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山村和也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山村 和也
名前
愛称 ヤマ
カタカナ ヤマムラ カズヤ
ラテン文字 YAMAMURA Kazuya
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1989-12-02) 1989年12月2日(34歳)
出身地 長崎県長崎市
身長 187cm
体重 85kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 横浜F・マリノス
ポジション MF / DF
背番号 47
利き足 右足
ユース
2002-2004 日本の旗 雲仙市立国見中学校
2005-2007 日本の旗 国見高校
2008-2011 日本の旗 流通経済大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2008-2009 日本の旗 流通経済大学(JFL) 18 (1)
2012-2015 日本の旗 鹿島アントラーズ 63 (4)
2016-2018 日本の旗 セレッソ大阪 85 (16)
2019-2023 日本の旗 川崎フロンターレ 87 (5)
2024- 日本の旗 横浜F・マリノス
通算 253 (26)
代表歴2
2012  日本U-23 3 (0)
2010 日本の旗 日本 1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2024年1月4日現在。
2. 2010年1月6日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

山村 和也(やまむら かずや、1989年12月2日 - )は、長崎県長崎市出身のプロサッカー選手Jリーグ横浜F・マリノス所属。ポジションはミッドフィールダーボランチトップ下)、ディフェンダーセンターバック)。元日本代表

来歴

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プロ入り前

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長崎市立桜が丘小学校3年でサッカーを始め、小学校6年時には全日本少年サッカー大会全国大会出場、国見中学校ではフォワードミッドフィールダーでプレーし、長崎県立国見高等学校入学後にディフェンダーへ転向した。高校2年時に第85回全国高等学校サッカー選手権大会に出場も1回戦敗退。高校3年時にU-18日本代表候補に選出されたのを皮切りに各年代の日本代表に選出される[1]

高校卒業後は流通経済大学へ進学し[2]、2年時にはアジアカップカタール大会予選イエメン戦で、福岡大学永井謙佑とともに大学生としては18年ぶりのA代表に選出され、米本拓司とのダブルボランチとして先発出場[3]。2010年5月、ワールドカップ南アフリカ大会に臨む日本代表のサポートメンバーに選出された。2010年11月には広州アジア競技大会の優勝に貢献した。

鹿島アントラーズ

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2012年に鹿島アントラーズへ入団し[4]、背番号「4」を背負った。大卒1年目でレギュラー番号を背負うのは、固定制番号になってからはクラブ史上初。2014年からは岩政大樹の退団によって激化したセンターバックのスタメン争いで昌子源植田直通に敗れ、ベンチスタートが増えるようになる。2015年にはファン・ソッコの加入によってさらに出場機会が激減し、センターバックでの出場は無くなり、シーズン途中の石井正忠監督就任以降はボランチとして出場することが多くなった。シーズン終了後、出場機会を求めて同シーズン限りで鹿島を退団した。

セレッソ大阪

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2016年、当時J2のセレッソ大阪に完全移籍。ボランチとしてレギュラーに定着したが、夏の移籍期間に山口蛍が加入してポジション争いが激化した。その後は、スーパーサブとしてチームに貢献してJ1昇格に貢献した。

2017年、新しく就任したユンジョンファン監督によって、3月18日の第4節サガン鳥栖戦では初めてトップ下にコンバートされ、決勝点となるゴールを決める活躍を見せた[5]。4月8日、第6節の鹿島戦では古巣から得点を決めて勝利に貢献した。その後のリーグ戦ではトップ下を中心に、フォワードといった攻撃のポジションで起用されたほか、リードした試合終盤には度々守備固めとしてセンターバックに入るなど重用され[6]、最終的にはチーム2位の8得点を挙げる活躍を見せた。天皇杯決勝でゴールを決めて優勝に貢献した。

川崎フロンターレ

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2018年12月18日、川崎フロンターレへの移籍が発表された[7][8]。2019年9月14日、第26節のジュビロ磐田戦で移籍後初ゴールを決めた[9]。11月9日、第31節の鹿島アントラーズ戦では古巣相手にゴールを決めて3連覇に望みをつなぐ得点を決めた[10]

2023年、天皇杯決勝でセンターバックでフル出場、0-0で迎えたPK戦ではPKを成功させて優勝に貢献した[11]

横浜F・マリノス

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2024年1月4日、横浜F・マリノスへの移籍を発表[12]

代表

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U-20日本代表U-23日本代表A代表では主にボランチとして起用されていた[13]

プレースタイル

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鹿島ではセンターバックとしての起用が多かったが、2015年に石井監督の就任後は主にボランチとして起用されていた。空中戦に抜群の強さを見せる山村がボランチとしてハイボールを競ることでセンターバック二人はカバーに入ることができ、最終ラインが安定する[14]。また、自身のストロングポイントは「ポゼッション」と語る。

視野も広く、鋭いクサビのボールを後方から供給する事ができ、ロングパスの精度も高い。186cmの長身から繰り出されるヘディングも武器で、観衆が唸るような圧倒的な高さをたびたび披露している[15]

ゲームメイクに関しては遠藤保仁のシンプルなプレーを見習っていると語る[16]。運動量に関しても「もともと自信がある」と語っており、2015年9月12日の第2S第10節のG大阪戦に出場した際の走行距離は12.32kmを記録しリーグ全体で最も長い数値を叩きだした[17]。「今まで日本にいなかったタイプの選手」と評されている[18]

