塩野谷九十九
表示
塩野谷 九十九(しおのや つくも、1905年10月12日 - 1983年6月4日)は、日本の経済学者。名古屋大学名誉教授。
ケインズ経済学研究の権威で、ケインズの著書『雇用・利子および貨幣の一般理論』の初代翻訳者(1941年)。
来歴・人物
[編集]愛知県出身。1926年名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)卒業、1930年東京商科大学(現一橋大学)卒業(高垣寅次郎門下)[1]。1931年横浜市立横浜商業専門学校(現横浜市立大学)教授[2]。1934年叙正七位[3]。
1943年名古屋高等商業学校教授[1]。1948年名古屋大学法経学部経済原論講座担任教授[4]。1956年金融制度調査会臨時委員[5]。1958年名古屋大学経済学部長[6]。1959年公認会計士審査会試験委員[7]。1965年名古屋大学経済学部長[8]、日本学術会議会員[9]。
1969年南山大学教授[1]。1971年南山大学図書館長[10]。1974年外務公務員採用上級試験委員[11]。1975年勲二等旭日重光章受章[12]。1983年従三位[13]。
伊東政吉(一橋大学名誉教授)[14]、木村吉男(名古屋市立大学名誉教授)[15]、飯田経夫(名古屋大学名誉教授)、松永嘉夫(元早稲田大学教授)、水谷研治(エコノミスト)[16]、清水義之 (実業家)(元十六銀行頭取)、花田実(元岐阜銀行頭取)、田中博秀(元労働省労働研修所所長)は塩野谷ゼミ出身。
一橋大学を追われた水田洋(名古屋大特別教授、日本学士院会員)を名古屋大学に招いた。
元一橋大学学長で文化功労者の塩野谷祐一は子。『雇用・利子および貨幣の一般理論』は、1983年に塩野谷祐一により改訳された。
著書・訳書
[編集]- 1948年 ケインズ経済学の展開
- 1948年 アメリカ経済の発展
- 1949年 雇傭・利子及び貨幣の一般理論(J.M.ケインズ)
- 1951年 経済発展と資本蓄積
- 1952年 所得―経済学入門(A.C.ピグウ)
- 1953年 原典ケインズ「一般理論」解説
- 1954年 ケインズ伝〈第1〉(R.F.ハロッド)
- 1954年 ケインズ伝〈第2〉(R.F.ハロッド)
- 1954年 インフレーション―その型と政策(ベント・ハンセン)
- 1955年 雇傭・利子および貨幣の一般理論(J.M.ケインズ)
- 1957年 ケインズ入門―人・学説・政策(S.E.ハリス)
- 1957年 各国銀行制度概観〈下巻〉
- 1962年 近代経済学―巨視的理論の展開
- 1963年 経済構造と経済政策―酒井正三郎博士還暦記念論文集
- 1963年 ケインズ『一般理論』―原典解説
- 1965年 ユーロ・ダラー(ポール・アインチッヒ)
- 1966年 経済成長と金融
- 1967年 ケインズ伝 上巻 改訳版(R.F.ハロッド)
- 1967年 ケインズ伝 下巻 改訳版(R.F.ハロッド)
- 1967年 金融政策と物価水準(金融問題研究会モノグラフ〈4〉)
- 1968年 ケインズ入門(現代教養文庫)
- 1968年 ケインズ時代―ニュー・エコノミックスの勝利(ロバート・リーキャッシュマン)
- 1969年 マクロ経済学(現代経済学教科書〈下〉)
- 1969年 ミクロ経済学(現代経済学教科書〈上〉)
- 1974年 貨幣―歴史・理論・政策(R.F.ハロッド)
- 1975年 イギリスの金本位復帰とケインズ(清明会新書〈6〉)
脚注
[編集]- ^ a b c 塩野谷 九十九(読み)シオノヤ ツクモ日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)
- ^ 官報 1931年08月10日
- ^ 官報 1934年04月09日
- ^ 官報昭和23年本紙第6519号 34頁
- ^ 官報昭和31年本紙第8843号 582頁
- ^ 官報昭和33年本紙第9544号 236頁
- ^ 官報昭和34年本紙第9715号 366頁
- ^ 官報昭和40年本紙第11652号 19頁
- ^ 官報昭和40年本紙第11597号 2頁
- ^ 南山大学図書館報南山大学
- ^ 官報昭和49年本紙第14193号 17頁
- ^ 官報昭和50年本紙第14654号 6頁
- ^ 官報昭和58年本紙第16924号 6頁
- ^ 松坂兵三郎「[松坂兵三郎]自作年譜 (松坂兵三郎名誉教授古稀記念号)」『成城大學經濟研究』第125巻、1994年、229-260頁、CRID 1050001337473380608。
- ^ 木村吉男君(塩野谷ゼミ)6月13日に急逝肺がんのため 享年81歳望洋会
- ^ 塩野谷九十九先生の茶目っ気水谷研治研究室
|
|
|
|
|
|