吉原道臣
横浜時代(2007年3月21日 横浜スタジアム) | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都新宿区 |
生年月日 | 1981年10月29日(43歳) |
身長 体重 |
182 cm 85 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2006年 大学生・社会人ドラフト6巡目 |
初出場 | 2007年4月1日 |
最終出場 | 2008年9月15日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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吉原 道臣(よしはら みちおみ、1981年10月29日 - )は、東京都新宿区出身の元プロ野球選手(投手)。
現役時代には横浜ベイスターズに所属。『暫定大魔神』という愛称が付けられた。現役引退後は、OA機器販売会社のオフィス24に勤務しながらシッティングバレーボールの普及活動に携わった後に[1]、焼き鳥屋を経営[2]。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]日大豊山高校3年生の夏に、東東京大会の2回戦で、6回参考ながらノーヒットノーランを記録。日本大学への進学後は、1年春にリーグ戦で先発勝利したが1学年上に館山昌平、堤内健、1学年下に那須野巧がいて登板機会は限られ、東都大学野球のリーグ戦で19試合1勝3敗を記録した。高校からの1学年後輩に桑原義行、大学では1学年下に大野隆治、村田修一らがいた。
大学卒業後には、ホンダで都市対抗野球でも登板[3]、2006年の大学・社会人ドラフト会議で横浜ベイスターズから6巡目で指名。同年11月28日に入団契約を結んだ。背番号は45。
プロ入り後
[編集]2007年には、公式戦の開幕を一軍で迎えると、開幕3戦目であった4月1日の読売ジャイアンツ戦(横浜スタジアム)で5番手投手として一軍デビュー。しかし、対戦した打者4人全員に四球を与えるという内容で、すぐに二軍へ降格した。降格後は、イースタン・リーグ公式戦で先発・リリーフの両方を経験。3勝1セーブを挙げた。
2008年には、シーズン初の出場選手登録が6月まで持ち越された。しかし、登録後の一軍公式戦では、初登板の試合から11試合連続無失点を記録した。7月6日の阪神タイガース戦では7回から2イニングを無失点に抑え、8回裏にチームが3点を勝ち越したため初勝利の権利を得たが、9回2アウトから寺原隼人が逆転を許し、初勝利を逃した[4][5]。シーズン通算では25試合の登板で8ホールドを記録したが、夏場に調子を落としたため、一軍定着までには至らなかった。なお、この年に結婚している。
2009年には、イースタン・リーグ公式戦13試合に登板。しかし、故障の影響で、一軍公式戦への登板機会はなかった。
2010年には、イースタン・リーグ公式戦で11試合に登板したが、2桁台の防御率を記録。また、2年連続で一軍公式戦への登板機会がなく、10月1日に戦力外通告を受けた。11月10日には、現役続行への道を求めて、第1回12球団合同トライアウトに参加。しかし、他球団からの獲得のオファーがなかったため、現役を引退した。
現役引退後
[編集]2011年5月に個人ブログを開設。同年4月から製薬会社に勤務していることを明かした[6]が、1年半ほどで退職。
2014年10月にオフィス24へ転職[7]。営業部を経て、2015年6月から広報室兼人事広報部へ異動。また、異動を機にシッティングバレーボールチームが社内に結成されたことから、チームの責任者としても活動。選手として日本選手権に出場したり、一般人も参加できる教室を月に1回のペースで開いたりしている[1]。
プレースタイル・人物
[編集]140km/h台(最速151km/h)のストレートと、カットボール・カーブ・落差の大きいフォークを投げた。吉原自身は、横浜への入団が決まった際に、「(当時同球団のクローザーとして活躍していた)クルーン投手のような速球派の投手になって、1日も早く一軍のマウンドに立ちたい」という抱負を明かしていた。後に『暫定大魔神』という愛称が付けられたのは、このようなピッチングスタイルや救援主体の起用法が、現役時代に『大魔神』と呼ばれたOBの佐々木主浩と通じることによる。
横浜時代には、前期と後期で2種類のサインが存在。後期のサインには、自身の名前にちなんで「道」と記していた。
現役引退後からシッティングバレーボールの普及活動に関わったのは、勤務先のオフィス24が日本シッティングバレーボール協会とスポンサー契約を結んでいることによる。吉原は、自身のプレー経験を基に、「野球もシッティングバレーも奥が深い」「前後の移動や座りながらのプレーは難しいけど、(シッティングバレーは)チームスポーツなので楽しい。障害者支援の一つとして、少しでも力になりたい」と述べている[1]。2018年7月からは駒込で焼き鳥屋「酔串亭 笑吉」を経営していたが[8]2023年2月をもって閉店。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2007 | 横浜 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 21 | 3.0 | 5 | 0 | 7 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 2 | 2 | 6.00 | 4.00 |
2008 | 25 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 8 | .000 | 129 | 28.0 | 34 | 5 | 10 | 1 | 3 | 22 | 2 | 0 | 20 | 20 | 6.43 | 1.57 | |
通算:2年 | 28 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 8 | .000 | 150 | 31.0 | 39 | 5 | 17 | 1 | 4 | 24 | 2 | 0 | 22 | 22 | 6.39 | 1.81 |
記録
[編集]- 初登板:2007年4月1日、対読売ジャイアンツ3回戦(横浜スタジアム)、9回表に5番手で救援登板、0/3回1失点
- 初奪三振:2007年8月26日、対東京ヤクルトスワローズ15回戦(明治神宮野球場)、7回裏にアレックス・ラミレスから
- 初ホールド:2008年6月18日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(横浜スタジアム)、7回表に2番手で救援登板、1回無失点
- 初先発:2008年9月11日、対広島東洋カープ21回戦(広島市民球場)、3回5安打4失点で敗戦投手[9]
背番号
[編集]- 45 (2007年 - 2010年)
脚注
[編集]- ^ a b c 元プロ野球横浜吉原道臣氏がシッティングバレー挑戦(『日刊スポーツ』2015年12月12日付記事)
- ^ 2023年7月より池袋ハンバーグ専門店にて躍動中。https://www.nikkansports.com/baseball/news/201808160000384.html 元横浜投手吉原道臣さんのサードキャリア/コラム]
- ^ プロ野球プレイヤーズ名鑑2007 スポーツニッポン新聞社
- ^ “2008年7月6日 【公式戦】試合結果 (横浜vs阪神)”. NPB. 2022年4月3日閲覧。
- ^ “強すぎる阪神 9回2死から大逆転 - スポニチ Sponichi Annex 野球”. スポニチ Sponichi Annex. 2022年4月3日閲覧。
- ^ 仲間! 吉原道臣ブログ
- ^ 週刊ベースボール2015年1月26日号 P94
- ^ 元横浜投手吉原道臣さんのサードキャリア (古川真弥、日刊スポーツ) 2018年8月16日12時18分配信、2022年7月23日閲覧
- ^ 2008年9月4日、対阪神タイガース戦に先発したが、3回裏終了時降雨ノーゲームのため公式記録には載らなかった。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 吉原道臣 - NPB.jp 日本野球機構
- 吉原道臣のブログ - Ameba Blog
- 吉原道臣 (@michiomi.yoshihara) - Instagram