | 9 | 2 | 2 | - | 16 | 11 | |
2012 | ヴェンツピルス | 19 | 17 | 6 | 17 | 6 | |||||
ロシア | リーグ戦 | ロシア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2012-2013 | ウファ | 27 | 1st Div. | 4 | 1 | 4 | 1 | ||||
2013-2014 | 6 | 0 | 6 | 0 | |||||||
ベラルーシ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2014 | スウツク | 99 | プレミア | 17 | 7 | ||||||
ラトビア | リーグ戦 | リーグ杯 | ラトビア杯 | 期間通算 | |||||||
2016 | リガ | 99 | ヴィルスリーガ | 12 | 5 | ||||||
オーストラリア | リーグ戦 | リーグ杯 | FFA杯 | 期間通算 | |||||||
2017 | エッセンドン | 9 | 4部 | 11 | 8 | ||||||
2017 | サンシャイン | 15 | 3部 | 10 | 3 | ||||||
エストニア | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2018 | トゥレヴィク | 99 | メスタリリーガ | ||||||||
通算 | 日本 | J1 | 12 | 0 | 5 | 1 | 1 | 0 | 18 | 1 | |
日本 | JFL | 9 | 4 | - | 0 | 0 | 9 | 4 | |||
シンガポール | Sリーグ | 26 | 8 | 3 | 0 | 5 | 2 | 34 | 10 | ||
ラトビア | ヴィルスリーガ | 43 | 20 | ||||||||
ロシア | 1st Div. | 10 | 1 | ||||||||
ベラルーシ | プレミア | 17 | 7 | ||||||||
オーストラリア | 4部 | 11 | 8 | ||||||||
オーストラリア | 3部 | 10 | 3 | ||||||||
総通算 | 138 | 51 |
- その他の公式戦出場
- UEFAチャンピオンズリーグ 2012-13予備予選2回戦 2試合0得点
- 記録
- 2007年3月17日 - プロデビュー (Jリーグ) - ヴィッセル神戸戦 (日産スタジアム)
- 2007年4月11日 - プロ初ゴール (ナビスコカップ) - 大宮アルディージャ戦 (さいたま市駒場スタジアム)
脚注
[編集]- ^ 太子堂サッカークラブ【クラブからのお知らせ】
- ^ a b Happy new year!! 斎藤陽介オフィシャルブログ 2013年2月16日閲覧。
- ^ Ciao!! 斎藤陽介オフィシャルブログ 2013年2月16日閲覧。
- ^ Par marta/aprīļa labāko futbolistu atzīsts Yosuke Saito, treneris - Marians Pahars Archived 2012年11月23日, at WebCite futbolavirsliga.lv、2013年2月16日閲覧。
- ^ Noteikta Virslīgas simboliskā izlase LFF vērtējumā lff.lv、2013年2月16日閲覧。
- ^ Schuster testet sein neues Team und Saito kicker.de、2013年2月16日閲覧。
- ^ SV 98 startet ins Trainingslager sv98.de、2013年2月16日閲覧。
- ^ ФК «Уфа» в первом контрольном матче переиграл швейцарский «Сервет» fcufa.pro、2013年2月16日閲覧。
- ^ 元横浜FMの斉藤陽介が昇格狙うロシア2部チームに移籍 sportsnavi.yahoo.co.jp、2013年2月16日閲覧。
- ^ Йосуке Саито присоединился к «Уфе» на кипрском сборе fcufa.pro、2013年2月16日閲覧。
- ^ もう一度・・・ 斎藤陽介オフィシャルブログ
- ^ “Йосуке Сайто подписал контракт с клубом”. FCスウツク (2014年5月21日). 2014年5月23日閲覧。
- ^ “9 тур. «Динамо-Минск» - «Слуцк». 3:0”. FCスウツク (2014年5月27日). 2014年7月9日閲覧。
- ^ “デビュー、そして・・・”. 斎藤陽介オフィシャルブログ (2014年6月8日). 2014年7月9日閲覧。
- ^ “Dinamo Minsk vs. Slutsk - 26 May 2014”. Soccerway. 2014年7月9日閲覧。
- ^ “14 тур. «Слуцк» - «Минск». 2:0”. FCスウツク (2014年6月22日). 2014年7月9日閲覧。
- ^ “初ゴール”. 斎藤陽介オフィシャルブログ (2014年6月23日). 2014年7月9日閲覧。
- ^ “Slutsk vs. Minsk - 22 June 2014”. Soccerway. 2014年7月9日閲覧。
- ^ 引退報告 よーすけブログ、2018年11月28日更新。
- ^ 横浜F・マリノス公式 - 1.17『2009横浜F・マリノス新体制発表会』レポート[リンク切れ]
- ^ Сайто 2013/01/17 youtube.com、2013年2月16日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 斎藤陽介 - Soccerway.com
- 斎藤陽介 - FootballDatabase.eu
- 斎藤陽介 - WorldFootball.net
- 斎藤陽介 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 斎藤陽介 - J.League Data Siteによる選手データ
- 斎藤陽介 - エストニアサッカー協会
- 斎藤陽介オフィシャルブログ
- FCスウツク公式サイトの選手紹介
- 斎藤陽介/Yosuke Saito (@prende_il_titol) - X(旧Twitter)