太田茂
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太田 茂(おおた しげる、1881年(明治14年)8月5日-1940年(昭和15年)2月26日)日本のスポーツジャーナリスト。筆名は太田四州、太田志蹴。
略歴・人物
[編集]1881年(明治14年)8月5日に香川県に生まれる。高松中学校を卒業し、1902年(明治35年)に和仏法律学校(現在の法政大学)法律科を卒業する。
『二六新報』、『読売新聞』、『国民新聞』などに大学野球の記事を書き、1921年(大正10年)から雑誌『運動界』を主宰する。スポーツジャーナリストの草分け的人物であり、神宮球場の建設など、学生野球の発展に尽力した。1940年(昭和15年)2月26日に死去、享年60。
1972年(昭和47年)、野球の啓蒙に尽瘁し、生涯を野球批評のために貫き、文筆をもって学生スポーツの健全な発展に献身した功績により野球殿堂(特別表彰)入りする。
参考文献
[編集]- 『日本人名大辞典』(講談社)