川本源司郎

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川本 源司郎(かわもと げんしろう、1932年[1]昭和7年〉3月1日 - )は、日本実業家銀座中洲小倉などに「丸源ビル」の名称で多くの雑居ビルを所有していた。日本の億万長者の1人であった[2]

略歴[編集]

1932年福岡県小倉市(現・北九州市)の呉服屋「丸源」に生まれた[3][4]。子供のころの夢は「金閣寺に住みたい」であった[5]

地元小倉の私立常磐高等学校を卒業。1953年、慶應義塾大学経済学部を中退し家業を呉服店を継ぐ[4]。このもうけの大半を不動産投資[4]、木造アパートやマーケットの建築[6]からはじめて高度経済成長による不動産価格の高騰で莫大な利益を上げた[4]

1960年には呉服屋を廃業し、本格的に貸しビル業へ転じる[3]1961年、それまで得た利益を投じ29歳で小倉駅前に地上6階建てのビルを完成させた[6]。同ビルを「丸源1ビル」とし、以降は同様に数字を付けた名称のビルを建設[6]。ビル内に内装や家具付きの飲食店区画を整備し貸し出す手法が人気を博し、小倉での事業が好調であったことから福岡市中洲にも進出する[3]

1972年には東京へ進出、2年後の1974年には当時飲食ビルが少なかった銀座の目抜き通りに10階建てのビルを建設し、1980年までに銀座で8棟のビルを所有するなど、事業を拡大していった[3]バブル期には、銀座をはじめ赤坂六本木、福岡の中洲、熱海などに計60棟ほどの飲食テナントビルを所有、約5,900のテナントが入居していた[3]

1987年にはアメリカハワイに進出し、ハワイカイの高級住宅176件を買収、1988年、ヘンリー・カイザーの邸宅をアメリカの個人住宅としては当時最高額の4255万ドルで買収した。2013年2月には、ハワイの高級住宅街カハラに所有する不動産27戸のリフォームを巡り近隣住民とトラブルを起こしている[7]

川本は不動産の管理に特定の会社を設けず、丸源興産、みなもと興産、丸源、丸源商事、東京商事など自身が代表を務める会社の設立と清算を繰り返していたが、2013年3月6日、会社の所得約28億円を隠し約8億円を脱税したとして、東京地検特捜部法人税法違反容疑で逮捕され[8]、同月25日に起訴された[9]。弁護人の交代を経て公判が長期化したが、2018年11月20日に東京地裁にて懲役4年、罰金2億4千万円の実刑判決を言い渡された[10]。川本は判決を不服として控訴したが、2020年1月29日に東京高裁はこれを棄却した[11]。更に翌年2021年1月29日に最高裁が上告を退ける決定をし、懲役4年、罰金2億4千万円の実刑が確定することとなった[12]

また、2016年4月20日には、創業地である北九州市に所有する2棟のビルにおいて、防火設備の不備があるにもかかわらず改善命令に従わなかったとして、福岡県警察が所有法人の「丸源」と代表の川本を消防法違反容疑で書類送検した[13]。これを皮切りに川本は所有するビルの売却を開始し、2017年8月までに同市内の全ての丸源ビルを他社へ売却した[14]

2023年10月頃から、依然として丸源の所有であった銀座のビルも相次いで売却され、同時に看板などの撤去や改装が開始されている[15]。同時期に川本は刑務所から出所しており、川本が服役前に法人の「丸源」社長を任せていた人物に対し、残存するビルの売却をする意思を電話で伝えていたという[16]

2024年4月には週刊現代が川本の死亡を報じた[15]が、直後に週刊新潮は川本が自宅にて「植木職人に対して竹刀を振り回していた」や「郵便物の確認に家に来ていた」などの目撃情報を報じる[16]など、各媒体で異なる動静が伝えられている。

人物[編集]

自身の事を『日本一の資産家』と自称し、かつては『1000億、2000億は簡単に動かせる』と豪語して回っていた。また、1996年ハワイに高級住宅を購入し、そこに低所得者を住まわせたり建物を管理せず放置して近隣住民とのトラブルになった。金銭に執着しない一面、税金の支払いには極度に消極的な姿勢を見せ「節税をしない経営者はバカ。無駄な税金を支払う必要はない」と公言。節税対策には細心の注意を払った[5]