フロンターレ在籍時は、センターバックに長期離脱者が出た際にセンターバックで先発起用された。しばらくは安定せず、失点に絡む場面も多かったが、次第にロングパスなど展開力で得点に繋がる場面など持ち味を発揮し先発に定着。天皇杯決勝でもフル出場してPKも成功させて優勝に貢献した。

セレッソ在籍時もセンターバックで起用されたが、試合開始時は攻撃と配球を担うポジションであるトップ下で起用され、試合終盤に守備固めとしてセンターバックにポジションを移して最終ラインを5人にするという起用法であった。当時の交代枠は、3枠でありそれを消費しない事も有益な点であった。ちなみに3枠では少ないという議論は長期間されていたが、2020年のコロナウイルスによるパンデミックで過密日程になったことを理由に即座に、5枠に拡大された。

人物

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  • 2012年1月に女優三村恭代と結婚。
  • 2013年に第1子の男児、2015年に第2子の女児が誕生[19]
  • 2020年に、第3子が誕生したが、生後2ヶ月で死去[20]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2008 流経大 32 JFL 14 1 - 2 0 16 1
2009 3 4 0 - 2 0 6 0
2012 鹿島 4 J1 18 1 5 0 0 0 23 1
2013 24 3 3 0 3 1 30 4
2014 8 0 1 0 0 0 9 0
2015 13 0 5 1 2 0 20 1
2016 C大阪 24 J2 34 6 - 3 0 37 6
2017 J1 27 8 3 0 5 1 35 9
2018 24 2 2 0 2 0 28 2
2019 川崎 34 18 2 5 0 3 0 26 2
2020 13 1 1 0 0 0 14 1
2021 28 17 1 2 1 5 0 24 2
2022 31 23 1 2 0 2 0 27 1
2023 16 0 2 0 5 1 23 1
2024 横浜FM 47
通算 日本 J1 201 19 31 2 27 3 259 24
日本 J2 34 6 - 3 0 37 6
日本 JFL 18 1 - 4 0 22 1
総通算 253 26 31 2 34 3 318 31

その他公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2015 鹿島 4 0 0
2018 C大阪 24 6 0
2019 川崎 34 2 0
2021 28 7 1
2022 31 5 0
2023-24 6 1
横浜FM 47 0 0
通算 AFC 26 2

その他の国際公式戦

出場歴

タイトル

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クラブ

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流通経済大学
鹿島アントラーズ
セレッソ大阪
川崎フロンターレ

個人

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代表歴

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出場大会

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試合数

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国際Aマッチ 1試合0得点 (2010年)


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2010 1 0
通算 1 0

出場

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No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦国 結果 監督 大会
1. 2010年1月5日 イエメンの旗サヌア アリー・ムフセン・スタジアム イエメンの旗 イエメン ○3-2 岡田武史 AFCアジアカップ2011予選

脚注

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  1. ^ 2009年 U-20日本代表メンバー スポーツニッポン
  2. ^ 【インタビュー】山村和也 スポルティーバ
  3. ^ 平山、菊地らアジア杯イエメン戦代表選出 ザ スタジアム
  4. ^ 山村和也選手の2012年加入内定について 鹿島アントラーズオフィシャルサイト
  5. ^ C大阪“MF”山村が”FW”で決勝点!“DF”で完封に貢献!!「来い来いと思っていた」 ゲキサカ(2017年3月18日)
  6. ^ セレッソ大阪にも「二刀流」。山村和也がマルチに働き、元日の大舞台へ スポルティーバ 公式サイト web Sportiva、2017年12月25日
  7. ^ 山村和也選手 川崎フロンターレへ完全移籍のお知らせ セレッソ大阪公式ウェブサイト
  8. ^ 山村和也選手加入のお知らせ 川崎フロンターレオフィシャルウェブサイト
  9. ^ CB出場続く川崎F山村和也、勝利呼ぶ移籍後初ゴール「勝つしかなかった」 ゲキサカ(2019年9月15日)2019年9月15日閲覧。
  10. ^ マーク外して豪快ヘッド!! 川崎F山村和也「分析でもセットプレーはチャンスだと…」 ゲキサカ(2019年11月9日)2019年11月10日閲覧。
  11. ^ 天皇杯 JFA 第103回全日本サッカー選手権大会”. 2023年12月10日閲覧。
  12. ^ 山村 和也選手 完全移籍加入のお知らせ”. 横浜F・マリノス公式サイト (2024年1月4日). 2024年1月13日閲覧。
  13. ^ 学生センターバック山村、岡田監督教えて 日刊スポーツ
  14. ^ 今日の注目プレーヤーは、山村和也! FREAKS+
  15. ^ 【シーズン終盤に無念の離脱…】山村和也のストロングポイント ライブドアニュース
  16. ^ 【インタビュー】流経大・山村和也「自分がいいパスを出せばロンドンに行ける」 Web Sportiva
  17. ^ 泥臭さを身につけた大器…鹿島MF山村、ボランチで存在感「ゲーム体力が向上してきた」 ゲキサカ
  18. ^ ボランチのMF山村和也の可能性 サッカーコラムJ3Plus+
  19. ^ 女優・三村恭代が第2子女児出産”. ORICON (2015年8月17日). 2015年8月18日閲覧。
  20. ^ 川崎F山村「活躍している姿を天国に」生後2か月で死去…天国の第3子に捧げるゴール”. 2022年7月3日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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