天孫族

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天孫族(てんそんぞく)は、日本神話において降臨ヤマト王権をつくったとする古代勢力の総称。また「新撰姓氏録」では天照大神などの子孫を神別の「天孫」としている。

系統と分布[編集]

天孫族は古代朝鮮半島高句麗王族ないし扶余系民族に通じる種族とする説がある。また高句麗や百済新羅加羅あるいは渤海を建国した部族とも親近関係にあったとされる。なお前述の扶余ともかなりの混血があったためか、習俗で似通ったものがあるとされる[1]

濊貊系種族説[編集]

現在の朝鮮半島を故地とする扶余族などと同系の種族で、朝鮮半島南部から東へ、紀元1世紀前半頃に日本列島に到来した種族とされる[2]北九州の松浦半島に上陸した後は、松浦川に沿って奥地に溯り、天山南方の佐賀平野を西から東に進んで、筑後川の中・下流域、水縄山地(身納山脈)、特に高良山の北麓から西麓の辺り、筑後国御井郡山本郡を中心とする地域に定着したとされる。この種族は青銅器文化や鳥トーテミズムを持ち、支石墓や後期の朝鮮式無文土器にも関係したとみられる。また、これが『魏志倭人伝』に見える邪馬台国の前身たる部族国家(高天原)で、このような原始国家を2世紀初頭前後頃から形成し、2世紀後半には分岐国家の伊都国から神武天皇兄弟を輩出した[3]。神武天皇の子孫は大和朝廷の基礎を作り上げ、残った一族は3世紀前半に女王卑弥呼などを輩出したが、4世紀代に古墳文化を所持し、強大な勢力となった景行天皇神功皇后による九州地方の平定によって滅んだものとされる[4][2]

特徴[編集]

青銅器製塩土器銅鏡銅剣弓矢衣類の製作を行った種族。(とくに白鳥)といったトーテムがあり、太陽信仰巨石石神信仰、青銅器風神信仰、温泉神、医薬神、妙見信仰を持つ。関係が深い植物にはがあり、五十猛神須佐之男命八幡神熊野大神、角凝魂命)・高御産巣日神天照大御神天活玉命(伊久魂神))・天津彦根命天若日子)・天目一箇命天太玉命天津麻羅経津主神)・天日鷲神陶津耳命少名毘古那神)などを祖神として奉斎する他、母系神として豊宇気毘売神菊理姫神宇迦之御魂神保食神)も祀る[4][5][6][7]

記紀における天孫族[編集]

記紀によると国譲りの後、高天原より葦原中国平定のため日向に降臨し、中国地方を経て近畿地方まで東征し西日本各地の豪族を従え大王天皇)を中心とするヤマト王権(倭国)を樹立させ、中部・関東地方まで勢力を拡大させ、のちの日本へと発展していったとしている。

新撰姓氏録における天孫族[編集]

新撰姓氏録」神別では、天照大神の子孫とみなされる神々、天穂日命天津彦根命天火明命火闌降命天佐鬼利命の子孫を『天孫』と定義している。

皇室出雲氏三上氏物部氏尾張氏山背国造広峯氏土師氏隼人などはその子孫にあたるとしている。しかし尾張氏の系図は系譜仮冒であり、またその祭祀形態から海神族、隼人は習俗から山祇族ともされる。[要出典]

脚注[編集]

  1. ^ 宝賀寿男上古史の流れの概観試論」『古樹紀之房間』、2009年。
  2. ^ a b 宝賀寿男『古代氏族の研究⑬ 天皇氏族 天孫族の来た道』青垣出版、2018年。
  3. ^ 宝賀寿男「神武天皇の原像」『古樹紀之房間』、2014年。
  4. ^ a b 宝賀寿男「上古史の流れの概観試論」『古樹紀之房間』、2009年。
  5. ^ 宝賀寿男「伊勢津彦と建御名方命との関係」への返信、『古樹紀之房間、掲示板・応答板』、2006年。
  6. ^ 宝賀寿男『古代氏族の研究⑬ 天皇氏族 天孫族の来た道』青垣出版、2018年。
  7. ^ 宝賀寿男『古代氏族の研究⑭ 蘇我氏 権勢を誇った謎多き古代大族』青垣出版、2019年。

関連項目[編集]