バブル期の総資産は1,000億円を優に超え、資産家として雑誌に度々登場[3]。徹底した現金主義者として知られ、借金もゼロ、クレジットカードすら持たず、映画『地平線』(新藤兼人監督)の制作に際しては8億円をキャッシュで出した[3]。川本はバブル期を異常な状態と認識し、競うように不動産投資を行っていた銀行を信用せず、自らの目で物件を選んでいた[5]。こうした行動は虚無主義者と評されることもあったが、バブル崩壊もほぼ無傷で乗り切ることに繋がった[5]

1987年頃には実業家の松下幸之助横井英樹らと並ぶ、推定1千億円超の資産を有しながら高額納税者公示制度(長者番付)に川本の名前が出なかった理由として、貸しビルから得られる収入を家賃ではなく「預かり金」として帳簿に載せず、この預かり金の膨大な利子に加え、ビル建設の請負業者からのリベートを貰うなど、表に出ない現金をつくる手法に長けていたという[6]

東京都内に地下1階、地上4階、延床面積830平方メートルの自宅を所有しているが、実際に使用するのは着替えに帰る程度で、普段は都心のホテルに滞在する[6]。1987年頃には赤のロールス・ロイスと黒のメルセデス・ベンツ、リムジンをその日ごとに乗り分けていた[6]

派手なことが好きな性格で、地元の小倉に建設した丸源ビルの上棟式では、5千円札4000枚を地上51メートルの屋上からばら撒こうとして、警察財務局から中止を命じられたものの、そのまま実行したという[6]

毎月の飲み代にも1000万円以上を使っていたが、あるとき取引先へ向かう途中に1000万円の札束を道に落とし、「慌てて拾ったらみっともないという気持ちが先に立ち」拾わなかったというエピソードがある[6]

文化芸術[編集]

芸術関係にも造詣が深く、前述の自宅の各階各部屋には、川本が収集した18世紀から19世紀にかけてのブロンズ像や大理石像、カモシカ剥製シロクマチーター毛皮敷物が並べられている[6]

また、「マルゲンフィルム」名義でさまざまな映画の企画も手がけた。川本は映画製作から早々に手を引いたが、作品そのものの版権と原盤のありかが不明確で、そのためソフト化はもちろん上映も困難とする話もある[17]。また、これらの映画は川本の意志により、ビデオ化等はもとより封切りを除きその後の公開を一切許されていないともいう[18]

  • 地平線 - スタッフ(製作)。監督:新藤兼人
  • 食卓のない家 - スタッフ(製作)。監督:小林正樹
  • 鹿鳴館 - スタッフ(製作)。監督:市川崑。丸源が製作、1億円を投じて再現された鹿鳴館の原寸大ファサード、セリフを舞台風に読ませた大胆な演出などで話題になった。

丸源ビル[編集]

川本が各地に建設した「丸源ビル」は、スナッククラブなどが入居するビル(ソシアルビル)が中心である。北九州・小倉から福岡・中洲、東京・銀座へと進出していくなかで、丸の中に「源」という赤いネオンは「夜の銀座の象徴」ともされた[3]

各ビルには番号が付けられ、例えば「丸源29ビル」のように表記される。1番は福岡県北九州市小倉北区京町にあったが、小倉駅前東地区第一種市街地再開発事業による小倉そごうビル(小倉そごう、小倉玉屋、小倉伊勢丹、コレットなどを経て、2021年よりショッピングモール「セントシティ」として運営)建設に伴い解体された。

また、丸源ビルの殆どが1960年代から1980年代前半に建設されており、1981年6月1日に施行された新耐震基準以前の建造物が多くを占める。そのため老朽化やテナントの空洞化が著しく、すでに売却されたビル[19]や、売却後解体されたビル[20]もある。

前述の通り、丸源ビルの防火設備の不備を理由として管理者の川本および所有法人が2016年に消防法違反で書類送還されているが、1987年頃には入居する店舗から「丸源ビル自体が建築基準、消防上の安全基準からみて違法スレスレ」「借りて経営が苦しく店を明け渡さざるを得ないことがあっても、保証金を返してくれない」と批判も受けていた[6]

家族・親族[編集]

川本家[編集]

2013年現在、川本は独身で、後継者も育ててこなかったと報じられている[21]。川本は周囲に「僕が死ねば資産は国に接収されて丸源は終わり。それでいい」と語っていたという[21]

