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憲法音頭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
憲法音頭
市丸波岡惣一郎楽曲
リリース1947年
ジャンル音頭
レーベル日本コロムビア(PR97)
制作:ビクターレコード
作詞者サトウ・ハチロー
作曲者中山晋平
(編曲:小沢直与志
収録曲
  • 憲法音頭/われらの日本
収録順
- 憲法音頭 われらの日本
(B)

憲法音頭」(けんぽうおんど)、別名「チョンホイ音頭」は、1947年昭和22年)の日本国憲法施行を記念して憲法普及会が選定した音頭である。作詞・サトウハチロー、作曲・中山晋平

解説

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連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の指導により、1946年(昭和21年)11月3日に公布された日本国憲法の理念普及活動の一環として憲法普及会が国民歌われらの日本」と併せて選定した楽曲である。作詞は終戦後最初のヒット曲とされる「リンゴの唄」のサトウハチロー、作曲はビクターレコード(現在のJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)専属の中山晋平に依頼され、1947年(昭和22年)5月3日日比谷公会堂で開催された「憲法施行講演会」の席上で初演奏と振付の発表が行われた[1]。この際の歌唱者は日暮千代子、振付は栗島すみ子であったが、後日作成されたSPレコードでは市丸波岡惣一郎の歌唱が吹き込まれている。また、このレコードはビクター専属の中山晋平が作曲しており演奏も日本ビクターオーケストラであるが、盤の製造(プレス)は日本蓄音機商会(現在の日本コロムビア)が行っている。

歌詞は全4番で構成されており「平和」「自由」などのフレーズが散りばめられてはいるが、ストレートに憲法や平和主義国民主権を押し出すことはせずに平和の到来を謳歌し、国土の美しさを讃えるものとなっている。また、合いの手として「チョンホイナ」が連呼されることからジャケットでは「憲法」に「チョンホイ」のルビが振られており「チョンホイ音頭」の別名が与えられている。

日比谷公会堂での発表が行われた翌4日には小石川後楽園で「憲法音頭大会」が開催され、1万5000人が参加したとの記録がある[1]。1947年12月に憲法普及会が活動を終了するに当たってまとめられた『事業概要報告書』では全国で100万人がこの憲法音頭に合わせて踊ったと記述されているが、作曲者の中山は「あまり歌われることもなく、人々の記憶にも残ることなく消えていった」としている[2]。作成されたSPレコードは国立公文書館国立国会図書館憲政記念館のいずれも現物を所蔵しておらず「幻の楽曲」と言われていたが1993年平成5年)、TBSテレビ筑紫哲也NEWS23』で4月29日30日5月3日に放送された特集「憲法音頭を探せ」の取材過程で長野県中野市中山晋平記念館倉庫内から46年ぶりにレコードが発見された[3]。現在は昭和館で原曲の試聴が可能である。

レコードの発見後、中野市九条の会護憲のアピールと地元出身の中山晋平を顕彰する二つの目的で憲法音頭の復活演奏を行っている[4]。会では踊りの練習風景のビデオ配布も行っている[5]

参考文献

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出典

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  1. ^ a b “第1部 焦土から生まれた希望 <上>消えた官製音頭 『お上』の旗振り不発”. 東京新聞 (中日新聞東京本社). (2007年5月3日). http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2007/kenpou/news/070503.html 2015年10月22日閲覧。 
  2. ^ 和田(2006), p13
  3. ^ 和田登『「憲法音頭」の誕生と消滅』(法学館憲法研究所)
  4. ^ ““憲法音頭で盆踊り” 幻の曲 サトウハチロー作詞 中山晋平作曲 紹介・普及”. しんぶん赤旗 (日本共産党中央委員会). (2005年3月28日). https://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-03-28/01_04.html 2015年10月22日閲覧。 
  5. ^ 「平和を願った「憲法音頭」、レコード盤発見で復活 中野「市民の会」」『朝日新聞』2005年5月4日付東京本社朝刊25面(長野)。