川本の知人男性は「あれだけの成功者なら、たいこ持ちのような人間を周囲に集めたり、若く美人な妻などを欲しいと思うもの。しかし彼はそうしたものに興味がない」と明かしている[21]。また川本の商売仲間が「結婚しない理由」を問いただした際、川本は「子供ができて変なことされても困るからな。この商売をやるのは俺1人でいいんだ。」と答えていたという[22]

過去には川本自身も結婚観についてインタビューに応じ、「世帯じみた雰囲気が大嫌い」「1人の女を20年、30年、一緒に暮らす自信がない」と述べた上で、自身の人生観として「この世の二大生き地獄は、とことん貧乏すること、イヤな女房と同居し続けること」と語り、「私と同じように出発した人が、結婚してダメになった例もある」と結婚に対する私見を明かしている[6]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ 「節税はゲーム」 謎のベールに包まれた億万長者、逮捕の「丸源ビル」川本容疑者2013年3月5日 産経ニュース
  2. ^ 月刊Forbes(フォーブス)2000年9月号<日本の億万長者>■〔デベロッパー・不動産〕岩崎福三(岩崎産業)/森章(森トラスト)/堤義明(西武鉄道)/糸山英太郎(新日本観光)/竹中統一(竹中工務店)/川本源司郎(丸源)/森稔(森ビル)
  3. ^ a b c d e f g h 「丸源ビル」の川本源司郎容疑者の逮捕が突きつけた「脱税と節税は紙一重」(後)
  4. ^ a b c d 一代で銀座の不動産王 脱税容疑で逮捕の丸源社長2013年3月5日 産経ニュース
  5. ^ a b c d 産経ニュース(2013.3.10 12:00)「 地面に落ちた札束も拾わない男…逮捕の丸源オーナー、寂しさと達観の素顔」
  6. ^ a b c d e f g h i j k 百々由紀男『これで差がつくお金のため方』大陸書房、1987年1月、148-152頁。 
  7. ^ 「丸源ビル」川本源司郎ハワイの不動産買い占め大騒動
  8. ^ 「丸源ビル」元社長を逮捕 東京地検、8.6億円脱税の疑い 日本経済新聞 2013年3月5日付
  9. ^ 「丸源ビル」元社長を起訴 約10億円の脱税 日本経済新聞 2013年3月25日付
  10. ^ “丸源ビルオーナーに実刑判決、10億円超脱税事件 東京地裁”. 産経新聞. (2018年11月20日). https://www.asahi.com/sp/articles/ASLCN33SSLCNUTIL006.html 2018年11月30日閲覧。 
  11. ^ “丸源グループ脱税、二審有罪”. 朝日新聞. (2020年1月30日). https://www.asahi.com/sp/articles/DA3S14346253.html 2020年12月22日閲覧。 
  12. ^ 「丸源ビル」の10億円脱税、元代表取締役の実刑判決確定へ”. 読売新聞 (2021年1月29日). 2021年1月30日閲覧。
  13. ^ 丸源ビル社長ら書類送検 ビル2棟で消防法違反疑い 北九州 産経ニュース 2016年5月13日付
  14. ^ 北九州:「丸源」創業地に別れ ビル老朽化と小倉再開発」『毎日新聞』毎日新聞社、2017年12月27日。2024年6月4日閲覧。
  15. ^ a b 『週刊現代 2024年4月27日・5月4日号 【LOOK!】あの不動産王の死でビル争奪戦が始まる』講談社、4月22日 2024。 
  16. ^ a b 『週刊新潮 2024年5月2・9日ゴールデンウイーク特大号 10億円脱税「丸源ビル」川本源司郎がシャバに』新潮社、4月25日 2024。 
  17. ^ 樋口尚文「80年代「異業種映画」の栄光と挫折」『1980年代の映画には僕たちの青春がある』キネマ旬報社、2016年
  18. ^ 小笠原清梶山弘子編『映画監督 小林正樹』岩波書店、2016年
  19. ^ データ・マックス ネットアイビーニュース中洲地区の丸源ビルの動き 2009年8月6日
  20. ^ ガゾーン関門北九州圏土木建築 - 旦過ホテル
  21. ^ a b c 「丸源ビル」の川本源司郎容疑者の逮捕が突きつけた「脱税と節税は紙一重」(後)
  22. ^ 「丸源ビル」川本源司郎容疑者 81年間結婚しなかった理由女性自身、2013年03月17日

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]